We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

2014年05月

以前のブログ(抹消済み)で、「無条件の愛」という言葉の危険を指摘させてもらった。


そもそも、「愛」とはなんぞや?

・・・こういった抽象度の高い言葉の定義は当然、千差万別、十人十色だ。

  以前若い女性と話していて、
   「愛って、優しさのことでしょう?」と言われ、
    アゴがはずれそうになった経験がある。


  たぶん、いま同じ問いを発するならば、
   「え? 愛って当然経済力だよね?」とか言われ、
    今度こそアゴが地面に落っこちるかも知れないから
    イマドキの女性にはそんな質問は訊かない様に留意している。


そもそも、「愛」という現象の言語化自体に暴力的な要素がある。

言語化とはロジック化なので、「愛というロジックを越えた現象」を
言語化しようと試みている時点で、ヤバイのである。

そこへ持ってきて「無条件の愛」というと、もっとヤバイ



  もちろん、
  わたしなりにこの言葉の美しさは理解しているつもりだ。

そもそも、「条件付け」こそが「愛」の正反対であり
「~~したら、あなたを愛しましょう」
「あなたがXXであれば、私はあなたを愛する」
などというのは言葉の遊びも甚だしい。

“受験戦争”という言葉が聞かれる様になった頃からの
教育ママゴンの「あなたの為を思って・・・・」というフレーズは、
斉藤一人の「地上が天国になる話」によって
その正体が、「愛」ではなく、むしろその対極の
「劣等感」「強迫観念」「世界への不信感、不安感、危機感、・・・」
であることが暴かれた。

  ※ たぶん、ママゴン自身がペットへの「餌付け」や「調教」と
     我が子への「躾(しつけ)」とを混同しているのだろう。


しかし、これ程までに明快に解明されたことであるのにもかかわらず
残念ながら、この地上には、いまだ劣等感や強迫観念が
満ちあふれている。

   原罪思想、罪悪感流布の....
    進撃のキリスト(人類奴隷化)、恐るべし!!
     【動画資料】zeitgeist 時代の精神

   さらにその劣化コピーの
  キムチ・キリスト壺売り教、キムチ折伏ナンミョー学会、たまんねっす!!
    “ ニ ダ ヤ ”が解るとユダヤが見えてくる
     

さて、これ程までにあらゆるカルマの吹きだまり状態の現地球において
「無条件の愛」とか、(愛に餓えた)ネラーの目に留まろうものなら、さあ大変で、

即座に、

   「無条件の愛、かよ!?  そっか!だったら全財産くれや!!」

   「ついでに、俺の奴隷になれや!」

                    とか、  彼ら、マジで言い出しそうだ。


「無条件の愛」  っと言う言葉自体が、即、
「有条件の愛」  っという概念を生む。

  「優しくしてくれるのが愛」
  「甘えさせてくれるのが愛」
  「構ってくれるのが愛」
  「囲ってもらってこそ愛人」
  「愛しているなら、カネをくれ!養ってよ!」 っと、
               本気で言い出す人間を輩出させる。

そういう人は厳しい愛のカタチを学べる
「女王の教室」でシゴかれた方が良かろう



本来、愛とは「無底(底なし)を根底としたエネルギー現象」だ。

だから、無条件の愛とは底抜けの愛のことでもある。

いや、そもそも「愛」に
「無条件の~」  やら
「有条件の~」  やら、があるのではなく
愛という現象自体が、「無条件さ」であり「無分別さ」であり
              「底抜け」の美しい狂気である。

和尚ネオタロット:22.Innocence
   イノセンス(無垢)
(解説書はココをクリックすると別窓でテキストが開きます)



和尚ネオタロット:49.Love    愛 
(解説書はココをクリックすると別窓でテキストが開きます)




OSHOが「愛」という漢字の構成を生前ご存知だったかは知らないが
(たぶん知っていたと思うが)

「愛」とは「受容性の中心にある(真=ま)ごころ」と書く。

「(イヤイヤ、しかたなしではなく)本音の真心からの全ての受容性」

                ・・・・それが、漢字の「愛」の構成である。

だから、受容性の素晴らしさを強調して止まなかったOSHOの講話は、
〝愛〟という文字の構成の真意を見事に再現していたとおもう。

しかし、このデリケートなナザレのイエスの「神の御心」の世界を、
     デリケートであるが故に、いともた容易く悪用して成立
     した(パリサイ人プロデュースの)キリスト教とは、
まさに「ダース・ヴェーダ」・・・・

(「神の愛」「自己犠牲」という
 美名の許での)

   ・・・・〝殺戮の教典〟だ。   





「無条件の愛」という言葉の流布とは、かように誤解を招く
おかしなホームラン王!、恐るべき危険性を孕んでいる。
キリスト教徒に「無条件の愛」だなんて言おうものなら、
即座に
 (西欧社会で二千年間愛好されている人間干物グロ・フィギュア)
  十字架を取り出して、目をしばたたかせて言い出す。

「そうですね!わたしたちは主、イエス様の磔の姿に
 無条件の愛、無限の愛をいつも感じるのです」 ...って

  
  キメえんだよ!!羊の皮をかむった
  偽善の教典主義者どもはよぉ!!


