We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

2014年11月



マインドは「良いモノもある、悪いモノもある・・・・」っと言い続ける

でも実はマインドそのものには
ネガティブ=消極性も
ポジティブ=積極性も   存在しない・・・




「“良いモノ” “正しいモノ” “好ましいモノ” を
  見つけ出し、選択し、 そちらに向かって歩いて行くことは
   “ポジティブなマインド” じゃないんですか?」

っと言う人もいるかも知れないが、そういう選択、そういう行動というのも
常にバックグラウンドに何かに対する恐怖、不安、拒否があるならば
そこにはマインドが機能している

そしてマインドが機能している以上、全く影を落とさないと言うことはない

必ずなにがしかの混乱、葛藤の要因がつきまとう

あなたがいま読んでいるこの記事の文面もそうだ

文字で書き表されたことには必ず解釈が必要で、
そこには誤解されるリスクがつきまとう

それゆえに、世界の教典、聖典、哲学書が数あまた存在しても
それで世界が真実で満たされると言うことはなく
むしろ混乱と宗教戦争の火種になってしまうのだ

   ・・・言語化されたモノの絶対視には、常にその危険がつきまとう

この危険を最小限に抑える表現手法が、 内垣のおじいちゃんが言うところの
ポエム(詩)、寓話、神話、である・・・

ナーラーヤン内垣

  言語を使いつつも、それでマインドを刺激するのではなく
   恍惚感を湧き上がらせる、想起させる、それがポエムだ。

例えば・・・

今のあなたを癒す色が「山吹色」であったとしよう

256色であればこれ、true-colorであればこれ、・・・であったとしよう・・・

この一色を見た時に、あなたは恍惚感を感じるだろう

その時にはマインドは機能しない・・・

あなたの全身が、全細胞が、この色に反応するだろう

神話的な「ワンダフル」な感覚があなたを包むだろう

マインドとは、「良いモノもある、悪いモノもある・・・・」っと言い続ける

    ・・・それ自体が、実は“ネガティブ”な精神作用なのだ!

      つねに、「あれか?これか?」という精神状態にある

 「それは紅色ではない」
 「それは深緑でもない・・・」
 「それは焦げ茶でもない・・・」 こんな試行錯誤を繰り返す、延々と・・・

      その選択状態、その葛藤状態、その迷い、・・・
       それ自体がマインドであり、

         「私はまだ答えに辿り着いていません」

              っというシグナルなのだ・・・・


  恍惚の瞬間、マインドは静止する、言葉は、失われる・・・選択は、ない

   そこには、何の努力も、 何の迷いも選択もなく、  時間は静止する

           それは性の絶頂=エクスタシーの瞬間もそうだ。

              その瞬間は 「是非もない」 のだ!


アタマ=マインドよりも、ボディーの方が賢いことは議論の余地もない

あなたのアタマが「脇腹が痒い」と言ったとしよう

でもあなたのボディーは、「脇腹の何処が、どの様に痒いのか?」
より正確に知っている、感じているのだ。

その総合的な感覚の、部分的な翻訳、言語的抽出がマインドなのに過ぎない

ところが、この言語的抽出=つまり身体感覚のデジタル化は非常に便利だ

私たち人間はこれで社会を形成し、文明を形成し、自然の猛威を
飼い慣らしてきた・・・・

社会制度、結婚制度もこの上に成り立っている

「身体感覚のデジタル化」とは、
「微妙な瞬間瞬間の感覚の “切り捨て” 」のことなのだ・・・・

あなたは例えば結婚していて、パートナーを「決めて」いる
街角で、素敵な異性とすれ違ったとしても、その感覚は
なかば自動的に “切り捨て” る。

「見た」「感じた」けれど、
「見なかった」「感じなかった」ことにしてしまう

  そうやって、自分の中に瞬間瞬間わき起こってきた
  ヴィヴィットな感覚を 機械的に “切り捨て” て生きることが
  大人(オトナ)なのだと、私たちは納得している・・・・

