結婚とは、一組のカップルに「永遠の愛」を誓わせあって
浮気、不貞行為をしたものに制裁を加える社会制度だ
・・・そんな制度を「是とする」人達が、いまだに「夫婦をやってる」わけだ
別にそれは当人同士の自由なのだけれど
「愛すること」そして「生きること」において、一切の保証制度はあくまでも二次的な物だ
愛であれ、人生であれ、笑い、歓びであれ、あくまでも瞬間瞬間の現象であって
生命保険とはあくまでも「死なない保証」ではない、「死んだらお金が貰える」というだけのことだ
結婚制度も同じだ、本当は「永遠の愛」を保証しているのではなく、愛の終わりにおいて
先に立ち去ろうとした方を裏切り者として制裁を加えちゃうよ~という制度に過ぎない
「わたしはこの愛が20年続くのか?20分で終わるのかさえ判らないのよ」
アスペルガーのカップルを描いた映画「モーツァルトとクジラ」の中の台詞だ
わたしは同じアスペ持ちとして、共感を覚える・・・
「これが当たり前、これが自然な気持ちなのじゃないだろうか?」と私には思える
アスペではないフツーの人達は、この台詞がどう聞こえるのだろうか?
やはり精神障害者の戯言に聞こえるのだろうか?
先日、わたしはどこかの店内で買い物をしていたら
「君が美しすぎて、・・・ だから君を永遠に守りたい・・・ 」と
歌っている曲が流れていたのを聞いた
・・・私は脳内で思わず、その歌詞の中の主人公を問い詰めた
・・・美容に、アンチエイジングに、今日も大金を払う
で、その努力の甲斐があって結婚したら・・・
「もう、釣った魚にエサはやらない」??
女性達はみな、アニメのようなデカ目をメイクをぬぐい
夫の前では醜い本性を露わにする
あるいは、
それだと「釣った魚を逃してしまう」かも知れないから
美容に引き続き精進する?永遠の愛のために、永遠に努力する?
それとも「美しいから愛する」というのはあくまでも言葉のあやで、
結婚したあとは一緒に努力していった信頼の絆で乗り切っていく?
では、結婚した女性が美容に勤しむのは夫の「永遠の愛の誓い」に答えるため?
それとも夫との信頼の絆を信じていないから? ・・・夫だけでは不安だから、
他の〝オス〟の愛も確保し、いつでも誘惑出来る魅力を確保しておくための?
・・・愛という言葉にたったひとつの条件付け、たとえば〝美しさ〟たとえば〝若さ〟が
加わるだけで、人々の脳裏には様々な疑惑が乱反射しはじめる・・・ 葛藤や疑惑、
あるいは嫉妬や、その他様々な狂気が湧き上がる・・・
人はいつも不安や孤独に駆られているから、
常に〝永遠の愛〟などの保証を欲している、慰め、ヒーリングを望んでいる
その〝必要〟に対して、社会は結婚制度をその根幹としてきた
でも、社会制度が〝愛〟を捉えることは不可能だ
それは一見〝愛〟をテーマにしている様でいて、実際には〝必要〟をテーマにしていただけだ
そしてその結果、私たちひとりひとりが
この〝社会的必要〟を〝永遠の愛〟という言葉と混同してきた
VastStillness は、
ずっと素晴らしい動画を無料で提供し続けてきてくれているが
いままでも、これからも、きっとOSHOだけには触れられないだろう、言及出来ないだろう
OSHOだけは鬼門だろう・・・ OSHOこそが文字通りの「丑寅の艮神」だろうから・・・
エックハルトも、ムージも、決してOSHOの様なラディカルな挑戦的な発言は出来ないだろう
だからこそVastStillnessでは取り扱えたのだ・・・
さあ瞑想しましょう、癒しましょう、覚醒しましょう・・・
そう言い続けるためのヒントの参照資料動画提供サイトとしては実に頑張ってくれていると思う
実に優良なサイトだと思う・・・・ しかし、一番危険なゾーン、タブーには決して踏み込めない
あくまでもカルチャースクール、セミナーへの誘導サイトとしては、OSHOは〝有害コンテンツ〟だ
かつては・・・
人が生まれてくる為の欠くべからざる結婚制度、家制度が・・・
いまは
あらゆる利権、あらゆる慰め、あらゆる魂の破壊の根源として、・・・
「愛」というもっともみずみずしい聖なる花を、「義務観念」で踏みにじり
・・・・・・・・・私たちの前に立ちはだかっている
「そんな!わたしは義務感で結婚を継続しているのではない!」と怒る人も多いだろう・・・
・・・事実、義務感ではなく、愛から家族と関わっている人達は、確かに多いと思う
しかし、
「制度」という庇護の内側で「そう」している以上、
「その」疑いが・・・人々から消えることはないだろう、
「その」疑いが・・・晴れる日は、もはや来ないだろう、
つまりそれが、すでに致命的な問題なのだ ・・・・あなたにはそう見えないだろうか?
