We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

2014年02月

「ライト」と、片仮名表記する日本人の感覚は、そのままカタカムナ、言霊の国
ジャパン・カルチャーの真骨頂だと思う。

それは時としては(文脈としては)単なる駄洒落だけれど、時としては
それは宇宙的な響きの世界へと通じる


「ライト」とは、例えばWirte「書く」という英単語に見える。あるいはRightにも聞こえる。

つまり、「書かれた」ものは「正しい」というわけだ。

「書かれた」・・・つまり物質世界に記録されたデーターは、必ず何らかの根拠の元に
留められたものなので、〝根拠〟があるという点では、森羅万象すべての表現は
〝正しい〟

わたしたちはだから、THE BOOK(聖書、聖典、法律)に従って「正しく」生きようとする。
これがいわゆる法治社会であり、あるいは〝宗教〟だ。


しかし、法治は〝放置〟に通じる
なぜなら、〝書かれたもの〟はすべて「過去~未来のプロセス、因果律、時間軸」という
〝まどろみ〟の世界に存在するものだからだ。

エゴの正体とは〝まどろんでいたい〟という願望だ。

わたしたちは瞬間瞬間に戦慄を持って対面していくことよりも
頼れるBOOKを見つけ、それ以降はいまここにある危機に際してでさえ
〝まどろんでいたい〟のだ!!  放置してしまいたいのだ!!

   ぼんやりと本を引用し、その凡例に従いコトを済ませてしまいたいのだ。

理念、信念、理想、信条、法的、象徴的〝解釈〟・・・  これらは紙に書かれていなくても
四次元という時空世界の中に閉じ込められた〝まどろみ〟の存在だ。
  ・・・つまり四次元的〝前提条件〟の許で〝正しい〟と言われている(so said)ものに過ぎない。

         ※ バシャールは「ワクワク(エキサイトメント)で生きなさい」というのを
           基調としたメッセージだが、それはこの〝因果律の制限のまどろみ〟から
           抜け出して、人生に起こり得るあらゆる意外性・可能性にこころを開いて
           みてはどうですか?っという意味だと私は思う

           ただ、それは運命への信頼(TRAST)が無い限り、不安、恐怖と背中合わせだ。

             あらゆる意外性・可能性を
           ポジティブに捉えれば、  それは「エキサイトメント」であり、
                              それは「エンライトメント」へと通じる

             あらゆる意外性・可能性を
           ネガティブに捉えれば、  それは「恐怖、不安、孤独、孤立感」である。



それは、「すでに終わっている過去」と「まだ来てもいない未来」との桶狭間の戦いなのだ。

この「桶狭間の戦い(※wiki)」を、私たちは「今川」(今という時間の流れ)と呼んでいるが、これは夢なのだ。
この勝敗は、常識で考えれば圧倒的な大群の〝今川の勝利〟のハズであった・・・・


「あなたたちは人生50年をゆめまぼろしだと言うことを忘れていないかい?」
「これらの夢はマトリックス〝田〟が織りなした、信念の延長に過ぎないのさ」

      と、織田信長は歴史の彼方からわたしたちに告げている。

  だから彼は延暦寺(歴史の延長、幻想の延長)を惨たらしく焼き討ちした(※wiki)のだ。

              ※  「〝今〟とは過去から未来への時間の流れに属していると
                   みんな思っているが、
                   本当は〝永遠〟に属してるんだよ」        by OSHO

闘いのゾルバ、第六天魔王・信長は、最後には明智光秀=つまりイルミナティー的エリートによって
<本能>寺の炎の中に葬り去られるが、その明智も三日天下で終わる。(本当は死んでいないけどね・・・・)


・・・「死んでいる正しさ=Right」に固執する者達のことを、私たちは〝右翼〟と呼んでいる。

そして、〝残された(="LEFT")ものたち〟〝被害者〟〝弱者〟を物理的、経済的、法的に
救済することを最大の価値とする偽善者たちを、私たちは〝左翼〟と呼んでいる。
     (ネットでちょっとでも社会的弱者への同情を示す意見を見つけるや否や、
      即座に半狂乱に、あるいはあざ笑うかのように〝プサヨ〟とか連呼している者達が
     〝ネトウヨ〟熱湯浴とか〝アメポチ〟アメリカ帝国の飼い犬と呼ばれたとしても、
      それはやむを得ない・・・当然なのだ)

  天皇陛下万歳を喝采したとしても、
  神風精神を叫んだとしても、
  右翼とは左翼と同じ唯物主義者だ。
     〝正しさ〟〝正当性〟に固執する以上はね....