「教訓、教訓・・・」

「知らない人を見かけたら
   付いていきましょ~~」

by cowboy-bebop EDO



 





   動物の親が、子を突き放す瞬間、巣立たせる瞬間、それは
   全細胞で感じる、・・・・その瞬間を・・・・

    動物たちはパートナーを変更するために
    教会や役所に許可を求めに行くことはない


それをやるのは、マインドに依存しきった、私たち人間だけの習慣だ

 ・・・なぜなら文明社会のルールとは、とても便利で、とてもパワフルで
    それゆえにこのパワフルな道具に、私たちのアイデンティティーさえ
     依存してしまっているからだ! 

     この依存から、一歩踏み出そうとするだけで
     家族からは非難され、友人は去っていく。

      とてつもない勇気が必要で、
      アローンネスを理解し、受け止めなければいけないからだ





「これだ!」っと思った瞬間!、
 運命を感じた瞬間、真実と出喰わした瞬間
      人はアローンになる。ワンネスになる

        思考は止まり、恍惚に襲われる・・・・

「良いモノ、悪いモノ」という考えは消滅し、
人類の全ての経験律的蓄積は後ろに退き
「いまここ」というセルフだけの状態にあるのだ


マインドがなぜ「大空」を覆ってしまうんだろうか?

大空とは空間のことだ
広々とした空間.....

つまり、マインドに覆われ、囚われた人生とは
「狭さ」「圧迫感」を意味する

「いまここ」とはマインドから見れば逆に「狭さ」を感じるだろう

なぜなら「いまここ」とは時空間においては「点」だからだ

「点」の中ではマインドは動き回れず、窒息する


ところが、「いまここ」からみれば、マインドとは過去からの条件付けであり
「過去はこんなだったから・・・」「こんどはあんな風になるに違いない・・・」
という推測に過ぎない

瞬間瞬間、本当は人生に二度と同じ繰り返しはなく新鮮な状況だ
でもわたしたちは過去に貼ったレッテルを引きずり続け、印象を持続させ
それによって新鮮なはずの「いまここ」に対する陳腐な解釈に埋没し
新鮮な「いまここ」を見逃し続けてしまう

だから「いまここ」から見るならば、マインドこそ閉塞性であり、不自由さなのだ

マインドの機能とは基本的に「快適さの持続」「快楽の再現」にある

過去に食べたあのメニューが美味かったから
またあの店に行く・・・・・

過去に買ったあのメーカーの製品が気に入ったから
またあのメーカーの製品を買う・・・・・

過去不愉快な思いをさせられたから
もうあの人とは会いたくない・・・・・

過去、あの曲に感動したから、
あの曲を買って何度も再生する・・・・・

そして目的・動機・欲求・期待があり
その手段を探し
その結果を得ようとする

人生のほとんどはその繰り返し、
学習し、それを反復する・・・・

気の会う友達と会い、
気があった異性と結婚し
イヤな奴、嫌な状況はなるべく回避して生きる

自己をプログラムし、自己に習慣を植え付け
そしてより望ましい未来を手に入れようとする・・・・

   最終的には、これら「マイ・フェバリッツ(お気に入り)」を編集し
   擦り切れるまで反復し続ける・・・・

   そして、人は言う、

    「これが私です」
     「このお気に入りの違いが私の個性、私の人生なんです」

だから往々にしてこの「ループシステム」を完成さえ、無限に反復出来る
状態に辿り着くこと・・・

  たとえば「商売」、たとえば「趣味」、たとえば「人間関係」

    これらの無限の欲望継続拡大システムを
     私たちは理想とする「天国」だと思っていないだろうか?

ループ
鈴木 光司
角川書店(角川グループパブリッシング)
1998-01-23



この一つの最も顕著な例が女性にとっては「結婚」であり
その為の「婚活」ではないだろうか?








こういう営みを「バカバカしい」とも、無意味だとも、無価値だとも思わない
事実、価値というのはこういう試行錯誤の中から生まれてくるのだから・・・・

ただし、この“堆積”が、本当の意味での「自由」を圧迫してしまうことも
また真実ではないだろうか?