眼光鋭い暴力団員の夫を背中に控えさせて
「暴力では何も解決しないのよ!愛が全てなの・・・」
そんな風にその妻が主張しても、誰も反論はしないかも知れない・・・
そして彼女はホンキでそう主張しているのかも知れない・・・
・・・しかし、誰もその主張をホンキに聞いてはくれないだろう
もしその奥さんが自分の主張を真剣に聞いて欲しいならば
人々がひそひそと囁く声を聞き取ることだ、 「志村!、後ろ、後ろ・・・」
「制度の庇護の中に囲われて生きる」とはそういう状態だ
一見、安全そうだけれど、その庇護下ではホンモノもニセモノになる
繊細で生き生きとしたものはすべて枯れて、腐敗していく
「家族制度の義務」という塀に囲まれて、平和で安全そうだが、それは緩慢な自殺だ
以下の様なカップルの「晴れやな笑顔」とは
この「永遠に残ってしまう疑惑の曇り」に対する、ひとつの解答なんじゃないかと思う
新しい人間は、制度としての結婚には自然な不信を抱くだろう。
新しい人間にとって男女の関係は、
互いに高め合い、成長し合い、流れる関係であって初めて深い価値を持つようになる。
儀式としての結婚や、およそ永遠ではないことを証明するような、
永遠の誓いなど少しも気にかけない。
瞬間を愛し、それを完全に生き切る。
結婚に未来はない。愛には未来がある。
過去には、愛は現実ではなく、結婚が現実だった。
未来では愛が現実になり、結婚はますます現実味を失う。
過去には、人びとは結婚し、
そのために少しずつ好きになり、愛するようになっていった。
未来では、人びとは互いに好きになり、愛し合い、
そうなって初めていっしょに暮らすようになる。
過去では、まずいっしょに暮らすことが先だった。
当然、 いっしょに暮らすと、好きという気持ちが生じ、依存が生まれる。
それは必要現象だったのだ。
夫は妻を必要とし、
妻は夫を必要とし、
そして子どもたちがいっ しょに暮らす親を必要とした。
それは、多かれ少なかれ、経済現象だった。
とにかく、愛から出たものではなかった。
未来は、純粋に愛に基づき、愛がある間だけ存続するという、
違った種類の関係を経験することになる。
そして、それが永遠につづくことを強く求めることはなくなる。
生において、永遠のものはなにひとつないからだ。
永遠なのは造花だけだ。
本物のバラは朝に生まれ、夕方にはなくなっている。
が、それが彼らの美しさだ。
生まれるときも美しく、その花びらがしおれていくときも美しい。
その生は 美しく、その誕生は美しく、その死は美しい。
なぜなら、生気があるからだ。
造花はけっして生まれず、けっして生きず、けっして死なない。
結婚は過去における造花だった。
新しい意識には結婚に敬意を払うことなどできない。
新しい種類の親しさ——友情を創造しなければならなくなる。
愛、そしてあらゆるものごと、
その永遠ではない現象と共に生きることを学ばなければならなくなる。
浮気、不貞行為をしたものに制裁を加える社会制度だ
・・・そんな制度を「是とする」人達が、いまだに「夫婦をやってる」わけだ
別にそれは当人同士の自由なのだけれど
「愛すること」そして「生きること」において、一切の保証制度はあくまでも二次的な物だ
愛であれ、人生であれ、笑い、歓びであれ、あくまでも瞬間瞬間の現象であって
生命保険とはあくまでも「死なない保証」ではない、「死んだらお金が貰える」というだけのことだ
結婚制度も同じだ、本当は「永遠の愛」を保証しているのではなく、愛の終わりにおいて
先に立ち去ろうとした方を裏切り者として制裁を加えちゃうよ~という制度に過ぎない
「わたしはこの愛が20年続くのか?20分で終わるのかさえ判らないのよ」
アスペルガーのカップルを描いた映画「モーツァルトとクジラ」の中の台詞だ
わたしは同じアスペ持ちとして、共感を覚える・・・
「これが当たり前、これが自然な気持ちなのじゃないだろうか?」と私には思える
アスペではないフツーの人達は、この台詞がどう聞こえるのだろうか?