  立川の聖☆おにいさん(ジョニデ似のロンゲの方)には
  この問題を、いま、どう感じているのか?是非突っ込んでみたいところだ。



そもそもこのトマスのエピソードは、イエスの復活劇が
邪悪なウソであることの大切な証拠である

キリスト教では「私は命である、私は復活である」と
渋谷駅前のマイクロフォンで喧伝しているが・・・・

それは、この「トマスが聖痕に指を入れてみた」という
エピソードが重要な“証言”となっている

確かに生命の偉大な働きのひとつは
「ホメオスタシス(恒常性)」にある

もし、トマスが出会ったというイエスが、死体(ゾンビ)で
あったなら傷口は開いたままなので指を入れることが出来る

しかし、もしトマスが出会ったのが、正真正銘の生きた
“ナザレのイエス”(生体)なのならば、肉体は修復しようと
大急ぎで傷口を塞ぐ為に指を入れるなど不可能だからだ。

つまりこれは、<復活劇を仕組んだ者達>がでっち上げた
奇跡の証言なのだ。

十字架で果てた弟のイエスとそっくりの場所に切り傷を付けた
一卵性双生児の兄イエスが、復活の証言に必要な最低限の
人達と会ってまわり、正体がばれる前にさっさとどこかに消えて
I'll be back 私は再臨する」と言い残したのだろう。

                (死の教典)キリスト教、一丁上がりぃぃ!


弟イエスは本当に素晴らしい人物だったのだろう

だから、彼の言葉に感銘を受けた人達も多かっただろうし
復活と再臨を望む“願望”も強かったに違いない。

そして、その当時ローマ帝国の圧制下で、救済を切望していた
ユダヤの民、その他の民族が多かったことを考えれば、救世主を
切望する人々の期待感が如何にムンムンしていたか?

そんなところに、この “奇跡の復活” を目にしたら、どうなったか?
察するにあまりある

「水の上を歩いた」 「どらえもんの様にパンを出しまくった」

あとはもう etc...etc...etc...  もともとプロデュースされたことなのだ

脚本家達があらかじめ用意したデマゴーグ達やら、弟イエスの
本当のファンの人達やらが入り乱れて、..迷える子羊たちが
唾を飛ばし、興奮して語り合った奇跡のエピソードのオンパレードである。

西欧社会が潜在的に抱えている劣等感、罪悪感は察するに
あまりある

キリスト教と言えば、すっかり“白人文明の根幹宗教”なのだが
彼らにとって最大のタブーは、当時のユダヤの民はスファラディー、
つまり浅黒い肌のセム系の人々であり、彼を磔にしたローマ帝国こそが
白人であることはガチだということだ!

   「自分たちで磔にした人物を神の子として信仰している」

これほどの自虐的な世界があるだろうか?

だから、イエスの脇腹を刺したロンギヌスが、その返り血を浴びて
目を癒されるというエピソードが、どれ程白人にとってすがりつきたい様な 
“寓話(ファンタジー)” なのかは、白人達の心境を想像するにあまりある。

キリスト教というのは、二千年間の罪悪感による集団ヒステリー(狂気)である

 では、この兄イエスと共に、この人類愚民化、奴隷化ヒステリー教を
 プロデュースした <悪の天才達> は誰か?

 彼らは、二千年も前に人間の心の弱さ、洗脳の心理学を熟知している

  となると、素朴な人間ばかりだった当時に、そんな連中は多くはない

  つまり、かれらは決して疑われないところに我が身を置いて
  この遠大な人類の奴隷化の脚本を演出した・・・・

  かれらは当時も今も「敵の中に身を隠す」ウィルスの様な連中だ

    つまり、映画「インサイド・マン」=偽善の律法学者達だ

    かれらこそ、「自由・平等・博愛」の演出者

    かれらこそ、「スピリチュアル、ニューエイジ、エコロジー」の


               そして 「無条件の愛」 の宣伝マン達だ



  「バシャやんはこの事(「無条件の愛」のバーゲンセール)に
   責任持てるの?」っとわたしは以前ブログで追求したら、・・・

  「チャネリングの言語化は伝達ミスも多くて...」とか、バシャールには珍しく
  釈明的な記事がPLANET NEBULAに翌日速攻でアップされてワラタ


で、今回のお題は「引き寄せの法則」なのだが、
これは、いわゆるスピ(スピリチュアル)系と、脂ぎった成功法則系との
双方にまたがって、絶賛浸透中である。

しかし、(気がついている人も多いと思うけど)

“引き寄せる”動機が、エゴからなのか?愛からなのか?というところに
違いがないのか? という視点から、まず指摘させてもらいたい。

そもそも、なぜ?「何かを引き寄せたい、のか?」と問うならば、
そこに欲(望)があるからだ。

成功法則の伝道師達はそこで、その問題を問われる前に

「お金を受け取る(お金儲けを目指す)事への
 躊躇(ためら)い -罪悪感- を振り払いましょうね!!」っとくる。

まあ、確かに間違ったことは言ってない。

現代は貨幣経済にドップリの世界なのだし、それは最低限の生活でさえ
必要不可欠なのだから、「貧しき者は幸いです」みたいな

 貧乏礼賛教、
  自己否定教、
   罪悪感注入の悪魔教のタワゴトを払拭することは良いと思う。

しかし、

   「人々の必要を満たすのには充分だが、
       欲望を満たすのには地球は耐えられない」

         っというガンジーの言葉は真理であると思う。

つまり、そこのところの“境界線”が明確でないままの「引き寄せの法則」
というのはたんなる欲望の際限なき刺激でしかありえず、それが今の




  「今年FXでAさんは43億円を稼ぎました」     
  「ねえ?そうでしょ?Aさん」
  「ハイ」

  「さあ!、あなたもこころ(無限の欲望)を
   解放するのです・・・」


    といった成功法則 アドバルーン商法の氾濫へと繋がっている。

「金融ビッグバン、ユダヤの巨大カジノに日本人はカモられる!?」
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動画:上杉鷹山:200年前の行政改革
動画:上杉鷹山:200年前の行政改革

    アメリカン・ニューエイジ・ムーブメント、
            ニューソート(成功哲学)とは
             “彼ら”が仕掛けたものだから・・・・

一般的に「引き寄せの法則」と呼ばれている“何か”とは、
実際的には「欲望のたぐり寄せの法則」と呼ぶべきだ。

最近は「セレンディピティー(意外な連鎖成果)」という言葉が
流行りだしている。 わたしはこちらの方ならばまだ、従来の脂ぎった
「願望実現させるぞ!エイエイオー」法則よりは、ずっと好意を
感じられる。

そもそも一体何をたぐり寄せたいのか?

