We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

2015年09月



La Belle Dame Sans Regrets / 悔いなき美女
アーティスト    Sting
作詞    Sting, Dominic Miller
作曲    Sting, Dominic Miller

インチキ歌詞和訳:風間夕夜


Dansons tu dis
「踊りましょう」とキミは誘った

Et moi, je suis
その誘いに従うボク

Mes pas sont gauches
ボクはもたつくステップなのに

Mes pieds tu fauches
あなたは死に神の鎌のように閃く足裁き

Je crains les sots
ボクは馬鹿なことを言い出さないように

Je cherche en vain les mots
踊りながらも言葉を探す

Pour m'expliquer ta vie,
そうさキミの正体をボクは知っている

alors Tu ments, ma Soeur
それは嘘なんだろう?愛するキミよ

Tu brises mon coeur
それが僕の心を引き裂くんだ

Je pense, tu sais
そんな僕の気持ちをキミは知ってるね?

Erreurs, jamais
「それは違うだろ?絶対に」

J'ecoute, tu parles
そう思いながらボクはキミの話を聞く

Je ne comprends pas bien
ボクには理解出来ないよ、そんなキミが

La belle dame sans regrets
すました顔の美人だね、キミは

La belle dame sans regrets
クールに演じ続ける、美しいキミ

Je pleure, tu ris
キミの笑い声に、僕は心ですすり泣く

Je chante, tu cries
ボクが歌うと、突如キミは叫び出す

Tu semes les graines D'un mauvais chene
キミはまた厄介な種をまき

Mon ble s'envole
ボクの祈りを吹き飛ばす

Tu en a ras le bol
そしてウンザリしているね?

J'attends, toujours
僕はいつまでも待っている

Mes cris sont sourds
重苦しいこころの叫びと共にね

Tu ments, ma Soeur
やっぱりそれも嘘じゃないか?愛するキミよ

Tu brises mon coeur
あんまりじゃないか

Je pense, tu sais
ボクの心痛を知っているくせに

Erreurs, jamais
おかしいじゃないか?そんなこと

J'ecoute, tu parles
そう思いつつボクはキミの話に耳を傾ける

Je ne comprends pas bien
キミの横顔をボクは見つめる

La belle dame sans regrets
ためらいは無いのかい?美しい女(ひと)よ

La belle dame sans regrets
言い足すことは無いのかい?美しい女(ひと)よ

La belle
愛しい女(ひと)

La belle dame sans
愛するキミよ・・・何か

regrets
黙っていないで、何か言ってくれ

「We're All Alone」 Boz Scaggs from Katal Maneel on Vimeo.


dailymotion

デタラメ歌詞和訳:風間夕夜

Outside the rain begins
あなたの背中を打ち始めた冷たい雨は

And it may never end
決して止むことは無いだろう

So cry no more,
でも、泣くことはない

on the shore a dream
全てが行き止まりに見えるのは悪夢に過ぎない

Will take us out to sea
いのちの全ては大海へと辿り着くだろう

Forevermore, forevermore
永遠の海へ・・・、無限の源へ・・・

Close your eyes Amie
さあ、瞳を閉じて

And you can be with me
私がここに居るのを感じられるだろ?

'Neath the waves, through the cave of hours
瞬間(とき)と瞬間(とき)との
狭間(はざま)から伝わる波動を感じてごらん、

Long forgotten now
長い間忘れていたね

We're all alone, we're all alone
私たちは皆ひとりひとり、
世界にあなたはひとりだと感じられるかい?