やはり精神障害者の戯言に聞こえるのだろうか?
先日、わたしはどこかの店内で買い物をしていたら
「君が美しすぎて、・・・ だから君を永遠に守りたい・・・ 」と
歌っている曲が流れていたのを聞いた
・・・私は脳内で思わず、その歌詞の中の主人公を問い詰めた
・・・・じゃあ、美しくなければ愛されないわけだよね?
その女性への愛は、その女性の美しさと共に消えるわけだよね?
そして女性達は皆、「永遠の愛」を男性が誓ってくれることを願ってその女性への愛は、その女性の美しさと共に消えるわけだよね?
・・・美容に、アンチエイジングに、今日も大金を払う
で、その努力の甲斐があって結婚したら・・・
「もう、釣った魚にエサはやらない」??
女性達はみな、アニメのようなデカ目をメイクをぬぐい
夫の前では醜い本性を露わにする
あるいは、
それだと「釣った魚を逃してしまう」かも知れないから
美容に引き続き精進する?永遠の愛のために、永遠に努力する?
それとも「美しいから愛する」というのはあくまでも言葉のあやで、
結婚したあとは一緒に努力していった信頼の絆で乗り切っていく?
では、結婚した女性が美容に勤しむのは夫の「永遠の愛の誓い」に答えるため?
それとも夫との信頼の絆を信じていないから? ・・・夫だけでは不安だから、
他の〝オス〟の愛も確保し、いつでも誘惑出来る魅力を確保しておくための?
・・・愛という言葉にたったひとつの条件付け、たとえば〝美しさ〟たとえば〝若さ〟が
加わるだけで、人々の脳裏には様々な疑惑が乱反射しはじめる・・・ 葛藤や疑惑、
あるいは嫉妬や、その他様々な狂気が湧き上がる・・・
人はいつも不安や孤独に駆られているから、
常に〝永遠の愛〟などの保証を欲している、慰め、ヒーリングを望んでいる
その〝必要〟に対して、社会は結婚制度をその根幹としてきた
でも、社会制度が〝愛〟を捉えることは不可能だ
それは一見〝愛〟をテーマにしている様でいて、実際には〝必要〟をテーマにしていただけだ
そしてその結果、私たちひとりひとりが
この〝社会的必要〟を〝永遠の愛〟という言葉と混同してきた
VastStillness は、
ずっと素晴らしい動画を無料で提供し続けてきてくれているが
いままでも、これからも、きっとOSHOだけには触れられないだろう、言及出来ないだろう
OSHOだけは鬼門だろう・・・ OSHOこそが文字通りの「丑寅の艮神」だろうから・・・
エックハルトも、ムージも、決してOSHOの様なラディカルな挑戦的な発言は出来ないだろう
だからこそVastStillnessでは取り扱えたのだ・・・
さあ瞑想しましょう、癒しましょう、覚醒しましょう・・・
そう言い続けるためのヒントの参照資料動画提供サイトとしては実に頑張ってくれていると思う
実に優良なサイトだと思う・・・・ しかし、一番危険なゾーン、タブーには決して踏み込めない
あくまでもカルチャースクール、セミナーへの誘導サイトとしては、OSHOは〝有害コンテンツ〟だ
かつては・・・
人が生まれてくる為の欠くべからざる結婚制度、家制度が・・・
いまは
あらゆる利権、あらゆる慰め、あらゆる魂の破壊の根源として、・・・
「愛」というもっともみずみずしい聖なる花を、「義務観念」で踏みにじり
・・・・・・・・・私たちの前に立ちはだかっている
「そんな!わたしは義務感で結婚を継続しているのではない!」と怒る人も多いだろう・・・
・・・事実、義務感ではなく、愛から家族と関わっている人達は、確かに多いと思う
しかし、
「制度」という庇護の内側で「そう」している以上、
「その」疑いが・・・人々から消えることはないだろう、
「その」疑いが・・・晴れる日は、もはや来ないだろう、
つまりそれが、すでに致命的な問題なのだ ・・・・あなたにはそう見えないだろうか?