人々に、好みの異性を尋ねると「優しい人がいい」と解答する人は多い。
で、そんな人に限って実際はDVだの浮気だの離婚だのとなる。

    「理想と思える人」と出会えたから
     結婚という一大事を決心したのではないか?

※ ぶっちゃけ、ここだけの話・・・・  “異様なまでの”優しさって、単なる無責任(放任)に過ぎない事が多い。

教育ママゴンの“調教”がトラウマになった、その裏返し、反動としての
 -やさしさ(甘さ、放任主義)- に、気をつけるべきである・・・ 

 特に、誰かに優しさを求め、探している人は
そういう人と出会いやすい・・・引っかかりやすい。
まさしく「引き寄せてしまう」のだ。

・・・そういう「甘えん坊」に対して、本当に愛のある人なら、
むしろ冷たく、厳しく接したりするものだ。

それゆえに、「恋愛」と一括りに言うが、「恋」と「愛」はまるで別物だ。

急流の様に惹かれ合う“恋”の関係とは・・・・
「人と人(男と女)」との出会い、引き合い、恋とは、往々にして
(腐れ)縁、カルマ的だ。

その“カルマ”とは、
『前世でふたりはどうのこうの』と言う因縁の意味だけに限定されず、
トラウマや、その他思い込み、頑迷さ、経験不足、気付きの不足、
理解不足が関与しているという意味である。

“愛”というのは、
執着なき、山の清流の様
だ。
涼しく爽やかに吹き抜ける一陣の風の様だ。

それは瞬間的なすれ違いざまの出会いに見えても、
いつまでも忘れがたい永遠の輝きを記憶に留める。

しかし、こんな“恋”と“愛”との分類も、最終的には“愛”に統合される。

なぜなら、
すべての出会いが学びであり
すべての出会いが癒やしであり
全ての出会いは結局のところ、祝福だからなのだ。

5/5 [邦画] -東北の風景、そしてスーちゃん-
エンディング
 

実際は、エゴの思い描く理想のイメージをたぐり寄せたとしても、
それは往々にして「計算違い」の結果を生むことは、わたしたちは
イヤというほど実例を目撃してきて(体験してきて)はいないだろうか?

      自分自身こそが「限界の根底」なのだ


もし、「愛」というのが、OSHOの言うとおり、その文字の構成通り
その本質が「受容性」にあるのなら、「なにかをして上げること」
「何かをたぐり寄せること」自体が「愛」なのではない。

   「受け入れる」とは、では何を?

   それは「あるがまま」をだ

       ...「わたし」や「あなた」、そして世界の・・・

「でも、自分自身こそが限界の根底といったジャマイカ?」

そう、  何かを渇望し、 いまここの、あるがままの「わたし」を
受け入れられない自分こそが、限界の根源なのだ。
自分自身こそが呪縛なのだ。


  「引き寄せる(たぐり寄せる)べきものなど、何もない」

という洞察に達することが、「すべてと共にある」ことなのだ。

「すでにそうであるもの」を発見したときに、すでに全てを引き寄せている。

「すでにそうである」ならば、そこに時間(いつ?)、空間(どこ?)は関与しない。
誰が?という行為者も、何を?という対象も、なぜ?という動機も....

  いま、 ここで   Now and Here  .......

  引き寄せなければいけないものがあるとしたなら、
  それは、あなたが永遠に不幸であり続けるであろう事の証明に他ならない。

   なぜなら、それはあなたが「いま、ここで」人生の終わりを宣言されても
   受け入れ難いことを意味するからだ。

    だから、その“とりっぱぐれたもの”を取りに、
    必ず帰ってこなければいけないだろう、  ・・・「いまここ」に


ナポレオン・ヒルは、「願望は実現する」と言った。

ああ、確かにその通り!

マインドは物質的な、物理的なエネルギーで、別にオカルトでも神秘でもない
それゆえスピリチュアリズムとも無関係だ。

クレジット・カードで実現させるか? 念力で実現させるか?
・・・実は大した違いはない。

ユリゲラーのスプーン曲げが、念力であろうがなかろうが、
単にそれが目に見えない力学かどうかの問題に過ぎず、
「内面の(因果を越えた)真実」とは、全く無関係だ。

ラジオ電波が見えないからと言って、それをオカルト現象だと
誰も思わないのと一緒だ。

単に現在の科学では測定、観測不能な
脳が発する未知のエネルギーなのか?
それとも何かのトリックなのか?
いずれにせよなにがしかの因果関係なのだろう。

マインドのパワーが、
何か外面世界の制御を実現させても、
何かをたぐり寄せるのに成功しても、
それは内面の静寂、豊穣、至福とは何の関連もない。

むしろそれらがエゴの成果であり、好ましからざる反作用に
自分自身が驚かされ、苦しめられる可能性の方が重大だ。

クレジットカードだって、一見お金を支払っている様には見えないが
ちゃんと請求されている。

では、マインドのパワーで引き寄せたのなら、何の請求(反作用)も
無いのかって?  ・・・いやいや、そんなことはない(笑)

オリジナル・テレビドラマ(OST)スタートレックの初期のエピソードでも
「光る目玉」「セイサスから来た少年」など、未熟で自制心のない子供が、
それにそぐわない強力なマインド実現能力をもってエンタープライズを
混乱に貶めるエピソードがある

和尚ネオタロット:43.マインド 
(解説書はココをクリックすると別窓でテキストが開きます)



念力(サイコキネシス)で、コップを動かすよりも、手でコップを持って
さっさと水を飲めばいいのだ。その方が効率的だ。

空中浮遊で毎日出勤出来るわけでも、海外旅行に行けるわけでもないなら
電車なり、飛行機なりを使えばいい

 

