We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

2014年10月

「人類の敵」のラスボス・・・それはファンファン大佐・・・じゃなくって
ファンファン大佐


それは「愛」だと、私は思う

「愛」とは無条件に人類を甘やかすものではない

もしそうだとしたならば、人類はとっくにパラダイスにいるか?
あるいは <「愛」など無力である>かの、どちらかだ

愛とは、少なくとも・・・・
乙女達が大好きなピンク色の優しいハートではない

愛は、必要ならば
一瞬で一つの文明を破滅させることさえする
ワイルドで残酷な面相も持っていると思う

愛は、別に人類だけにえこひいきしたワケでは無いだろう
そう考えるのは、人類が身勝手だからに過ぎない

人間は「あなただけを愛する」という
えこひいきの歌をラブソングと呼んでいるが・・・・

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・・・・愛は全ての存在に対して、まったき平等だと思う
そうでなくて、愛が機能しえるだろうか?

愛は、自分自身に目覚め
そして、いくつもの困難を乗り越えながらも
自分自身への尊重にたどり着ける進化に、
向かっているのではないだろうか?

全ての存在、全ての種族が、“ほとけ”という進化の頂点を目指し
進化の絶頂へと羽化しうる生命に貢献する為に機能している

その原動力こそが“愛”ではないだろうか?

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つまり、諸法無我たるダルマ(宇宙法則)・・・そのもう一つの側面こそが
愛ではないだろうか?



Spoon boy:   Do not try and bend the spoon.
          That's impossible. Instead... only try to realize the truth.

Neo:        What truth?

Spoon boy:   There is no spoon.

Neo:        There is no spoon?

Spoon boy:    Then you'll see, that it is not the spoon that bends,
           it is only yourself.


分離感をどうにかしようだなんて思わないことさ・・・
そんな事出来るわけない
・・・単に「あるがまま」を受け入れればいいのさ

「あるがまま」って・・・?

「分離」なんてどこにもない

「分離」が、・・・ない?

探してご覧よ?  何処に分離がある?
あなたに「分離感」があるだけなんだよ・・・




早く打とうとするな・・・“早い”と知れ!

「無心に打て!」

よく瞑想会などでは
「さああなたの内側に入っていきなさい」というが
では、どこからが内側で、どこからが外側なのだろうか?

一般的にはその境界線は自分の肉体の皮膚だろう

つまり、肉体こそが自分であり、
肉体の外を「外側」と呼ぶ

だから、手や足を事故で失ったり、不自由になったりすると
もちろん肉体生活は不自由をきたし、
それゆえ「自分の一部が失われた」と感じてしまうのも当然だ

しかし、昨日私が感じた「内側と外側」は、
自分の皮膚とは全く無関係なところに見えた

そこは、何の変哲もない野原だった

そのドラえもんで出てきそうな空き地に
ドラえもんが出すような「何処でもドア」が突っ立っていた

そのドアの片方が「外」であり、もう片方が「内」であった

わたしは「内側」から必死に押していた
「承認欲求」によって必死に内側から外側へむかって
「何処でもドア」の扉を開けようと必死だった

でも、そこで突然私は、その「承認欲求によるタックル」を
ドアに対してやめてみた・・・・

     ・・・・すると、そのドアはみるみると溶けて消えていった


残されたのは、ただの野原と、唖然と立ち尽くしたわたしだった

そこには「外と内」とはなかった

それは表を開けても真っ白な何も書かれていない
一枚のタロットカードだった

・・・そこにはあらゆる解釈、あらゆる説明が拒否されていた

          ・・・そこに、まったきの自由があった・・・


「外と内」とを隔てていた壁は、
私が「承認願望」によってタックルし続けていたから
それと同じ強さで押し返されていただけだった

だからそこにはまるで「壁が実在するかのように」押し返してきていたのだ

      そんなものは

       はじめから

        なかったのだ・・・・

「自分を認めてもらいたい・・・」
その狂おしい気持ち、それ自体が、こころの「外と内」という壁を
形成していた・・・・なんという皮肉だろうか!?


