We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

2014年03月

07:00米「経済制裁するぞ」→露「やってみろ」 露「売った10兆円分」→米「え?マジ?」
遂に始まったかな?
「(貨幣とは) 価値とは何か?」という無限からの問いかけに最終解答期限が迫ったのだ!




無は自ら叫んだ

〝わたしは在る〟

そして有が生じた。


そしてわたしたちが生まれた

無とはふる里、
無とはちち、はは

無とは「微笑みに輝く少女の頬」(サビアン:蠍座15度)

! リトル・ブッダ「微笑みに輝く少女の頬」


この宇宙からの無垢な微笑みが、わたしたちを今日、この瞬間まで生かしてきたのだ

それが、「南無妙法蓮華経」


そして今日から、この歴史は新しい局面を迎えた

わたしたちは単細胞生物だったときは、ただただ増え続けた。

そこにはまだ多様性はなかった

そして、それゆえにわたしたちは不老不死だった。

でも、ミトコンドリアという〝敵〟と結婚し、多細胞生物へと成った瞬間、

わたしたちは〝おとことおんな〟に別れた。

そして、多様性への旅へと出発したのだ

そしてそれは同時に、〝死〟を受け入れることも意味していた。

〝ココ〟という、見かけ上の (バーチャルな) 有限性が生じたのだ!

それゆえに、  そこには「生と死」があり、
それゆえに、  わたしたちは〝伝える〟というテーマを持つに至った。


でも、今日から、わたしたちはふたたび不老不死への旅路についた。

法華経は、径(プロセス)ではなく鏡(エンドレス・リフレクション)となる

合わせ鏡とは時空を越えた無限世界、、不老不死の無限生命のこと。

「あなたを置いて、わたしは死ねない」

「あなたが幸せになるのを見届けるまで、わたしは死ぬ訳にはいかないのだ!」

  ・・・・・つまり、それが、その〝愛〟の執念、その誓いこそが〝死〟の拒絶である

0359




わたしたちの骨格は食物から吸収したカルシウムからではなく、
カーボン・ファイバーや人体と親和性のあるメタルへと次々に入れ替わっていく

わたしたちの記憶、つまり〝命をつたえる〟〝こころをつたえる〟ワークは
シリコンチップが、徐々に引き継ぐことが可能になるだろう。

  ...その様なインターフェイスの技術革新が、だんだん姿を現してくることだろう

そしていずれはわたしたちの意識そのものも「無知の知」へと没入(専念)してゆき、
テクノロジーが生み出した新しいボディーに移り住むことが可能になる。




それは、一見、「冷たい」世界に見える
しかし、その中心には一筋の「あたたかさ」「ぬくもり」が息づいている。



いずれ、(意外に遠からず)
カーボンファイバーの骨格を持ったブッダ
(わたしたちの子孫) が、誕生することだろう!

! リトル・ブッダ「悟り」
no title

新しいハスの華は、泥から咲くのではなく
未熟な魂の、無知や、無理解、暴力に殺されるまで、
微笑している儚く悲しい優しさを超越することになる。

そして、
マトリックスの中で、強く、逞しい存在に変容する。
マトリックスの中で、永遠に咲き誇るエネルギー体へと開花するのだ!

マトリックス「新生」


〝南〟とは何か?

南国、南風、まぶしい日差し...パラダイス....

瞳に焼き付く、色鮮やかな世界....


   ・・・これが〝みなみ〟の意味するところだ

     .....そしてこれらすべては〝無底(底なし沼)〟である。


つまりこれが「ナ~ム」=帰依します=サニヤスの意味だ

〝無底〟だからといって、
でもそれらを全部捨ててしまえ、そこから逃避してヒマラヤにいけ
っと言うことではない。   単に〝無底である〟と知れば良いだけだ。

無底のまま....  その自覚を保ったまま、 それを根底として生き続けなさい...
        ....マーケット・プレイス(南)で ....ただそれだけのことだ!