人の生活には、水も必要だし、お金も必要だ。
そして、その必要を見たそうとする分には、
決して、わたしたちが思い込んでいるほどの苦労、努力は、
実は必要ない。

“欲”(必要性)というものは、わたしたちが思い込んでいるほどには
大した問題もなく解決可能なものなのだ。

“欲”と“無欲”とは矛盾しない

自然で必要な欲求のためだけに起こされた行動は
最大限に燃費がよいのだ  ・・・それを“無欲”とも呼ぶ。

しかし、わたしたちは往々にして“望”(未来)に囚われてしまい、
過去の記憶に縛られてしまっているが故に、単純な欲=必要性さえ
充足に困難をきたすようになり(老病)
欲+望=欲望によって破滅(死)に突進してしまう

「欲望が憧れる奇跡」とは全く別種類の「奇跡=グレイテストミラクル」がある

それが、「すでにいまここにあるもの」への感謝だ。

今、この瞬間とは、全宇宙、全時空、永遠と繋がっている。

どっちを向いても、どこまで行っても、     行った先の「そこ」とは、
「ここ」と切れ目無く一体の空間であり、  あいもかわらず「ここ」なのだ。

   そして「その時」、   経験出来ることはやっぱり「いま」の連続なのだ。


どれほどジタバタしても、わたしたちは「いまここ」から一歩たりとも
踏み出したことはない。

   ...だから「引き寄せるべきもの、こと、状況」など...  ない


                そしてそこで起こる「最大の奇跡」とは、
                  超伝導(スーパーコンダクト)である

   つまりは

 「偽らざる自分という
       無=0(アイン) の源泉に消滅する」
                                      ことであり、

 「自分の運命を瞬間瞬間デザインしているもうひとりの自分、貴方=アナッタ
       無限の宇宙=00(アイン・ソフ)を信頼する」

                                      ことであり、

 「いまここから、一秒も、1mmも踏み出した
    ・・・ことなど無く、その必要もなく、それがすべてであり、
      この時空間の一点にすべての可能性と繋がっていると言うこと
        無限の光=000(アイン・ソフ・アウル)を受け入れる」
   
                                      ことである。

この印が、「シンクロニスティー(全宇宙との共鳴現象)」であり
     その現象が引き起こす素敵なハプニング
       (運命からのジョーク・メッセージ)の連鎖を
                  セレンディピティー(思わぬ僥倖)と呼ぶ。

  ブルートゥースを正常にベアリングしたいのならば、
  一気に欲張って幾つもベアリングしようとしたりせず、
  干渉しそうな電波が無い様な環境でするといい

  静かにあらゆるノイズも干渉もなくベアリング機器を検索している
    「完全なる待ち受け」状態が、
        「無条件の愛」「無念無想」をよく比喩していると思う。


   本田健氏が「ユダヤ大富豪の教え」で、冒頭から喰らったカウンターが
   「富豪になりたいのなら、お金の事など忘れなさい」であったが
   この一見、禅の公案の様な命題は、上記の様な法則
   「瞬間瞬間に専念しなさい」に則っている。

dai

だからわたしも、警告したい

 「引き寄せの法則」なんぞ、忘れなさい!
  なぜなら、エゴによる「たぐり寄せの法則」と
      時空を越えた「シンクロニスティー」との
       味噌(ミソ)糞(クソ)のチャンポンを、世間では
          「引き寄せの法則」と一緒くたに呼称しているからだ!!

    混ぜるな危険!!  ・・・・なのである

でないと、
「引きつけ(痙攣)の拘束」に、見舞われますよ! ってね




【閲覧注意】【画像】世界一怖い漫画貼る - ソニック速報 より

これはまるで、私の自己紹介みたいなマンガだ....

重度のアスペな私も、学生の時から今日まで
毎日リアルではこんな精神状態で生活している

私の日常の恐怖感、孤独感そのままだ。

まあ、ずっとこのブログを読んで下さっている人や
リアルでの私と接点のある人なら、私の狂気性は
もう説明するまでもないとは思うけど....

ブログの様な記述表現だと、
こういったドモリや復唱、重複表現を比較的チェック、
推敲してから出せるので、私には救いだ。

すくなくとも、自分の狂気性をある程度は自覚しつつ
生きていられるならば、...っと祈る次第だ

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突然ですが......

E=MC²

M(質量)を左辺に移項してみると....

E/M=C²

E(エネルギー)とは万有斥力
/ホワイトホール(陰極=女性原理=円周)であり

M(質量)とは万有核力
/ブラックホール(陽極=男性原理=直径)である

    つまりE/Mとは、   の別表現。


参照:2012年06月13日20:46
これはヒロシマ。原爆前後の空撮画像だヨ・・・【海外反応】

核分裂
   原子核を構成する核子は核力によって互いに強く引力を受ける一方、
   原子核中の陽子は電磁力により極めて強い斥力を受ける。

   通常原子スケールでは核力の方がはるかに強いが、
   核力は距離に対し指数関数的に減少する一方、
   電磁力は二乗でしか減衰しない。
torsionanimated

220px-Little_boy

原子爆弾

  そして右辺の 「 C² 光速の平方根」 とはステレオ視界(3Dホログラフ)のこと....