眼光鋭い暴力団員の夫を背中に控えさせて
「暴力では何も解決しないのよ!愛が全てなの・・・」
そんな風にその妻が主張しても、誰も反論はしないかも知れない・・・
そして彼女はホンキでそう主張しているのかも知れない・・・
・・・しかし、誰もその主張をホンキに聞いてはくれないだろう
もしその奥さんが自分の主張を真剣に聞いて欲しいならば
人々がひそひそと囁く声を聞き取ることだ、 「志村!、後ろ、後ろ・・・」
「制度の庇護の中に囲われて生きる」とはそういう状態だ
一見、安全そうだけれど、その庇護下ではホンモノもニセモノになる
繊細で生き生きとしたものはすべて枯れて、腐敗していく
「家族制度の義務」という塀に囲まれて、平和で安全そうだが、それは緩慢な自殺だ
以下の様なカップルの「晴れやな笑顔」とは
この「永遠に残ってしまう疑惑の曇り」に対する、ひとつの解答なんじゃないかと思う
「私たち、離婚しました!」離婚したカップルが笑顔で自撮り!?
これは、昨日クリスと私の離婚が成立した後の写真です。
でも笑ってるじゃないって? そう、私たちはおかしいのよ。
永遠のパートナーとして選んだ相手がそうじゃなかったから?
・・・・いえ、違うわ。
笑顔の理由は、私たちが驚くべきことを成し遂げたからよ。
私 たちは、敬意と熟考と誇りを持って結婚を終わらせたの。
これからは子供たちを育てるパートナーとして
前へ進むことができるようになるわ。
子供たちも、どち らかの親を選ぶ必要なんてないの。
クリスマスコンサートや春の学芸会で、どっちの親を
呼べば良いか迷うことはないでしょう。
私たちは一緒に座っているんだ もの。
もし皆さんが離婚という状況に直面したら、
私たちのような離婚もあるんだということを知っておいてね。
そのためにこのメッセージを残しておくわ。
これは、昨日クリスと私の離婚が成立した後の写真です。
でも笑ってるじゃないって? そう、私たちはおかしいのよ。
永遠のパートナーとして選んだ相手がそうじゃなかったから?
・・・・いえ、違うわ。
笑顔の理由は、私たちが驚くべきことを成し遂げたからよ。
私 たちは、敬意と熟考と誇りを持って結婚を終わらせたの。
これからは子供たちを育てるパートナーとして
前へ進むことができるようになるわ。
子供たちも、どち らかの親を選ぶ必要なんてないの。
クリスマスコンサートや春の学芸会で、どっちの親を
呼べば良いか迷うことはないでしょう。
私たちは一緒に座っているんだ もの。
もし皆さんが離婚という状況に直面したら、
私たちのような離婚もあるんだということを知っておいてね。
そのためにこのメッセージを残しておくわ。
結婚ではなく、愛
新しい意識は、結婚のような制度とはなんのかかわりもない。新しい人間は、制度としての結婚には自然な不信を抱くだろう。
新しい人間にとって男女の関係は、
互いに高め合い、成長し合い、流れる関係であって初めて深い価値を持つようになる。
儀式としての結婚や、およそ永遠ではないことを証明するような、
永遠の誓いなど少しも気にかけない。
瞬間を愛し、それを完全に生き切る。
結婚に未来はない。愛には未来がある。
過去には、愛は現実ではなく、結婚が現実だった。
未来では愛が現実になり、結婚はますます現実味を失う。
過去には、人びとは結婚し、
そのために少しずつ好きになり、愛するようになっていった。
未来では、人びとは互いに好きになり、愛し合い、
そうなって初めていっしょに暮らすようになる。
過去では、まずいっしょに暮らすことが先だった。
当然、 いっしょに暮らすと、好きという気持ちが生じ、依存が生まれる。
それは必要現象だったのだ。
夫は妻を必要とし、
妻は夫を必要とし、
そして子どもたちがいっ しょに暮らす親を必要とした。
それは、多かれ少なかれ、経済現象だった。
とにかく、愛から出たものではなかった。
未来は、純粋に愛に基づき、愛がある間だけ存続するという、
違った種類の関係を経験することになる。
そして、それが永遠につづくことを強く求めることはなくなる。
生において、永遠のものはなにひとつないからだ。
永遠なのは造花だけだ。
本物のバラは朝に生まれ、夕方にはなくなっている。
が、それが彼らの美しさだ。
生まれるときも美しく、その花びらがしおれていくときも美しい。
その生は 美しく、その誕生は美しく、その死は美しい。
なぜなら、生気があるからだ。
造花はけっして生まれず、けっして生きず、けっして死なない。
結婚は過去における造花だった。
新しい意識には結婚に敬意を払うことなどできない。
新しい種類の親しさ——友情を創造しなければならなくなる。
愛、そしてあらゆるものごと、
その永遠ではない現象と共に生きることを学ばなければならなくなる。