だから、結婚というモノが得てして、ハッピーな天国へのゴールであるかの様で
ありながら、ほんの僅かな期間で
「価値観の違い」だの「生きる方向性の違い」だの、
「倦怠」だの、「束縛、義務、惰性」だの・・・・・
     ・・・・という、「この世の生き地獄」へと変わってしまうのではないだろうか?

私の両親がそうであったし、私が出会ってきた男女の多くが
それでもがき苦しんでいるのを、まるで私の両親の苦しみの反復のように
目撃してきた・・・・

   で、わたし自身の離婚経験は?  っというとこれはこれらのウンザリするほどの
目撃例とは、当然違ってきた。

  わたしの結婚~離婚において「倦怠」と言うのはなかった

   なぜなら、私の場合は、完全に妻は自由だったからだ

    ・・・しかしそれはそれで「寂しい思い」をさせてしまった様で
      知らぬ間に浮気されて、(それを私に悟られる前に)
          いきなり離婚を切り出され、終わりだった

何と結婚とは難しい事か? 何と愛とは難しい事か?

不自由に縛っても駄目、放任でも駄目・・・

これがマインドで考えて得られた愛の行方だった

マインドで自由を求めれば不自由を得る

マインドで愛を求めれば愛が死ぬ

マインドそのものが、やはり人間の不自由さそのものなのだからなのだ!!!!




OSHOの 「存在の詩」・・・・

その中でも最も私の大好きな部分を抜粋、動画化してみた

00:01:54,114 --> 00:01:59,986
When I came back my mother used to ask,
”What have you been doing the whole morning?”

帰宅すると、母はよく問いただしてきた
「朝っぱらからずっと何してきたのよ?」

27
00:02:00,220 --> 00:02:01,588
I will say, ”Nothing,”

「な~~んも」っとわたしは答えたものだ

28
00:02:01,588 --> 00:02:06,226
because, actually,
I had not been doing anything.

なぜなら、実際のところ
私は何もしていたわけではなかったのだから

29
00:02:06,226 --> 00:02:11,664
And she will say,

”How is it possible?
Four hours you have not been here,

すると母は言った。
「そんなことってある?」
「だって、4時間も抜け出していたじゃない?」

30
00:02:11,664 --> 00:02:15,235
how is it possible
that you have not been doing anything?

その間、な~んにもしてないだなんて
有り得るのかしら?

31
00:02:15,235 --> 00:02:18,71
You must have been doing something.”

何かしてたに違いないわよ!」

32
00:02:18,71 --> 00:02:21,474
 And she was right,

そう、母は正しかった。

33
00:02:21,474 --> 00:02:24,77
but I was also not wrong.

だけど、わたしだって間違ったことは言ってない

34
00:02:24,77 --> 00:02:27,13
I was not doing anything at all.

わたしは、なにひとつしてはいなかった。


「母の言っていることは、正しかったが、でも
私も間違ったことは言っていなかった・・・・」

このチャンドラ・モハン君と、お母さんとの会話の中に
私は全宇宙が存在している様に思う


この母と子の会話の食い違いが指し示すものが、
日本の禅を死文化にしてしまったのだ。

日本のヤクザの有名な言い回しに

「型に入って、型に出る」というのがあるが
実際、型に入ったまま、硬直化して死んでしまったのだ、禅は・・・

それを、蘇らせようとしたのがOSHOだった

私はそう思う


だから、日本人の脳みそはガチガチだ

日本の社会はタテマエだけのカサカサだ


そして本音の語れない世界になってしまった

本音を語る人を、「空気の読めない奴」と村八分にする世界だ


すこし、頭を柔軟にするためにものを言えば
体育会系のバカが「お前は口だけの野郎だ」と酒の勢いで威嚇してくる
救いようのない筋肉バカ・・・・

自分のアタマの悪さを暴力や酒でうやむやにしようとするヤクザ崩れ・・・

レディーファーストを逆手にとって勘違いしてビジネスにしている
スピリチュアル女・・・  そんなのが「自立した自由な女」なんだってサ!