Close the window,
(比較と評価の心の)窓を閉じて

calm the light
ただ純粋な意識だけになった時

And it will be all right
ほら物事が手垢にまみれず、まっすぐ見えてくる

No need to bother now
そこにあるのは誰かから感染した不安に過ぎなかった

Let it out, let it all begin
それを見破り、すべてをクリアーに見渡してご覧

Learn how to pretend
(不安や孤独の)誘惑の正体を知り尽くすんだ

Once a story's told
言葉にされてきたストーリーはどれも

It can't help but grow old
助けには成ったけれど、老いさらばえていくものさ

Roses do, lovers too,So cast
みずみずしいバラの美しさも
ほらあそこにいる恋人達さえも例外じゃない

 your seasons to the wind
あなたのいろんな人生の場面も同じく、風と共に去る

And hold me dear,
さあ、いまここの自分自身を強く抱きしめるんだ

oh, hold me dear
未完成な自分を・・・親しみを込めて

Close the window,
うつろう人生の風景に同一化せずに

Calm the light
一本のろうそくを灯してご覧

And it will be all right
すべてが明瞭に見えるだろう

No need to bother now,
そこにコブシを握りしめる必要は無くなるだろう

Let it out, let it all begin
さあ手のひらを拡げてご覧、そこから全てが始まる

Owe it to the wind, my love
風に全てを託せばいいんだ、それが愛さ

Oh, hold me dear
あなたの最高の理解者は・・・誰?

Owe it to the wind, my love
すべては風の中に、それが愛さ

We're all alone,
私たちは皆、自由な旅人


1匹のみで孤立させたネズミは
ドラッグの入った水を飲み、

複数の仲間とつながりあえる環境のネズミは
ドラッグの入った水を飲まなかった

薬物中毒もスマホ依存も原因は同じ 多くの人が間違えている、
中毒者への正しい接し方とは - ログミー

孤独に弱い、温かい母の乳房の温もりで育てられる哺乳類にとって
煙草もアルコールもドラッグも、スマフォも結局のところは同じだ

   ・・・・母親のおっぱい~「社会との絆」の代用品なのだ

a


物心ついた時からそれに不信感を抱いていたわたしは
人間、というよりは哺乳類動物としての根底要素が欠落していた

エヴァンゲリオンの副題にもあるように、わたしにとって
「mother is the first other」だった



わたしは本来、こんな半世紀も生き延びられたことが奇跡なのだろう
本当なら自殺なり、薬物中毒なりでとっくに死んでいたはずだ

とはいっても〝生き延びられた〟ことが奇跡ではあっても
〝幸運にも〟なのかはまだ疑問だ

それはわたし本人にとっても、この社会にとってもだ
ハッキリ言ってわたしとは迷惑な存在だろう
「さっさと死んでしまえ」という人々の声にならない声が聞こえてくるようだ

人々が求めている人間とは不協和音ではない、社会全体への不信者ではない

フェイスブックの良きお友達であり、互いのお誕生日には儀礼的な祝辞を
言い合い、それさえも実は面倒くさい、偽善的で堪らないなどと絶対に
わめき出さない適当な距離感のお友達を誰もが求めている

・・・・フェイスブックで最も嫌なのは
「お友達」に勝手に誕生日を通知してしまう機能だ

その結果押し寄せる花束やバースデーケーキの画像と共に寄せられる
「おめでとうございます」というタイムラインへの投稿は、生まれて来たことに
呪わしさを感じるわたしにとっては実に偽善的で堪らない・・・堪らないから
他人の誕生日通知に対しても同じように感じる

  ・・・本当にそう感じるのだ  私以外には感じてはいないのだろうか?

私は他人が本気で自分を歓迎してくれて居るだなんていう厚かましい錯覚を
持つことが到底出来ない・・・本気で歓迎してくれるのはネットワークビジネスの
説明会や宗教団体の会合ぐらいだろう・・・・ああいうときの会場の集まった人達の
相互を食い物にしようと虎視眈々とした偽善的スマイルは堪らないと感じるのは
わたしぐらいだろうか?

お集まりの皆々様には申し訳ないが
わたしはそう言う席ではあからさまに嫌な顔をしているに違いない

そういう「和を乱す我が儘な奴」が歓迎されているわけがないのだ!
如何に笑顔で握手を求めてこようと・・・・


   この「ゼロ円のスマイル」こそがもっとも〝高価な〟ものなのだ
          ネットワーク営業の世界や宗教団体、政治団体の世界では・・・・

    なぜならこれが基本で多くの社会の結束と利害は成り立っているからだ

            「朝一番の爽やかな笑顔と挨拶」

わたしがこれらに嫌悪感、偽善感を感じているからと言って、別に
「こんな儀礼はなくしてしまおう」っと提案しているわけではない
これらは、生まれも育ちも違う人間同士が、同じ職場などで気持ちよく
一日を円滑に過ごすには必要不可欠なマナーだと思うし
わたしもそれは大切だと思う