すべての分離はあなたの錯覚~〝night and day〟




「信じる事とは疑わないことだ・・・」

一見、正しく見えるがちょっとだけ考えてみれば
ゼンゼン間違っている・・・・ 
そしてこの間違いは「極めて危険な猛毒」である・・・・

この重大な真実を私は五井野正=ウィッピーのところで
20年かけて、何百万円もかかけて反面教師的な意味で学んだ

ウイッピーとは、
五井野正は絶対天才、口に出すこと全部は絶対真理」と言うことが
大前提の集まりであり、それはまるでミニ池田大作の世界だ

確かに彼のひらめき、アイディアには目を見張るものがあるが
それゆえに「絶対天才!絶対真理!!エイエイオー!!!!」なる空気が
ウイッピーには満ちあふれている

その空気の中で会員達は思考停止、「自分たちは選ばれしもの」という
エリート意識を身につけている為に、・・・

   「今が不遇でも、それはソンテチャクの妨害で・・・・」

という絶対防衛ライン-「プロテクト666(自閉症モード)」-が作動しまくっちゃっている


「信じる事とは疑わないことだ・・・」

このゆがんだ発想に、どれだけの人々が引っかかり、苦しんでいるのか?
ちょっと想像してみて欲しい

どれ程の争い、どれ程の残酷さと狂気、どれ程の宗教戦争を、
この言葉は引き起こしただろうか?


   ・・・これこそが「世にはびこるカルト宗教」の土台、温床ではないだろうか?


この「プロテクト666」の解読にはまず
「信用=beliveと信頼=trustの違い」を理解する必要がある

世界の基軸通貨、ドルはユダヤの私立銀行群・FRBが勝手に印刷しまくっている

金のなる木を握っているのだからユダヤが金融の王者になるのは当然だ

ところが、お金というのは無計画にジャブジャブ印刷しても価値が下落してしまう
・・・つまりインフレだ

要は市場に溢れかえってしまうものは貨幣であれ商品であれ、すぐに需要より供給が
上回ってしまうので、相対的に価値が下落してしまうのだ

そこで、まず、「エネルギーは石油だけですぅ~~」という状況を作り、まずはライバルだった
石炭をダンピング合戦でぶっつぶし、フリーエネルギーの開発に成功したと聞いたら
即、すっ飛んでいってその開発者はぶっ殺す

そしてパレスチナ問題を筆頭に、常に石油産油国で紛争を起こし、
ジョン・ウェインよろしく世界の保安官、アメリカが介入して
その用心棒代に「石油の決済は今後ドル建てでな!」と言い残して去っていく

すると世界のドル需要はまた復活して、ドルデフォルトは無事解決~~~っというわけだ

    ・・・・これが、信用の世界だ

          そのバックボーンは、行き着くところ武力、暴力、恐喝だ

          信用には常に「バックボーン=理由」が必要なのだ

信頼には理由は必要ない。担保も保険も必要ない

ただただ、それが選択の必要もなく、疑う余地もない
疑うと言うことも知らない

でもそれは「疑ってはいけない」という禁止を意味するのではない

それは率直な疑問は持つ

そしてその疑問を問い正すことに、何の躊躇いもない

  「ねえパパぁ~~、あの王様は何で裸なのぉ~~?」

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子供の率直な質問に、大人達は常に慌てる、赤面する、そしてその子の手を引っ張って
公衆の面前から引っ込める・・・

でも、率直な疑問と、大人達の体面と、どちらが真実に近いだろう?どちらが天の想いに
近いだろう?

わたしたちは常に依存出来る相手を探す・・・いつも頼れるボスザルを探すという
太古からの猿社会的習慣からまだ目覚めないでいる。・・・寄らば大樹。

だから素晴らしいメッセージをもらったら、そのメッセージに暫く酔いしれ、次には
快楽原則の常として、「次の素敵なメッセージ」を期待しはじめる

そういうことで何度かその同じメッセンジャーからの素敵なメッセージをもらうと
わたしたちはもうそのメッセンジャーを「召し屋」=救世主に仕立ててしてしまう

そうなってしまうともう、そのメッセンジャーが「うんこ~~」と叫んでも
ありがたがって涙を流し、手を合わせて拝んでしまう

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率直な疑問というのは、信用の欠如なのではなく、信頼の強さなのだ

率直な疑問というのは、そのまま人生の最大の鍵となる

「なんで人は病むの?なんで人は老いるの?  ・・・なんで人は死ぬの???」

「いやいや・・・何よりも・・・   私たちは何故、生まれてきたの?」

この、素朴な質問が、ゴーダマ・シッダルータをブッダにしたのだ

死を覚悟した者、死を明確に意識した者である・・・っと言う解答は
数ヶ月前、自分自身で気が付くことが出来た

昨日、久しぶりに岸 義福先生グループと合流し
この解答はもう一つあることを教えてもらった

それは、
「自分自身がかけがえのない唯一
(アローンネス)であることを
自覚した者」  ・・・である

まあ、死を目前にすると、それは自動的に意識せざるを得ないので
この二つの解答は、領域としては第一の解答とダブる要素はあるが、
必ずしも死を背負って無くても、自分自身の唯一性を自覚することは
、大いに有り得るので
やはりこれは二つ目の解答となる

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