最後に出て来るのは全宇宙を創造した「最高の神」を名乗る創価崩れの教祖様達・・・

・・・総じてこんなのが、フェイスブックなんかでも自己PRしているようだ


   私にとって、こう言う手合いは、単なるタテマエの「お友達」さえ
   ちょっと無理だ・・・   お断り・・・・

   上記の様なOSHOの「無為自然」の真意が分かる人、
   これが私がプライベートな本当の意味での親友と呼べる絶対必要条件だ

   で、なければ、オトモダチは無用です・・・




燃えよドラゴン~鏡の部屋の決闘~ED 投稿者 santoriimanwh

「ボールベヤリングの様なモノを想像してみて下さい」

「それらが沢山縦横に並んで相互に映し合っているのを・・・・」


BASHAR WORKSHOP_1p9 バシャール・ワークショップ同時通訳付き


(1)「感情の解放と意識の進化」 1988.03.05    
(2)「創造性の開花とヴィジョンの達成」 1988.03.13
(3)「創造的人間関係」 1988.03.14

part1= sm3013163     part2= sm3013490     part3= sm3013756     
part4= sm3014042     part5= sm3014614     part6= sm3014891     
part7= sm3015199     part8= sm3015398     part9= sm3015589  

「人生にイエスと言ってご覧」

「人生にイエスと言って微笑めば、人生もあなたに微笑み返す」

by OSHO

マヤのカレンダーが終わる、すわ!人類滅亡か?
っと世の中がソワソワしていた2012年の夏、
明治神宮の夕べは花火大会を見物に来た若い男女の
浴衣姿で賑わっていた・・・

そこを自転車で通りかかった私は、
いつもはちんちくりんなファッションで
粋がって歩いている浴衣姿の若者達のそぞろ歩きの間を
         縫うようにのんびり自転車を漕ぎながら・・・・

 ・・・・突如、とんでもない思いに囚われた

    「この人達はまるで現世と黄泉の国とを
      笑いさざめきながら往来しているかのようだ・・・・」

     「・・・この人達は知っているんだ!」

    「自分がいつ、どんな死に方をするのか??もう知っている・・・」

この突拍子もない思いに駆られたとき、わたしの今までの
いわゆる「使命感」というのはぶっ飛んだ!

  自分の運命の全てを知っていて、
  
全てに覚悟が出来ている、
  
この若者達に、

          私は一体何が出来るというのだ?
                  何を教えられるというのだ?

   そんな事は何一つ無い!!!

    文字通りの「釈迦に説法」ではないか??



あなたが、全ての人がブッダに見える日が、突如来る

  それを私は知っている・・・  

    それは誰にも起こる

      それを私は確信している・・・




その瞬間、あなたには何が起こるのか?

その瞬間、あなたは「為すべき事は何も無い」ことを知るだろう

その瞬間、あなたはあらゆる義務感から解放されることだろう

        喰う、寝る、遊ぶ・・・  あらゆる事が起きるが
                         何一つ「起きること」はない

わたしは、  あなたに、  「教えて上げること」  は何一つ無い


皆神山とスメラミコト

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「スメラミコト」という言葉は、「統べる者」を意味するとも言われ、古代から天皇を示す言葉として用いられてきたものです。

しかし、その真意は、単に天皇という存在を示したのではなく、本来の太陽と月と地球の働きが取り戻され、本当の三位一体となった時、
「一人一人が自分の宇宙を統べる者になる」
という意味だったのです

以下、私の記事
2014年11月09日 より


・・・・それだけ天皇という存在は巨大なのです

      0912 天皇の価値(1~3)、国民を護るということ
      http://www.nicozon.net/watch/sm7271570


この天皇家に集中する負担を、どれ位私たち日本人ひとりひとりが
分担出来るかと言うことに、日本社会の未来がかかっているのではないかな?

     ・・・私はそう思う


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