真実は、常に真ん中に、  ・・・・・・・有る 在る(being)・・・・・・。

でもそれは単純に〝右と左の折半〟でも、〝過去と未来との間の現在地点〟でもない。

中道とは、まったく時空間とは別の次元に存在するのだ。

Right でも Left でもない"Light" ....光こそが〝いま、ここ〟だ。

      そして、光とは〝PORT(=穴、扉、出入り口)〟なのだ。
              永遠の覗き穴、無限の扉、タキオン(意識)世界との出入り口だ。

--------------------

それは私たちの日常感覚では〝スパーク・フェノミナ(閃光現象)〟として認識されている。

それは、
眼球を通して知覚する、いわゆる視覚世界、〝体外(脳外)界の光学的認識〟として見えるし、
眼球を強く圧迫したときにまぶたに見える 光の渦 、〝体内(脳内)界の光学的認識〟としても見える。 

これが脳内スパーク・フェノミナの視覚化であり、
日常わたしたちが〝空間世界〟として馴染んで、暮らしている光学的認識世界としては、

...体外か?体内か?の違いがあっても、
本当は全く同一のリアリティーだ。

これが
世界の中心、〝わたし〟の源泉である「アイン」〝無〟と、
ありとあらゆる可能性、「アイン・ソフ・ア(り)ウル」〝無限光〟との
中間に位置する「ソフ(祖父)=世界の果て」の瞬間瞬間の世界の姿・・・・

               【エレクトリカル・パレード】、 

                【サイケデリック・リアリティー】だ。


つまり、「瞬間、瞬間に生きる」 「瞬間に死んで、瞬間に生きる」 という
〝底なし沼(トーラス)の楽しみ方〟のコツの習得は、まずこの認識から始まる。
torsionanimated

--------------------

わたしたちは皆、M78星雲から地上を救う為にやってきた銀色の巨人なのだ。

しかし、日常ではグラス・ホッパー(バッタ)の仮面を付けてショッカー(創価)と闘うのが
関の山だ。

わたしたちは創価学会に絶対に勝てない

なぜならば、価値観はすべてmade in Souka だからだ。
日本の価値観のパテントは、ほとんどはCIA、メーソンのエージェント、作者:逝け駄作センセーが
M&A=買収してしまったからだ。

衣食住、...政治・経済・法曹界・マスコミ・裏社会(暴力団)のほとんどがそうだ。

最後の砦、皇室にさえ、もう北朝鮮プリンセス・もうオワリダ\(^o^)/雑子・愛子が浸食している。



わたしたちのこの肉体は、もはやショッカーの〝改造人間〟なのだ。
だから逝け駄作先生から見れば、反ショッカー、仮面ライダーとは「裏切り者」なのだ。


ディスクロージャー(地球外知的生命体の大量飛来)を待っている人達も
決してショッカーは倒せない。 むしろ彼らは(自覚はなくとも)日本を浸食しようとしている
ショッカーの一味なのだ。   その点では、ET(地球外知的生命体)も在日朝鮮人も変わらない。

自らを太陽の子、世界の光源として自覚しているものだけが〝銀色の巨人〟=ウルトラマンである。

かれらは、外の宇宙に援軍を待つような日和見主義者でも弱虫でもない。
かれらこそ、アローンネスな彼ら自身が、わたしたちひとりひとりが
地上に光をもたらす光の支援者=シェーンなのだ。



シェーンはいつもひとりだ。
誰と居て、誰と協力し合っていても、誰と相対していようと、
誰に愛されようと、憎まれようと、ひとりだ。

なぜならシェーンにとって、いや、すべてのローン・ガンメンにとって、頼れるのは自分だけ

                                    ・・・・だって他に誰が責任をとれる?