そう言う意味ではお陰様で、
生きていく最低限の仕事ぐらいはやっていけるようになったし、
完全なニートやヒキコモリになることは免れた

ただし、わたしの父もそうであったように
わたし自身も、高度な腹芸の世界では生きて行けそうもないのだ
それは必ずしも営業の世界だとか宗教組織の世界でだけと言うことはない

フェイスブックのような他愛もない名刺交換システムや、もっと基本的な
日々の家族の絆、温もりを分かち合うステージにおいてもだ

 そこにはほんのちょっとなのかも知れないが、致命的なズレがあるのだ
  それゆえにごく当たり前の家族関係も、息苦しさを感じてしまうのだ

   これらの〝致命的な違和感〟の克服をしようと(つまり克服可能だと)
   奮闘していたのが20代から40代だったが、50代になって
    遂にギブアップしはじめた

最近は父が自分のトシだった頃はどうだったのだろうとよく追憶する
天涯孤独だがその替わり気ままなわたしの現在の生活と違って
父には家族がいた、だが息子のわたしから見ても、彼はわたしと
同じような違和感で苦しんでいたように思えて仕方ない

    父は家庭内において自閉していた
    黙々とテレビの画面だけを見つめていた日々だった
    ただただおしゃべりを続けてくれるテレビだけが父の家族であり友だった
     さぞかし辛かったのではないだろうか?

父は小遣いの中からたまに海釣りに出かけていたが、早朝から夕暮れまで
海を眺めながら父は「人生の意味」「人生の価値」「生きる事の歓び」を
どう感じていたのだろう? 海を見つめながらそれらの答えが見つかったのだろうか?

息子であるわたしも父とはシチュエーションはかなり違うが、
父の死んだ年代に徐々に近づきながらやはり孤独に中にしか
答えを見つけられそうにない

幼稚園に上がる時、幼稚園のよどんだ池の水面を見つめながら、
他の園児との記念写真の撮影を拒んだ幼い時のわたしから、結局逃れることは出来なかった

わたしは50年間、その池の水面を見つめたままなのだ

・・・・それが〝ギブアップ〟の意味だ
    結局半世紀近く経ってもわたしは変わらなかった

そう、回顧してみるとちょっと思ったのは、わたしの奮闘とは
「このままではいけないのではないか?」
「もっと他人と協調していかないとイケナイのではないか?」っという焦りが
この50年間を不毛にしてしまったのかも知れないと言うことだ

これはインナーセルフの指し示した道なのかも知れないな・・・・
この連休中、そう思った

もっと自分のセンターに素直になってみよう・・・そう思う反面
やはり孤立する自分を「イケナイのじゃないか?」っとなじり、危惧していた自分も確かにいたのだ

葛藤は常にアクセルとブレーキの両方を踏み込んでいることによって起きる、から

「自分が必要とされなくなったらどうしよう?」っという
恐怖感は男性にも根強い・・・

女性にとっては〝愛を独占すること〟(結婚)
男性にとっては〝社会的に認められること〟(仕事)

だから男も女も「無為の中に留まる」というのは
「死ぬほど怖くて辛い」ということになる

OSHOブログ「女性の条件付け」

「仏陀か・女性に弟子になることを許さなかったのも、
同し・理由によるものた・。」

「女性は商品として扱われてきた。
そして女性もそれを支えていた。」

「女性は自分か・必要とされることを求めていて、
もしも自分か・必要とされなくなったら、
別の女性か・自分のかわりに使われることになり、
自分は役立たす・になってしまうと考える。」

「必要とされることを求めるというのは、
あまりに大きく、あまりに根深い条件づけた・から、
独力て・それに気つ・くのは不可能た・・・・。」
なぜ女性がキチガイじみた化粧をしたり髪を染めたり
〝女子力アップ〟に日夜勤しむのか?
ダイエットに狂って過食症や拒食症で命を落とすのか?・・・・

アンチエイジングやブランド品に分不相応な大金をつぎ込み
経済破綻していくのか?

単純に「美しいものが好き」「カワイイものが好き」だけ
だからなのか?