それが、OSHOのサニヤスの意味だ。


〝妙法〟とは何か?

〝仏法〟とは、....〝仏〟とは、〝ム〟の人と書く

人でありながら、もう人ではない、それが仏という存在だ。

            ....つまり、〝無底〟を〝根底〟にした人のことである。


〝妙法〟とはそのさらにメタ・フィジカルな世界だ。

   なぜか?

    「 『人皆生まれながらに仏性を宿す』...
                では、なぜ?それでも〝修行〟が必要なのか?」

 これが禅の開祖、道元の出発点である。

だが今となってはこれは簡単な質問だ。

   つまり、「仏である」ことと「仏として生きる」とは全く別のことだからだ。

     ....現在進行形であることに全ての意味がある!


〝妙法〟の「妙」と言う字は「少女」と書く....  では、この少女とは何か?といえば
スジャータのことである。

つまり、シッダルータが苦行で死にかけたとき、それを救ったのが通りがかりの
無垢で無邪気なひとりの少女の慈悲心だったのだ....   

               損得抜きの
               やむにやまれぬきもち

               生命を理屈抜きに生かしたいと想う気持ち

               デジタルに割り切れない想い....
               円周率のπパイ(乳粥)の法則が....   

スジャータ

これが、...釈迦仏教を誕生させたのだ。

それゆえに、〝妙法〟(少女の法)とは〝仏法〟の上位なのだ。

つまり...仏さえも、生かされている存在だと言うこと、...

         ....否!、仏こそ「無底の慈悲からすべてが生かされている」
                         ことを悟った存在なのだ。

スジャータ乳粥


無底を根底として、現在進行形で生きると言うこと....

それが〝行〟だ。

糞掃衣(ふんどうえ)をまとい、石鉢を携え、托鉢する姿とは、まさしく
「無底を根底として、少女との再会のみを命綱にして生きる」姿そのものだ。

そうなってくれば、なぜ蓮華径(ハスの花の径-みち)なのかは、こころがある人には
すぐに解るだろう。

泥の池の、奥底から咲く、ハスの華とは?

〝泥〟とは、つまりこの物質世界すべての象徴だ。



だから〝ハス〟とは形而上学的な生命の開花のことである。

この世知辛い世間の中にあって、その競争(泥沼)社会に染まることなく、
   .......才能にも、出自にも、カネや特権や名声名誉にも支えられることなく

むしろそれを泥=物質から、華=無限の生命エネルギーへと転換させて開花させること...




           それが、ロータスの意味するところだ。
            ロータスとは、真の“自立した人生”を意味する!


だから、単に「〝仏〟だからえらい」のでも尊いのでもなく、
スジャータの示した宇宙の慈悲を信頼し、
命をゆだねて(サレンダー)菩薩道を生きること....

  ....そこに至上の尊さがある。

  それが「南無妙法蓮華経」の意味だ


   このインスピレーションは、
   いままで、しぶしぶ学会員の韓国面におちてしまった、
         縁のあった二人にしか話したことはない

学会の悪用を恐れてだ

しかし、なぜ今日書いたのかと言えば、どうせ悪用は不可能だからだ(笑)

もし、このページをコピペして、あたかも自分たちの智恵のように語ったとしても
創価学会や大石寺顕正会のように、
恐怖を煽って信者を増やすしか能がない連中にはむしろ
「知って欲しくない」話だからなのだ。

だから、創価学会も大石寺顕正会も....  オワコンなのである!

  かれらでさえ(理解することなく)言っている。


   「南無妙法蓮華経」という言葉は、すべてを生かしている大生命であると....


                   これは、正しい


 だれもが、大宇宙の慈悲によって、呼吸し、鼓動している....

 仕事(お役目)に恵まれて、日々の食事を頂き、排泄し、....生かされている。


一緒に食べよう


...で、あれば創価学会や大石寺顕正会のような「人の心細さ」を逆手にとった

折伏や、それによる組織力の強化などが、
如何に妙法蓮華経の精神と正反対であるか?