  「だったら社長に出来ます?」 「いや」

  「あぁ~~やっぱり! 結構難しいんですよ?」

ショート・サーキット HDニューマスター・エディション[Blu-ray]
スティーヴ・グッテンバーグ
キングレコード
2012-04-11


    いや、
    社長サンが三角測量を忘れていても、 
    ナンバー5にプログラムが必要でも、

    ・・・・わたしたち人間の脳は両眼の光学情報から周囲の立体環境を
       把握して、脳内の3Dマトリックスを瞬間的に構成している。

    わたしたちは普段、意識することもなく、ベッチーちゃんが言うところの、
                 この“内部表現マトリックス”の中で
                  日常生活を営んでいるのだ。

        ※ この内部表現マトリックスと、実際の三次元空間が、完全に一致していれば
           タンスの角に足の小指をぶつけたり、鴨居に頭をぶつけたり、
           財布を置いた場所を忘れてしまうことはない

アルベルト・アインシュタイン特殊相対性理論の帰結であるこの方程式

                  E/M=C² が意味するもの・・・・   それは、

 「あなたという意識が両眼で見ている (光速の二乗)
   この“三次元空間”ホログラフィー世界とは
   <斥力と核力とのせめぎ合い>  E / M  で
                      生成されている」


                      っということです。




今あなたが見て、聞いて、触って、嗅いで、味わっている世界とは、
すべての陰陽原理のせめぎ合いによって生成された世界であり...

今あなたが体験している「いまここ」こそが、この世界の全てです。

それは瞬間的に生成、書き換え更新、消滅し、
“有”と“無”とを何事もなくスムーズに往来しているんです。


 I am that I am
  吾、ありて在るものなり

 その 
「自覚する- ブッダである -
   芥子種のあなた、
    無人のアナッタ=無我」

 

そのグラウンド・ゼロの周囲はすべて、「隔たり=時空間」が取り巻いている

  そしてこの時空間の“向こう側”に見える観測対象は実在なのか?
それはすべて不確定です。

たとえば
今、輝いて見えている何光年も遠くの星も、実はとっくの昔に消滅してしまっている 
“かもしれない(不確定)” 

それと同じく...
 今、あなたが見ている目の前の世界すらも、この瞬間に存在しているという
確約などはあり得ないのです。

なぜなら、その存在を確かめにあなたが “あっち” へと行く為には、
             (ごく僅かであったにせよ)移動時間が必要だからです。

それが、 <時空間の中に存在している>と言うことの意味です。

太平洋の早朝

恋人同士が
愛を交わし合っていたとしても....

互いの体温と、
鼓動を感じ合ったとしても...

互いの存在を
信頼し合ったのだとしても...

いや、それどころが
自分自身の肉体感覚ですらも...  三次元 〝データー〟に過ぎないのです


      “空”、
             ・・・空間とは「隔たって見える」ということです。


    怖がらせて申し訳ないけれど....

     「あなた」や、「わたし」の孤独=ロンリネスとは、
                  ・・・絶対的なものなんです。

                   ※ でも、これは完全に理解されるならば、
                                  絶対的な恐怖なのではなく

                          これこそが 絶対的な
自立=アローンネスであり
                                  究極の救済だ....

                          これこそが 「天上天下唯我独尊」の真意だ....

  あなたは、
   誰に対しても
   自分が実在していることを
   完全に証明することは出来ない   

  わたしも、
   あなたが実在しているのか?

  いや、
   自分自身が実在なのか?さえ、

     (自分にゴースト“魂”が 存在しているのか?  ・・・すらも)

                             確認のしようがない。

このせかい、の  絶対的未知性

これこそが、“死”の正体です。

そして、そのうえで
      「吾」の存在を認めることに
            絶対的な尊厳があり

      「汝」の存在を認めることに
                絶対的な尊重が見いだせます。


 「この宇宙での原理原則とは、たった2つだけです」

「原則1.あなたは存在している」

    「原則2.あなたが投げかけたものが、
             あなたに還ってくる」

        バシャール・ワークショップ 1989 より

 

“空”、・・・空間とは「隔たって見える」ということです。

それは“分離感覚”という錯覚の根底ですが、
何かが「有る」にせよ、何も「無い」にせよ
空間とは「有無」の根底であり、
空間とはすべてを分離していると同時に

実は
  全てを内包するもの
   全てを統合するもの=ワンネスです。

「すべての分離はあなたの錯覚・ナイト&デイ」


      もし、
       わたしが本当はどこか遠くのアコム星に住む宇宙人
       「ムジン君A」であり



      地球に住んでいる、ひとりの日本人・B作の人生を
      ホンの数時間体験するためにシンクロしているのだとしたら?

       わたし「日本人B作」の魂、正体、本体、ハイヤーセルフは、
       本当は「ムジン君A」である...
       っと言える。

       わたし「日本人B作」とは「宇宙人・ムジンA」の地球上での
       “覗き穴” “操り人形” に過ぎない

      そんな事あり得ないって?

      もし、
      わたしが数時間、日本人男性B作を体験しているだけだったとしても
      シンクロしている瞬間は、ムジン君Aである自分を完全に忘れている様に
      望み、自己プログラミングしていたとしたら?

      そして、その数時間シンクロしている間は日本人B作の
      過去の記憶まで完全に受け継いでいたとしたなら????

      (ある脳と完全にシンクロしていれば、当然そうなるだろう)

      だとしたなら、データー(記憶)上は私は完全に日本人・B作である。
      わたしはアコム星人であるのにもかかわらず、その間は日本語を
      操り、こんなブログ記事まで書いたり出来るわけだ。


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      それでも・・・・
      その数時間の間、私は自分の本当のアイデンティティー(ムジンA)を
      思い出すことが可能だろうか?

    ・・・・その数時間、ムジンA君がB作くんの人生をヴァカンスとして
       楽しみにきたのだとしても?

       「そうだ!俺は本当は日本人B作ではなく
        俺の正体はアコム星のムジンAだぁ~~!!」

  たとえそう 覚 醒 したとしても、たぶんキチガイ扱いされて終わりだろう。

      そして、もし日本人B作くんが、またその肉体のレベルで
      独自の意識を持っていたとしたら????

肉体意識B作である私からみれば 

ムジン君Aは.......

「ハイヤーセルフ」と言うよりは、
数時間、訪れただけの “観光客” に過ぎず、

 次にはアイフル星のチワワン君がゲストとして   
 訪れるのかも知れない
 



              すべてのすべてが  ...未知なのだ。
           自分自身についてさえ、何も断言出来ない!!