なぜ妻は夫の浮気を見つけた時、相手の女を
「泥棒ネコ」と罵り、探偵まで雇うのか?

その答えはきっとここにある


そもそも一夫一妻制は男性の為の制度なのだろうか?
女性が一夫多妻や多夫一妻制について強い嫌悪感を
露わにするのはなぜだろうか?

一夫一妻制に息苦しい思いをしているのは、夫と言うより
むしろ妻なのではないだろうか?

「泥棒ネコ」と「家猫」との陣取り合戦はいつ終わるのだろう?

私も自分自身の結婚式を含め、いくつかの結婚式を体験してきたが
社会的な帰属意識に嫌悪を感じるアスペの私にとって
両家の親族、縁故、友人、知人がぞろぞろ集まり
彼らを立会人にして、たかだか数十年しか生きない私達が
神の前で永遠の愛を誓う・・・・

これが時代錯誤でバカバカしいと感じるのは私だけなのだろうか?


いわゆる「おしどり夫婦」が自然に成立して、夫が死ぬまで
妻だけを愛でる、妻も夫以外は眼中にないというのは
とても微笑ましい光景ではあるとわたしも思う・・・・

しかし、〝自然〟界では、シンプルなひとつがいだけではなく
ライオンやさるのような、オスが中心の複数の家族もあれば
昆虫のような女王蜂や女王アリを中心とした群れもある

人間の世界でも
イスラムでは戦争で夫を失った寡婦の生活救済の為に
亡くなった夫の兄弟がその未亡人を娶るという一夫多妻がある

・・・私にはむしろその方がヒューマニティーがあるように思える

〝貞淑な妻〟を女の鏡とみなしてきた社会意識は、男子の血統を
重んじてきた日本において最も根強い気がするが、男と女が
一対一で独占し合うことが、それほど美しいものなのだろうか?

性的な潔癖性へのこだわりは、個人差はあるが確かに現代の
男性にも女性にもまだまだ強い・・・・

・・・さまざまな男性との情交を求める女性は〝ビッチ〟だと罵られる

しかし、その反面40代、50代でもまだまだ若くて美しい女性が
街を往来していて、今さら彼女たちの「非処女率」を気にする人も
いないのではないだろう

そんなことを追求するのはネット上の童貞軍団ぐらいだろう

女性達もいろいろな男性との恋の経験で、心理的にも深みがまし
人間性にも、その愛情の質も、深みとセンスの多様性も、過去とは
比較にならない

そもそもなんでアラサー、アラフォー、アファフィフの女性達が
これ程までに若く美しく、可愛らしいのかと言えば、化粧技術や
アンチエイジング医療の向上というよりは、彼女たちの
内面のコンシャスが向上しているからではないだろうか?


外面の医療技術はあくまでもその追随に過ぎないのじゃないだろうか?

つまりは女性の生き方の「多様化」「個性化」が進んだことがことこそが
最大のアンチエイジングなのじゃないのかとわたしは思っている

この、「多様化」「個性化」に関しては恋愛のかたち、結婚のかたちの
「多様化」「個性化」も例外ではないと思う


アメリカの大学での意識調査では、
「現代の小学生が成人する頃には(IT化の波を中心として)
今ある職業の80%が消えて無くなり、別の新しく生まれる職種に
替わっているだろう」っという結果があった

愛情や結婚制度が、もう実質内情的にはどんどん変化していると同時に
職業に関しても、私達の慣れ親しんできた職業というのは
どんどんと思い出へと押し流されていくだろうと思う

こんな中で、登校拒否、ニート、ヒキコモリの若者を、単なる怠け者と
一喝出来るだろうか?

ひょっとしたら彼らは次の時代の到来を息を潜めて待っている
サナギたちなのではないだろうか?