  そして、

    生死を分ける勝負の要(かなめ)は、いつだって瞬間の判断だ。

    一秒の遅れとは、それは即刻、問答無用の「死」を意味する。

                             鉛の弾が、体を貫くことを意味する



                                誰と愛し合っていても、彼は流されない。

                                    何を信じていようと、彼は拘らない。


「まっすぐ、強くなれ」 「そして父さんと母さんを守ってやるんだ」

かれは、少年に次世代のシェーンと成ることを託し、去ってゆく

   彼を導くのは
      遙かなる山の呼び声(ソフ/祖父=世界の果てから見守るもうひとりの自分)のみ

                     それは自らの背骨に流れる滝の音(タキオン)でもある。


「わたしは昨日言ったことと、今日言うこととを、なるべく矛盾するように話している」

「わたしはいつまで君たちに〝感銘〟を与え続けなければいけないのかね?」

「そのうち、あなたはわたしの話の内容を聞くのではなく、わたしが話しているのを
滝の音を聴く様に感じるだろう」   By OSHO

私は正直言って彼の文学も思想も、詳しいわけではない。
ただ、非常に興味だけはあった

かれのボディービルディングへの傾倒は、同じ男として
理解出来無いわけではない。

男には多少なりともマッチョへの憧れはあるからだ
でも、さらにそれに飽きたらず自傷して血を垂らすことを
美学と感じた当たりには、ちょっと異常性を感じていた。


でも最近想うのは、

 「人間は自らの温かい血をポタポタ垂らしながらでなければ
  本当に人生から瞬間瞬間、学ぶことも感じることも
   無いんじゃないだろうか?」

っていうのはあるかもしれんなと言うことだ。

そして、昨夜瞑想していて、ちょっと興味深いヴィジョンが飛び込んできた。

 ☆  それは、私自身が第一頸椎あたりから幽体離脱した感覚だった。

江戸時代ぐらいまでは斬首というのは珍しくない死刑方法だった。
切腹も名誉死であって、単純な刑罰とは違うが、最終的には
死に至るのは腹を切った出血死ではなく〝介錯〟つまり頸椎の切断によってだ。

三島も最終的な死因はきっとそうだったのだろう

〝死〟というのは、最終的には誰にとっても避けられない人生最大のテーマなのだが
それゆえに、(そのお陰で) 私たちはこの人生で経験しうる全てに対して
相対した(客観視した)立場に立つことが可能だ。

    死を背景に背負うならば、
    人生すべてのことを冷静に (シャープに) 見ることが出来る


社会が〝死〟というものから、ことさら私たちを遠ざけようとするのはそれが理由だと思う。
私たち自身も気がつけば死という現象から顔を背けるようになっている

頸椎の一カ所を〝出入り口(PORT)〟として自らの肉体経験を相対して眺めていた私は
そのバックグラウンドはさかめく光の洪水の中のような感じであり、また、つい先日
東京は大雪であったが、まるで白銀の世界に、この三次元の世界が閉ざされている
かのようでもあった....つまり、この世界は無限につづく莫大な雪に覆われた
小さな箱庭のようだった。

この「無限につづく雪」というのが、宇宙戦艦ヤマトの重要な登場人物である「森雪」
の名前でもある・・・  つまりこの〝白銀の無限世界〟こそが、魂の世界であり
〝タキオン〟の世界なのだと言うことではないか?


   その点、先日「波動エンジンの正体は?」という記事を書いたことと、
   昨夜の瞑想体験とは、どやらリンクしているようだ。

肉体の感覚は残っているのに、同時にこの世界から「ログアウト」したような感覚...
なんともファンタスティックだった。

「死」というのは、この肉体からの「ログアウト」なのだとも言えるが、もし、「ログイン」や
「ログアウト」が自由自在に出来たり、あるいは、「ログアウト」していても、この肉体世界を
ある程度(ROM状態でも良いから)観察し続けることが出来たら、どれほど素敵であろうか?

〝不老不死〟というのは一般的にはこの肉体が永遠に使用出来ること、腐りも壊れもしない
事を意味するが、そんな鋼鉄のサイボーグのような夢を見る必要もなく、私たちは案外完全な
不老不死を手に出来るのかも知れない。  ...それが昨夜私が見たヴィジョンなのかも?


三島由紀夫の死にはシリアスな空気が漂うが、あの人にとっての〝天皇〟とは
この世とあの世とを自由に行き来出来るようになる(仏教用語で言う〝往生〟だが)
その為のアンカー(=錨)の役割が〝天皇の価値〟なのかもしれない。

だとしたら彼はナカナカ面白い可能性の実験をするために命をかけたことになる。

この瞑想体験をしたあと、突如思い出したことがある。

それは25年ほどの大昔に遡る...
初めてバグワン・シュリ・ラジニーシの事を教えてくれたサニヤシンの家に泊まった晩に
ドクタースランプ アラレちゃんのようにわたしが自分の首を〝取り外して〟〝戻す〟夢を見たことだ

