存在には、ヒエラルキーは存在しない、
これは占星学を学ぶ上で最も基本的な視点(仮説)だと言いたい
つまり、
スケールがデカイもの・・・ 例えば我々の人体からすれば巨大な
国家であるとか、天体であるとか・・・
スケールの小さいもの・・・ 例えば細菌とか、ニューロンとか、
分子、原子、素粒子とか・・・
私たちから見て、生物か?非生物か?
同じ生命でも、高度なのか?原始的なのか?
・・・・すぐに比較したがるクセが、私たちには根強くあり
この文明社会を建設した今日まで、多分歴史上
一度も私たち人間は、この「比較するクセ」に関して
自ら疑問を呈したことは無い
なぜなら、価値基準、価値比較というものは、
基本的に自己中心的なものであり、
主観的な視点であるのにもかかわらず
あまりにも私たちの生存欲求と根深く結びついているために
それを疑ってしまうとマインドは途方に暮れてしまうからだ
「比較することの重要性」というのは、
人間の唯物主義的視点を有史以来支えてきたのだ
そしてこれを疑うことはあまりにも恐ろしいことなのだ
だから根深い
もしあなたがビジネスの世界で成功するのならば
この「存在のヒエラルキー」をシッカリ持っておくことが
必要不可欠だ
つまりプライオリティー=価値基準を素早く付けて
それに沿って素早く判断していくことが、ビジネスには不可欠だ
占星学の世界でも、その市民権の獲得に腐心していた
石川源晃氏は、「天体が人間の運命に与える影響」という視点を
占星学が成り立つ上での大前提の仮説として掲げていた
・・・彼は私にとっては恩師ではあるが、
占星学というものを考える最重要な
この一点において、わたしはこの仮説に
常々疑問を感じてきていた
シンクロニスティーという現象こそが、
もっとも大切な占星学的な基礎である気がする
エハン・デラヴィ氏は最新量子論における話題「量子のもつれ」という
現象を提示して、この
シンクロニスティーという現象の不思議さに
物理学的な解明の糸口を見いだそうとしている
フラクタルな渦の幾何学が大きさのスケールを超えて響き合うという
相似象学もまた、この話題には欠くべからざる話だ
つまり、目に見える大きさは、価値とは関係ない・・・
つねに、「大きいもの」が原因で「小さいもの」が結果なのかと言えばそれは疑わしい
私たちは日常で、
自我という統一された意思を持ち、感情を持ち、思考を保ち
脳細胞のニューロンの一つ一つは、その為の演算チップの様なものに
過ぎないと憶測して生活している
無数のニューロンの内、たった1個のニューロンが受信した霊感に
私たちの思考全てが大きく方向転換するかも知れないだなんて・・・
・・・考えただけでもぞっとするかも知れない
・・・そんなにまで脳内とは「民主的な議決」をしているのだとしたら
「わたし」とは一体何だろうか?
それと同じ事が
民族レベルでも、地球レベルでも、太陽系レベルでも
銀河系レベルでも起きているとしたなら?
太陽系内の惑星ひとつひとつのテナントする黄道内の座標位置や、
天体相互に形成するアスペクトや、その他、様々な現象が
人間に対して一方通行の原因と結果で表現されているのだという
前提そのものが間違っていたなら?
もちろん私は、そういう「天体の描く図象」と「人間個人の運命」とが
不思議な一致を示すことはさんざん目撃している
でも、だからといってそれは
「天の事象と人とは不思議に響き合っている・・・」っというだけで充分で
それ以上、私たちが憐れな天体の操り人形であると考える、何ら根拠にはならない
・・・大きいものが原因者で、小さいものたちが単に結果を表現しているだけだと
憶測しがちなのは分かるが、それは憶測の域を出ていない
実際、〝科学的な立場〟を表玄関に掲げていた石川氏の立場からして
そういう表現をしているだけであって、実際は石川氏も宿命論者では無かった
石川源晃氏やジョン・アディー氏は、調波理論の開拓者でもあったので
天体と人の運命との間をつなぐのは、物理的なパワーの因果律なのでは無く
調波=ハーモニック・ウエィブなのでは無いかと、実際は思っていただろう
サーファーを連想すれば良い
人間が風や波を起こすわけでもないし
波が人間をただ物理的に押し流すのでもない
人間は、海の波という地球の誘いにのって
人生を楽しむサーファーなのだと考えるならば、
そこにあるのは宇宙的な戯れだけ・・・・・、
そこには運命の支配者も被支配者も存在しないのだ
山下達郎 Big Wave ~ I Love You(Part I&II)
・・・・いや、本当に良い波は、自分の手で作れるのかも?????
サーファーが発明した手作りビッグウェーブのアイデアが凄い
今話題になっている映画「インターステラ」とは、まさしくそういう映画だ・・・・