生物としての最大の衝動は「生き延びなければいけない」という
サバイバル意識だろう

kiseizyuu-01-237

私の様なアスペや、登校拒否、ニート、ヒキコモリ、・・・・
昔であるならば、無頼漢、一匹狼、渡世人・・・・

こういう〝はみ出し野郎〟たちは「集団VS集団」の戦争をあまり体験しない
自分ひとりの為の生存競争がほとんどだ

集団同士の闘いには、団結の為の戦意昂揚やらもっともらしい大義が必要だ
しかしどこにも帰属意識が無く、集団の大義とも無関係に生きる者にとっては
若いうちは「生き残ること」に夢中であっても、だんだん「生き残ること」と
「生きる」こととにギャップを感じ始める・・・・

〝勝った〟ものだけが、その日の穏やかな夕暮れを見つめることが出来る

しかしこの穏やかな夕暮れの瞬間瞬間には、一体どんな意味があるのだろうか?
「生き延びる」為に無我夢中で闘っていた時と、
「生きている」事を噛みしめている、この一瞬一瞬とには違いがある  それは何か?

これにはどんな意味があるのか?
そこそこアルバイトをしているだけでも何とか生きられる今の時代では
この問いは、
とても多くの人にとっての日常的でありながら実に切迫したものだと思う

結婚制度の一部として
「誰かの夫、誰かの妻、誰かの親、誰かの子供」でもない・・・・
社会集団のメンバーとしての所属とも階級とも無関係な・・・    「わたし」とはだれか?

あらゆる社会的義務とも、権利とも、必要性とも、
誰との比較とも、嫉妬とも無関係になった時

     その時、「私は何でありえるのか?」

       誰も、  誰も、  誰も、  答えてはくれない・・・・

例えこの宇宙の最高権威者である
         〝神〟が
〝わたし〟の正体と目的を告げたとしても・・・

    なるほど、威厳のある白いヒゲの老人が魔法のように私の前に現れて
    私の正体を語るなら、そのSFスペクタクルな特殊効果の様な光景は
    私をワクワクさせ、畏敬の念を抱かせてはくれるだろう

でも、その神を「神たらしめている」のは?            一体誰?
神を神と認定するだけのサニワ、「神以上の権威者」とは?   一体誰?

  そう問うた時あなたは、宗教の信者たちこそが
  何千年もの間、最も謙虚な顔をした、最も傲慢な連中だと気がつく
   そうしてあなたはあらゆる宗教の門から厄介払いされてしまうだろう

          ・・・ ここに生物進化としての究極の問いがあるように思う

   私達は、存在の意味をここまで問い詰めた時、奈落の底に墜ちていく
    その時、
     あなたを支えるもの、あなたの存在価値を認定してくれる者
     あなたに最もらしい、誇らしく気高い称号を与えてくれる任命者は
      どこにもいないことを見つけるだろう

新スタートレック StarTrek TNG 第117話 「両性具有ジェナイ星人-The Outcast」

性別を持たないジェナイ星人達が乗った宇宙船が宇宙の「ゼロ空間」に飲み込まれてしまった
エンタープライズはジェナイ星人達とチームを組み、遭難した彼らの同胞を救出に向かうという話

エンタープライズのクルー達は性別がない彼らに、あるものは興味津々、またある者は気味悪がる
それはジェナイ星人側も同じで大昔に性別を捨てて人工授精で子孫を増やしている彼らにとって
まだ〝原始的な〟性別というものを残して男女に分かれて暮らし、生殖する地球人達にあれこれ
質問するものもいるし、拒絶反応を示す者もいた・・・・

このエピソードを見ながら、ふとフェイスブック上でこんな動画も紹介されていた

まるで魔法!ガラスボールを操る少年のテクニックがスゴすぎて瞬き出来ない


少年の見事なテクニックで中空をぴたりと静止したり、
ムーンウォークの様な手の動きに対してスルスルと滑空するガラスのボール・・・・

「いまここ」の純粋意識というのもこういうものなのかも知れない・・・・

三次元の生活に慣れ親しんでいる私達にとっては、この「ゼロ空間」とも言うべき
ガラスボールは「特異点」に見えるのだが、〝自己探求〟の視点から見れば
これこそが私達のインナーセルフ=純粋意識が何かという事を巧く説明している
のかも知れないのだ