   夢の中でわたしはいぶかる・・・  「こ! こんな事をして大丈夫なんだろうか!?」

で、翌朝目を醒ました私はこの不思議な夢を、
泊めてくれたマ・プレム・アニマに語ったのだが、
「あ~~ら!それってとっても素敵な夢じゃない?」っと笑ってくれた。




淀川さんが黒澤映画を語る時に次々と繰り出してくるキーワード。

「ヒューマニズム」「本気」「シャープ」

小津映画は三味線、黒澤さんはヴァイオリン

これには非常に感銘した

映画を語る淀川さんって、やっぱチャネってるな、っと確信



カキン!としたシャープさが、人を癒すんだよね

いままでは、女性的なソフトさ、暖かさ、タッチと思っていた。
それは確かにそうなのだけれど、そのコントラストとして
凍り付くほどの明瞭さ、シャープさが必要だ。

   ...それが確かな手応え、完全な理解を人生にもたらすからね

それが判らないバカ女、男に優しさを求めるだけの脳天気女には
男性原理の愛はワカランだろう。

宇宙戦艦ヤマトの実写化とスタートレックのリボーンとがほぼ同時だったのは
どうしても偶然とは思えなかった

ヤマトという船名にわたしたち日本人は特別の郷愁を感じるが、ではなぜスタートレックの
主役の船名がエンタープライズなのだろうか?

エンタープライズという単語を検索してみると、〝幽霊船〟と言う意味だ。
そんな薄気味悪い言葉に、なぜアメリカ人は特別な思い入れを持つのだろうか?

フトそんな事を思い詰めてみると、幽霊船とはつまり「船員が死に絶えても動き続ける船」
なのだから、そこから連想するのは「生きている船」「自らの意思を持つ船」と解釈することが
出来なくもない。

そういえば、法人のことをエンタープライズと言ったりする。

個人と違って、法人とはあくまで〝船〟だ。
〝船〟に過ぎないのに人格がある・・・  つまりは法人という訳なのか?


瞑想の中にあって、けっこうギリギリというかヤバイ領域においては

  「人体、人格は地球に無数にあっても、
             生命はひとつ、私はひとつ、すべてはひとつ」
という
感覚がある。

ではその時、人間や動物、植物、昆虫、魚類など、生命体は無数であっても
いのち無く、単なる無機物である鉱物の世界ではどうなのだろうか?

〝かれら〟もまた、このワンネスの中に含まれるのだ!!

だから、すべてのすべて、素粒子のレベルから、惑星、銀河系のレベルの
大きさのものまで、独自の単位の、独自の意識、独自の個性、独自の意思が
存在するのだ!!

これが、エヴァンゲリオンの綾波レイが意味するところなのじゃないかなと思う

        すべての時空間がヤマト(無限微分=男性原理)であり、

          すべての器がエンタープライズ(積分宇宙=女性原理)なのだ!!


そしてそれは、敗戦国の将として昭和天皇がマッカーサーの前に立った瞬間から
はじまった奇跡の融合だったのだと思う。

「わたしが身代わりになるから天皇の名の下に闘った餓えた国民を救って欲しい」



この時、メーソン33階位のマッカーサーは、ある意味、天皇陛下に“帰依”したとも言えるかも知れない





これが、ヤマトという(陛下への)求芯原理と
エンタープライズという(知的探求の)遠芯原理とになった





その陰陽両極が揃った時、この星の未来が開いたのだと思う

マッカーサーと天皇

日本人ひとりひとりの心臓と血液だった

でも、日本人の心臓一つ一つを解剖しても波動エンジンの設計は解明出来ない。

重要なのは個々の肉体的な心臓というのではなくそのネットワーク接続(workgroup)そのものが、
波動(ワープ)エンジンとしての機能構造=カタカムナなのだ。

日本人の血液はその時空を超越したネットワークを駆け巡る!

その血液の中のパケットデーターこそがタキオン粒子だ。

これが、実は私たちとは何か=who am I ?っという究極の問いへの解答だ

私たち日本人の魂とはタキオン粒子だったのだ!
タキオン(=滝音)とはカスケーディング・サウンドのこと!

それは全宇宙を光の速度をも超えて轟く音楽。
全宇宙のシンクロを統べるたったひとつの音楽だったのだ!

憂国フラッシュ:嗚呼大和エンディング
(画面を右クリックで再生のコントロール可能)

モーフィアス=ウサマ師の率いるアルカイダ(義勇兵)がバックアップする
ネブカドネザル (根深度寝ざる=奥深くから不眠不休で働きかける)
ネットワーク・エンジン!
それが宇宙戦艦ヤマトの心臓機関だ!


※ ただし、波動エンジンをこの三次元で物質的に製作するにはロシアの協力が必要
なぜなら「(原子)炉のシェアー(技術)」を完成させているのがロシアだから!!



このページのトップヘ