      見方(アスペクト)を変えるだけでも、真実は無限に (無量義に)
      成立してしまうのだ!!

no title


          全ての全ては未知なのだ。

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「どっちを向いても宇宙...」 「どっちを向いても未来...」

「どこまでいっても宇宙...」 「どこまでいっても未来...」







      “死” とは、いつかどこかで出喰わす終わりなのではなく
      今「わたし」と「あなた」との目の前に立ちふさがる 『絶壁』 のことなんです

山下達郎・風の回廊(コリドー) with 邦画 「湾岸道路」




 
和尚ネオタロット:33.Rebirth/Moment-to-Moment
   再誕生/瞬間から瞬間へ
(解説書はココをクリックすると別窓でテキストが開きます)























なぜキミはここへ来たのか? -
    - それは キミには分かっているからだ



言葉では言い表せなくても直感(ゴースト)が
囁いている

ずっと感じてきたんだろ?
 「この世界 (ドトールのトイレ) は何か変だ」 と...

     自動的に上がる便器のフタ

     暖かい便座

     川のせせらぎのBGM

     尻を清めてくれる心地よい温水

 この得体の知れない感覚にせき立てられて
頭がおかしくなりそうだ...

 その思いに駆り立てられて、ここに来た。

マトリックス(空間)とは何か?
知りたいのか?

--- マトリックスは “すべて” だ ---

この部屋も、

窓の外も、

テレビが映す向こう側も、

職場も、通勤中も、
教会で祈っていても
納税している最中も、

それは、自分自身を真実から覆い隠すための
三次元世界(マーヤー)のことなんだ。


「真実とは何か?」 ....知りたいのか?



それは、キミが (自分自身の) 奴隷である
と言うことだ・・・

キミは、
香りも、味覚も、触覚も無い世界に生きてきた。

キミの思考が、

常に
「いまここ」を
     祝福として受け入れることなく
「いつかどこか」の
      夢や理想と比較しているからだ
常に
「いまここ」
   「いつか辿り着くべき到達点」までの通過点 .....としてしか見なしていないからだ

「いまここ」
マインドが空想し続ける
 希望と理想の為の手段(踏台)に貶めている からだ。

 ※ マトリックス = あなたの目撃している世界

   自然の気まぐれ、人々の狂気、不道徳、
            が起こす、天災、人災や

       金融、情報、石油、食料を
       ユダヤ議定書によって牛耳る
            この荒んで腐敗した社会、

              この三次元の世界

        キミの 【心を縛る牢獄】 なの ではない....


  キミの
    観念、感情、思考パターン....

  キミの
   世界と自分の運命に対して
    間髪を入れずに下している
        自分勝手
で傲慢な解釈

   キミの自己同一化への渇望

     (誰かであろうとすること、....)
     (何かになろうとすること、....)
     (どこかに所属したいこと、への憧憬)

「ボクは命令されたから仕方なくやったんです」
「ミンナがそうしてるからボクもそうしたんです」

というロンギヌスの槍    (無意識ゆえの自己弁明)・・・・


 0708_evangelionstore_01


キミの無自覚
    無責任
    無関心ゆえのか弱い自己弁明

それ自体が、...



地獄なのだ。


 絶え間なく     「いつか、どこか」を、
 尽きることなく     
「もっと=MORE」を、

....求め続ける   



 キミのマインドそれ自体
が、

         ラビリンス=迷宮だ。
        自分で作った牢獄だ。

キミ自身を「世界残酷物語」にしているのだ!



「ま、...まじっすか? [汗] 」

 

(悟れ!アンダーソン)





1/4「あなたはすでにカンペキなんですけど、何か質問ある?」



01:25:20,53 --> 01:25:21,588
しかし

01:25:24,124 --> 01:25:37,771
あなたは、常に〝なにがしかになりなさい〟
       〝誰それの様になりなさい〟

        っとせき立てられ続けてきた。

01:25:39,606 --> 01:25:49,616
全ての宗教が、あらゆる道徳家たちが、
私に反対しているのはその為だ。

01:25:52,519 --> 01:25:54,954
まあ、判らないことではない。

01:25:54,954 --> 01:26:00,660
もし、私が正しければ、

01:26:01,861 --> 01:26:15,475
人間性を、
どこか彼方のゴールに急き立ててきた
すべての伝統、すべての教義は、

01:26:20,246 --> 01:26:26,52
完全なる犯罪だと証明されるだろうから。

01:26:26,52 --> 01:26:29,255
それは人々から奪い去ってきた、

01:26:29,255 --> 01:26:31,591
生きる機会を

01:26:32,892 --> 01:26:35,161
愛する機会を

01:26:36,262 --> 01:26:38,531
歌う機会を

01:26:39,366 --> 01:26:41,568
踊る機会を

01:26:42,869 --> 01:26:46,306
究極的な意味においては

01:26:46,306 --> 01:26:56,316
〝いま〟〝ここ〟にある神聖さを
感じる機会そのものを奪ってきた
ことになるからだ。

01:26:56,483 --> 01:27:03,323
日常の中にある神聖を
感じることが出来ない人を

01:27:03,323 --> 01:27:07,827
〝知性的な人〟とは言い難い。

01:27:10,697 --> 01:27:16,569
もし、
日常のひとつひとつの小さな積み重ね

01:27:20,6 --> 01:27:30,16
感謝や、歓びや、気付きの表現
することが出来なければ

01:27:33,19 --> 01:27:47,133
今この人生だけではなく、
きっとこれからの何回もの転生が
不幸で、惨めなものになるだろう。

01:28:42,389 --> 01:28:50,96
日々刻々のあなたの人生に対する私の敬意


01:28:51,798 --> 01:28:54,300
絶対的なものだ。

和尚ネオタロット:9.Greatest Miracle
  最も偉大な奇蹟 (史上最大のショー)

(解説書はココをクリックすると別窓でテキストが開きます)




















なぜ、イルミナティーは五芒星=ペンタグラムと六芒星=ヘキサグラムに拘るのか?