                 ....明快であろう。


「欲しい欲しい!」「怖い怖い」とわめき立てて念仏を唱える者達が

スジャータの様な無業の少女のこころを引き寄せるとでも....??


               ....こころがある者なら誰にでも解るだろう。




           つまり、こころが無い人達というのは

           まずは、  自分にこころがないという自覚がないのだ


           怒りや、不安や、喜怒哀楽といった

           「感情」に振り回されることが

           「こころ」なのだと思い込んでいる人種....が

                      人間の姿をして実在するのだ。


                   彼らには、選挙権すらある!


            自分自身では考えられず、誰かに同意して欲しい!

            そんな己の不安感を、仏の慈悲心なのだと

            自分に言い聞かせ折伏してイイ気になっている....

           イナゴの様な人達こそが、自己増殖し続け、群れたがるのだ。


    民主主義が、  イコール多数決主義である以上は、

    民主主義とは、  つまり今の日本社会とは、こういった人達の為にあるのだ。

ひとりぶんでいい


あなたは
あれやらこれやら、他人の分まで抱え込む必要はない

あなたに割り振られた、「ひとりぶん」

それだけに専念すればいい

   「すべてはひとつ」

   「ひとつにすべてが」


美しい言葉だ!  これは真理の言葉だ!

      しかし

誤解を招く恐れがある!


あなたひとり分を担当しさえすればいい。それを、じっくりとこなしてくれればそれで良い

この宇宙が多様性を求め、無から有が生じた

そしてそれは「タキオン=ワンネス」と言うかたちでネットワーク化されている

そのタキオン=もうひとりのあなたの機能は常にカンペキだ
あなたに、いつだって、「はい、これ!あなたの分ね!」っと分業してくれる

宇宙が並列型演算方式に切り替えたのは、これを意図しての上だ。
この並列処理さえ、うまく機能すれば、エブリシング・オーライ!なのだから



分業に全てを委ね、その采配を信頼しさいすれば、
あなたは瞬間瞬間を、ちゃんとかんぺきにこなしているのだから....


「無知の知」とは救済の言葉だ

ひとりで何もかも抱え込んだり、それが出来無くって罪悪感に囚われる必要など
微塵もないんだ。

あなたは、江戸の長屋の、たっちゃん、くまさん、ちょうべえさん......

それでいい、それでいいんだ.....


キリストのマネをして全人類の十字架など背負わなくっていい。

あなたは、あなたに専念すればいい....

でもそれだけで、   ......あなたはかんぺきなのだ!!!

すべての目的、全ての到達、すべての理想...
  その根底を支えるものは何だろうか?

  、...お金?、権力?、名誉?
   ....快感? 至福感?、充実感?、安心感?(選択の)自由?解放?

    このどれかに行き当たり、それを根底と出来るならば
    そこから先のクエスチョンは無いのだから、じゃあ、レッツ・ゴーだとなる。

     ところが、それらの欲望は完全に満たされることは決してない。
     生きている限り....

   「いいじゃないか?いずれ誰でも死ぬんだし、それまでの辛抱さ!」

               つ ま り

   最終的には、肉体の果て、欲望の果て、目的の尽きることない探求が、死によって
  ピリオドを打たれるその日まで、歩き続けること、...  へたばるまで、くたばるその日まで。