私達もセルフネスの中に帰還した時、そこには性別は存在しない

前記事では男女の恋愛騒動のドタバタ劇を乗り越えたあと、男と女がその性的な
違いを理解し合った信頼関係を、深い絆として確立出来るのではないかという事を書いた

精神世界では、よく4次元、五次元・・・・数字を増やしていってより高度な次元とやらを
やたらと話題にするのだが、私にはどうも数字の遊びの妄想に取り憑かれているように
思う・・・・   なるほどヨクワカンナイ、シャンタンワールド、女達の妄想スピ系ワールドでは
誰もが緻密に説明出来ない世界だからこそ、
誰もがその妄想性を根底から否定も出来ないというアンタッチャブルな
カルトの温床みたいな世界で、ことば遊びを延々としていることが出来る・・・・

わたしもまた、ヨクワカンナイ世界だからこそ頭ごなしに否定したり決めつけたりはしない
しかし、だからこそ女性達の無限大に綺麗事が大好きな傾向性と
スピリチュアリズムの「何でもあり」とが結びつくと、ロクでもない、とりとめがない暴走を
赦してしまうのではないかという危惧はずっとある

これはシャンタン氏との直接の電話経由で聞いたOSHOの発言なのだが
「ムーやアトランティスの超古代文明と大陸の沈没は女性達の嫉妬心のエネルギーが
引き起こした」とのことである・・・・  このエピソードを聞いて私は電話口で思わず
爆笑してしまった・・・・  っと、でもここで文明が丸ごとリセットされ、多くの人々が
阿鼻叫喚地獄のなか、海中に没していったことを思うと、
「あ、これって笑い事じゃないですね」っと電話口のシャンタン氏に向かって
居住まいを正した

「いやいや、これは笑うところだよ」っという、なんとも微妙な同意をシャンタン氏はしてくれた
実はこれもシャンタン氏という人物に対して、ちょっとヤバイものを感じた点である

女性達の「何でもありの妄想癖」とシャンタン氏の世界観とは、
妙に親和性が有るんじゃないかと大いなる危惧を感じた瞬間だった


「ドヤ!」顔で次元数を積み重ねてこねくり回しているスピ系女性達の
アタマグルグル・エリート意識の世界と、
女性達特有の陰湿な嫉妬心とが核融合反応しないことを、
                      わたしは心から祈る次第だ

OSHOが言っていた「ゼロ次元」と言うのに、私は、
宇宙的なシンプルな、シンプル故の絶対的真実を感じる

カタカムナ研究家の吉野信子女史は盛んに
「〝無〟の次元から私達の日常である
〝ふくらみがある三次元世界〟へのプロセスはどうだったのか?」
                カタカムナによって説明を試みている

それはそれで〝正解〟なのかも知れないが、その試みはあくまでも
「日常的な私達の視点」であるyoutubeの動画から
ガラスボールも「動き回ってみえる相対物」として説明しているに過ぎない

もし私達の意識の正体が、ガラスボールの様なものであったならば・・・・?
私達の純粋意識が実は世界の中心であり、ワンネスそのものであり
ふくらみがあるこの世界とは、このガラスボールに映った蜃気楼に過ぎないのだとしたら?



   もしそれが真実であるならば
、  動き回っているのがガラスボールだというのはこの分離感が支配する
   世界観からの視点に過ぎず、絶対座標軸とはガラスボールの方であり
   それゆえにこの「動いて見える」世界は
   「タテヨコ高さ、時間が存在している様に見えている」だけなのかも知れない・・・・

         意識とは世界を映し出すミラーボール・・・
         踊っているのはガラス玉ではなくジャグリングしている
         少年の手????  (もちろん!)

          つまり、これが真実の楽屋裏なのかも知れない

           へだたり、ひろがり、膨らみも、
            その中での〝動き、変化(=時間)〟も
            すべては何も無い一点の中で起きている
                  ゼロ次元のなかで夢見るドラマ?


      この天動説とも地動説とも違うラディカルな宇宙論は
        コンノケンイチ氏の著作をはじめ一部の人々は

          〝全動説(いまここの意識を中心に全宇宙が動く)〟
                                  と呼んでいる
  
   「どうやってふくらみのある空間世界が生じたのか?」っという説明よりも
   私達自身がこのガラスボールであったという自覚に回帰することの方が
   より宇宙の真相を悟り得るのではないだろうか?

   OSHOが語った「ゼロ次元」とはそのことではないかと私は考えている

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