人間の脳幹を通過して、サイケデリクスな影響を与える物質の分子構造式が
基本的に五角形、ないしは六角形であることを考えると合点がいくのではないだろうか?


結局のところ、イルミネーション(啓明)を求めるならば、サイケデリクス体験を
経ないのは極めて難しい....(絶対不可能ではないと思うが)


ペンタグラムとヘキサグラムの秘密は、どおやらその当たりと結びついているようだ

コスミック・トリガー―イリュミナティ最後の秘密
ロバート・アントン ウィルソン
八幡書店
1994-04


ティモシー・リアリー 「スマイル・メッセージ」の中に記された
衝撃の内容

その3   無知の自覚・・・  知覚の扉・・・

02



0403


山下和美 「不思議な少年」 第2巻 ソクラテス より
   /  /  /  /  

「不老不死になりたいかって?  ....そんなのはつまらん!」


7576


「キミが不老不死ならば、キミは死を知る事も出来ないし---」
「---わたしに不老不死を勧めても、わたしを説得することは出来ないよ」

              「知りもしないことを恐れても 仕方ないだろう?」
不思議な少年(2) [ 山下和美 ]


和尚ネオタロット:30.死/けっして死ぬことのないもの
(解説書はココをクリックすると別窓でテキストが開きます)

30major_13



OSHO

動物たちは天国にいる。かれらは常に天国の住民(無我)だ。

だがしかし、彼らにはそれ以外の選択肢がない・・・・・
  それゆえに彼らにはエンライトメントの可能性がないのだ。

わたしたち人間、人間だけが、この世を地獄だと錯覚出来る。
だが、それゆえに私たちにはエンライトメントの可能性があるのだ。

動物たちは「死」を知らない。  かれらは別に不老不死なのではないが
死とは何かを知らないが故に、恐れたり、悩んだりしない。

かれらは本能に従って肉体の危険を察知して、回避しようとしているだけだ。

かれらは老いとは何かも知らない

だから老犬がヨボヨボと歩いていても、老犬は「ああ、すっかりわしも年を取ったなあ」と
溜息をついたりはしない。  その姿を見て、わたしたち人間が勝手に同情しているだけだ。

...なぜ同情しているのかと言えば、
自分たち 自身の老いに対する恐れ投影している からだ。


物理的、肉体的には、  たしかに動物たちも痛みや不自由、恐怖を感じることはあるだろう。

でもそれらの苦痛と直面してもない時にまで、
   わざわざ思い出して引きずったり
    わざわざ思い煩ったりしない

  という意味で、

   動物たち (というか、人間以外の生き物) は、
    自ら余計な苦しみを作り出すような無駄をしていない

     ...彼らは常に、瞬間瞬間、直面した事実の中だけにいる。

         そういう意味 で、  動物たちは常に天国の住民 なのだ。




わたしたちも、実は....  「死」とはか?  知らない・・・

それとも、あなたは知っているのか???  「死」 ・・・を?



生と死とは、 二通りの見方がある


   ★  “ この世界 ” から、「わたし」 が退場する、 (あるいは消滅する) と言う
                                             (一般的な)見方

            そして

   ★ 「わたし」が、この 「 タテ ネコ ヨコ 高さ と 時間 」 の世界で暮らすための
                      ボディー・スーツを脱いで、未知へと旅立つという見方

ぬこ          
         
たとえば、
完全に太さのない直線や、面積のない点など、この世界には存在しない...

30
では、
幾何学は?実在しないのか?
数学は?実在しないのか?

もし幾何学が実在してると言えるのなら

では
幾何学を見いだした人類 とは、
単なる肉体だけの存在なのだろうか?




       30.Death/That Which Never Dies
            死/けっして死ぬことのないもの

        このエピソードでゴーダマ・ブッダが指し示す「芥子種」とは、

         「タテヨコ高さ=体積・質量が
          -無い- と言えるほどの

              小さな 小さな (神一厘の)種子」のこと

   そこに「決して死なない永遠」への扉があることを示唆している。



      ※ あくまでも“ 余談 ”ですけど...
        肉体離脱って、肉体から 抜け出る んと、ちゃいまっせ!

        この 芥子種 の中に突入して、幾何学的な光の洪水の中に
                < 帰郷 > しちゃうことですぜ! ダンナ!


 昔、立花隆を原作とした「宇宙からの帰還」(1985)という映画があったが、

    【2500円以上送料無料】宇宙からの帰還/立花隆
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   本当のところ、わたしたちは

               宇宙 - から - 帰還 するのだろうか?

               それとも

                宇宙 - へ - 帰還 するのだろうか?

    【新品】【書籍・コミック 文庫活字】聖なる宇宙への帰還
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あらあら不思議!!

この解答如何によって、生と死とは、ひっくり返って見えてしまうではないか?

こんなことにすら、わたしたち人間は明確に回答出来ず、首を傾げているとは!!
何とも、不思議ではないだろうか? ...あなたは、不思議を感じませんか?


 もし... 
あなた自身の正体がワンネスである可能性を、
ちょっとでも「ありえる」ことだと思うなら...

     いや、たとえ確信までは持たなくとも...
            その芥子種程の小さな可能性を認めるのだとしたならば...

       この世界の誰もが、  実は  ・・・「死」を知らないのだから

         その可能性を   誰が否定出来る?  誰が何を断言出来る?



     ・・・・あなたとは
                「ワンネスなのかもしれない」
                  
 という可能性に関して・・・

     ・・・・あなたとは
                「すっとぼけた神かもしれない」
                   という可能性に関して・・・


  もちろん、これは...  宇宙で最高に(FAIRな晴らしい!
                宇宙で最低に(FEARなヤバい!