つまりは、最終的には誰もが、死を待つことが人生の根底になってしまっている。

   長い長い、待合室(ウエイティング・ルーム)  ・・・・ゴドーを待ちながら・・・・


   だから、この待合室には奇妙な暗黙の同意がある。

    それは、ここが待合室であることを決して思い出さないことだ

     時折わたしたちは、待ち疲れて足元に目を落とし、何も考えないでぼーっとするときがある。

      そんな時は慌てて首を振る、そして〝我に返る〟

       「わたしは一体どうしたというのだ?」

       「イカン、いかん!わたしは何を茫然自失としていたのだ?」

       「わたしは何かを待っているのか?」

       「いやいや、そんなはずはない!」

       「待つだなんて、時間を無駄にしてしまっていたのだ?」

       「さあ!、旅はまだまだ長い、一刻も時間を無駄にしてはいけない」

       「わたしはきっとどこかに辿り着くに違いない!」

       「わたしをきっと誰かが待っているに違いない!」

       「さあ!  先を急がねば!」

あるものは仕事に行き、あるものは風俗に行き、
またあるものは「なんみょーほーれんげきょー」と唱えはじめる
-----------------

  決してあなたは、ジッと自分の手のひらを見つめてはいけない。

  なぜなら、「わたしは何を待っているのだ?」

         「わたしは一体、どこに辿り着こうとしているのだ?」

          「この人生に、目的が無いだなんて!そんな事が有り得るだろうか?」

     突如あなたは、そんな疑問にかきむしられてしまうかも知れないからだ。

    そしてそんなことを、ぼんやりと考え、あるいは不安に駆られ、あるいは焦り
   あるいは退屈したとしても、何の回答も得られなかった....  そんな経験を
  あなたは何度もしているかも知れない。

だとしたら、もうそんな思いに駆られるのは無駄だと確信しているかも知れない

  だったら、人生は一秒も休まず、何か生産的なことに没頭し、何か成長の方向を探し
   〝そっち〟に向かってたゆまず努力すること....  それ以上の答えが、人生にあるわけがない。


      人生が、どこにも辿り着かない死への待合室だなんて?
       そんな馬鹿なことがあるだろうか?

  朝、まどろみのなかに戻れないのであれば、
    あなたは意を決して、フトンから起き上がり
    そして、何かをはじめる。 ひとときも無駄にしないよう
    何かに携わりはじめる  何かに熱中しようとする

   それこそが人生の唯一の充実なのだと。

けっして、苛立ち、焦り、不安、退屈の中に長居したいとは、誰も思わない。
その根底に何があるのか?
それを決して覗き込んでみようとはしない。

その根底は....   底なし沼なのだから。


         そうしている間に、時は過ぎ、身体は老い、そして一番恐れていた
                                     あるいは最も待望していた、
                                       〝死に神〟があなたをノックする。

   そうだ、

   そうだ、

   そのとおりだ   (映画「ジョーブラックによろしく」より)


    ゴドーの、本当の名前とは、死に神だったのだ!

-----------------

自分はどこかに向かっているという虚偽を、あなたが自覚しはじめたならば
あなたはひとりぼっちにならざるを得ない。

あなたを慰めるものは何もない

どんな娯楽もあなたの退屈さからあなた自身を救い出せはしない

どんな理想もあなたの焦り、苛立ちからあなた自身を救い出せはしない

どんな夢も、恋人も、大義も、あなたの孤独からあなた自身を救い出せはしない


唯一、あなたを救ってくれるのは死に神だけになる。


人は必ず死ぬという絶対的な未来よりも、
生きている、この一瞬一瞬が、本当は底なし沼だ。

それに気がつかなければ、あなたはいろいろな希望や理想にあがき苦しんでいられる

それが苦しみであることにすら気がつかずに、あなたはそこに溺れている事が出来る


しかし、ひとたび、それらの知らんぷり、自己欺瞞が「苦しみなのだ」と強く自覚した瞬間、
すべての理想や目的が「無底なのだ」「底なし沼なのだ」と気がついた瞬間、認めた瞬間、


あなたはどちらかの道を辿ることだろう

根本的な絶望を感じて発狂するか?

それともその無底を完全に受け入れて、「その無底を、根底にして」生き始めるかだ。




その分かれ道において、あるものは泣き叫び、毒づき、叫くだろう。

あるものは素っ頓狂に笑い出すだろう。

あるものは、そのまま一目散にビルに駆け上がって飛び降りるかも知れない

そしてまたあるものは、OSHOに合掌し、そして次にVサインをして叫ぶかも知れない

  「友よ!やっとあえたね!ありがとう」

円周率、3.1415....という定数は何を意味するのか?

たぶん数学における最大のエニグマ(暗号)といっても過言ではないだろう

それは円周/その円の直径である。

円というのは二次元上の図形なので、これはユークリッド幾何学の分野なのだけれど
これは全くゆがみのない平面、全く線の太さが存在しない直線が永遠とつづく...
っといったような現実離れした仮想的な話なので、小学生の時から数学って嫌いなのよね
っといったおばちゃんとかには取っつきのいい話ではないだろう。

なのでせめてわたしたちのなじみのある、この三次元の世界、(非ユークリッド幾何学)で
たとえて考えてみよう。


    つまり円ではなく球でイメージしてみる。
  もっとも代表的な〝球〟といえば、我らが母なる大地、地球でしょう。

実際には地球も正確な、完全なる球体ではなく....

    「地球の極半径は6,356.752km、赤道半径は6,378.137kmです。」

6300km以上の半径に及ぶ巨大な球体が我らが地球であり、それは中心から北極や南極へと
伸びる半径よりも、(24時間で一周する自転によって)ビミョーンと伸びた分だけ赤道方向への
半径は21km膨らんでいる。

  まあそれだけデブッちゃったお母さんではあるが、そこは目をつぶって考えてみよう
これだけ沢山の子供たちを産んでいるのだから、多少のプロポーションの崩れは
無視出来る範囲のやっぱりイイオンナ=現役なんじゃないですか?未だに....

さて、そうであれば、地球のどこからスタートしてもその中心を貫き、
正確に反対側に辿り着いたならばそれが地球の直径であり、そのスタート地点から
まっすぐ世界一周してきたら、それが円周(すわ、球周)ということになる。

たとえば東京の裏側はブラジルあたりで、江戸っ子がお祭り好きなのとブラジルといえば
カーニバルで有名なのとは偶然ではないと思う。また、日系の移民が多いことも....
            ....つまり東京とブラジルとは地球の鬼門と裏鬼門の関係なのだ。


  「直径とは何か?」と問うならば、それは例えれば
    「地球をぶっ通して向こう側に突き抜ける片道切符の地底探検」のことであり、

  「円周とは何か?」と問うならば、それは例えれば
    「地球をぐるり最大限に一周する世界旅行」のことである。

これで、一般的にΦ(ファイ)と言う記号が「(パイプなどの)直径」を表記するのに使われる記号で
その記号は〝そのまんま〟の図表表記であることがわかる。

丸をタテに貫く直線....  やだ、  これって...  そう、男性器と女性器の結合、
〝セックス〟のシンボルではないか!?

さらにこれを立体視覚化すれば、つまりはトーラスということになる。

torsionanimated
なぜ?直径とは〝片道〟であり、円周が〝往復〟なのか?

割り算、つまり〝比率〟を問題にするならば、〝片道〟同士、あるいは〝往復〟同士を
比較するべきではないか?

それは、「直径」は「直系」に通じているからだ・・・・  つまり「男系男子」の象徴である。
となると「円周」とは「女性原理」「母性」に通じていると言うことになる。


   円周....とは、つまり〝原点回帰〟であり、〝原点回帰〟とは、つまり〝ゼロ〟のことだ。

〝ゼロ〟...つまり〝無〟とは、ナッシング(まったくのすべての非存在)ではないことが、
ここにはっきりと理解出来るだろう。

あなたは世界一周の旅がプレゼントされたら、それを...