                 可能性!  挑戦!

            
ゲーム参照:都留晃一の世界より  ではないか?

    ・・・   あなたが  実は すべてのすべて だなんて  ・・・・

     あなたの正体が 「I am  that I am」
             (吾、ありて在るもの) だなんて!!!

そんな可能性が、もし、ちょっとでもあるのなら、
いや、 その可能性を、だれひとりとして、  否定出来ないならば....

つまり、  それは  この可能性は、  
誰もが持っていることをも、また、意味する。

  あなたも、ワンネスであり   わたしも、ワンネスなのならば


あなた と わたし との違いは、      

 

        この 「アラワレの世界」 の違いに過ぎないことになる

リュウの道_05_329

   でもまたそれは、ひとりひとりが
           全宇宙の重みを背負っていることも意味している。




ほんのちょっとでも、
この人生で最も恐ろしい(FEAR)、
     最も素晴らしい(FAIR)可能性があることを、
否定しきれないならば、この可能性が残り続けるならば、、

「死」と同等なぐらい  「生」に関しても....

そして自分自身に関してすら....!!!

わたしたちは、   無知
そして       未知  と言うことなのだ....



「生」も、
「死」も、
「自分の正体すらも」わたしたちは知らない

わたしたちは、
だったら
いったい何を知っていると言えるんだろう?

  でも、   ならば・・・

わたしたちは、みな、この広大な宇宙で、

「無知」という「芥子種」のような極微の孤島の只中に、
投げ出されることになる・・・・
追い込まれることになる・・・・

無底の中に、
  天も地もない 混沌のただ中に、取り残されることになる。


それでも  その自覚を  あなたは引き受ける勇気を  保てますか?
慣れ親しんだすべての世界観が、 足元から、 崩れ去る
・・・・その恐怖に耐えられますか? 

マトリックス「よくあの店に」

ネオ  「すべての思い出が...」

    「うそっぱち(仮想現実)だったなんて...」

    「 俺は.... 」

トリニティー   「  ...何者か  ...分からない」




どこまでも、
暗く、冷たく、底知れず広大な宇宙(無知、未知)のただなかに
一糸まとわずたったひとりで投げ出されるかような恐怖....

それは確かに、はじめは体中の血液が凍り付くような恐怖だろう。

だが、この絶対的な闇に見えた世界にも、だんだん眼が慣れてくると、

       「これが、無限の可能性なのだ!」

        「ここには、無尽蔵の癒やしのパワーがある!」

         「これこそが、無条件の愛の、真の姿だったのだ!」と....


             .....あなたはやがて気付くだろう!!


 




前世が常不軽菩薩であったという釈尊は、
産まれてすぐに七歩歩いて

      天上天下、唯我独尊


                 っと言ったそうな....


天上天下


                ※ 「天上天下で、俺様が唯一偉いのだ」  
                                  ____???

              - ファッ! そんな解釈をしてしまっては、
                     前世が常不軽菩薩だったなんて言う
                     釈尊のエピソードは、繋がらないではないか
? 


「この天と地の間に産まれて、            
わたしは、ただただ、
いま、この瞬間この瞬間の....

  わたし という存在を、徹底的に尊重する!!」

「それ以上に、                      
人生に優先することなんてあるのかい?」 

「それ以上に、                      
私に、一体何が出来るというのだ!?」






前世で                         
- 他者への徹底的な尊重と礼拝 -

 を体現したからこそ

シッダルータの魂は、                            
その次のステップ
 からスタートを切ったと言うことではないだろうか?




彼、ゴーダマ・シッダルータは            
「世尊」と呼ばれる人生をはじめるにあたって、

自分自身を                 
   最大限に尊重
  するとは何か?」

っということを         
ボクはこの人生で、テーマに選んで産まれて来たんですよ~~♪

           .....と、語りかけているように思う。

だから、 彼はまず一国の王子様として     
       人生をはじめたのではないだろうか?

miner1_wands12

ダンサー付き

   「 私なんか、生前はロールスロイス10台だけで、
             結構ウルサク言われたンゴ...」

                    by OSHO

自分自身の
    究極的尊重....

自らに対する
     絶対的信頼....
 



それを避けて FAIR (公心、降神、交信...)なんて、実現、 出来ますか?

それを経ずに FAIR 「すべての存在への絶対的尊重」なんて、可能、でしょうか?


  それ以外の「無明」からの出口なんて、他にあるだろうか?

     「無明」とは....?  「無知」のこと.....???

 


  とんでもない!!



無知故にエンライトメント出来ないのだとしたら、
一体全体、オレ等はいつになれば悟れるというのだ!?

...FUCK!! ...冗談じゃね~ぜ!!

和尚ネオタロット:23.Prayer 
(解説書はココをクリックすると別窓でテキストが開きます)



わたしに言わせれば「無明」 とは                 
「無知」であることに対する 無 自 覚 のことだ!!

    無知 → 貧乏靴屋 ◎ GOOD!!

    無明 → モーゼ × チョベリバ !!
   「私は知っている、分かっている...」

という思い込みこそが

- あるいは -

  「理解していない事を、(ミンナでお題目を唱えて)誤魔化している」

という習慣への埋没こそが...
「無明」なのだ!!

マトリックス「これだ」



和尚ネオタロット:13.Dropping Knowledge
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わたしたち人間は、動物と同じく、「死」を知らない、  だから「生」も知らない

           ただし、  たったいま、この瞬間にでも....

動物と違って、「知らない」ということを「自覚出来る」可能性がある。

 それが、・・・・
  それこそが   「無明」からの解脱なのではないか?っと思う。





クリシュナムルティ 「私は何も信じない」







クリシュナムルティ 「既知からの自由」

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