 「なーんだ、どうせ結局は自宅に帰ってくる事になるんだろ?」っと、
   無意味に感じたりはしないだろう。

たとえ仕事が忙しくって、
実際にはそんな旅をしているヒマなんか無いかもしれないが、
それでもそれをナッシングだとか無意味だとか感じたりをしないだろう。

そして実際に世界一周してきたならば、帰宅して自宅の玄関に帰り着いたとき、
きっと多くの思い出を持ち帰っているだろう。
  〝原点回帰〟とは〝無〟ではあるが〝無意味〟では全くない。

ましてや、それが〝一周旅行〟ではなく、〝ブラジルへの移住〟であるならば、
もはや「思い出」どころではなくなる。  ...一世一代の大決心になるだろう。
  これが男性原理だ。

   楠木 正行(くすのき まさつら)の辞世の句


      帰らじと 

      兼ねて思えば梓弓(あずさゆみ)
      亡き数に入る (なきかずにいる)
      名をぞ止むる (なをぞとどむる) 

これが、直系、男性原理の最たる表現だ。  ....カミカゼの原理である。

勃起した男性器とは、それはタロットのWANDであり、リレー競技のバトンである。
それは〝伝える〟(メッセージ)ということだ。

このブログでは「オナニー(自己抱擁)の素晴らしさ」をエントリーしたが、
それを基礎とした素晴らしいことが〝わたしの何かが伝わっていく〟という
素晴らしさだ。

では、この〝何か〟とは何か?   〝わたし〟とは何か?

〝わたし〟とはどこから発生し、それは〝何に〟伝えられるのだろうか?

   それは紛れもなく〝遺伝子〟のこと、〝血液〟のことだ。

   そこには紛れもなく、〝無〟から〝有〟が生まれた動機が記憶されている。

血液とは、見方によっては実に儚い、弱々しいものだ。

それは人体という弱々しい器から放り出されれば、一瞬で死ぬ。

体外から放り出された血液ほど、悲しい姿、痛々しい光景はない。

それは血管という海から放り出された魚だ。

一瞬で酸欠を起こし、もだえて、そして死んでいく。
それは延々とした宇宙の営みが、そこでピリオドを打たれてしまう瞬間だ。


      でもだからこそ、そこには〝絶対的価値〟がある。

   わたしたちの〝父〟は、間違いなく、求めた。
           〝母〟を、求めた。  それは間違いない。

女は、感じる。

たとえその場において荒々しい、暴力的なものを感じたにせよ、
                          それを含んだ上で・・・感じる

充血し、直立したペニスに
男の「求める情熱」を....

そして女にとって、それは確かな事実であることに変わりはない。
例えその場の女にとっての自覚が、意に沿うものか?否かに関わらず...だ。

結局のところ、〝それ〟が自分の体内で新しい鼓動を打ち始めたとき、
女は覚悟を決めなければ行けない

その〝伝わったもの〟を育んでいく覚悟を....


命とは、
無から有が生じた瞬間から、気の遠くなるような悠久の時を旅してきた。
伝えられてきたものだ。

それは無数の父が、無数の母にバトンタッチされてきたものだ。

女に、子供が授かったとき、そこまでのプロセスは女が記憶しているだけのものではない。
そこには無限のプロセスが内在しているのだ。

女は子供の命を感じるとき、脈動を感じるとき、〝それ〟を感じる。

だから、女は〝バカだ〟と罵られながらも、〝それ〟を否定出来ない...英知がある。


その〝割り切れない気持ち〟の数値化円周率だ。

πとは父の精液であり、πとは母の乳房のことだ。

父は死に、そして母も死に、そしてわたしも...いずれは死ぬ
しかし、またあらたに、〝わたし〟の何かが、〝もし〟伝わったのならば....
この儚い世界で、また新しい器を得て、温もりの中で確かに何かが伝わったのならば
〝わたし〟は生き続ける....  母のゆりかごの中で...

そして、πとは.... 宇宙の恍惚のことであり、  あなたのことであり、わたしのことだ。

グリークのペールギュントという戯曲を思い出す。
この物語の最後、ソルヴェイグの子守唄を....

主人公は旅をし、旅をし、そして流れ流れた先に、母に似た女、ソルヴェイグに
抱かれて、彼女の謳う子守唄(ララバイ)を聞きながら死んでいく





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