We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

2014年01月

それはユダヤの民の“バビロン捕囚”からだろう

それまでも、“強きが弱きを隷属化する”どらまはあったのだろうが、
それは、ある意味での自然淘汰だったともいえる。

しかし、ここに「神に選ばれたハズの」人々が、奴隷化されるという事態が起きた。


つまり、「信仰が現実に屈服した」瞬間が訪れたのだ。


この瞬間から、イルミナティーの歴史は始まったと言ってもいいかも知れない

イルミネーションとは、「太陽の光」ではない
クリスマスツリーの様な、「闇の中のキラキラした光」のことである


まず、「この世は闇だ」という認識があり、
そして、「われらはこの闇の中で光を求める」という探求の旅が始まる


OSHOは何度も「Don't Search !!」(探すな!)と言っている
つまり、「探す」と言うこと自体が、「いまこことは闇だ」と言い聞かせていることになるからだ

ナイト・アンド・デイ...すべてが闇に包まれ、光が気の遠くなる様な彼方のような時もあれば
すべてが太陽の光に包まれ、闇がむしろ人々の憩いとなる様な“木陰”である時もある。


イスラエルという国名はそもそもは「水晶の国」という意味なそうな....

「われらは選ばれた民である」と言うことの意味を、表層的に解釈するならば
それは優越感、選民意識である。

サンバディーであること、...何者かであると自分にアイデンティティーを冠する
ことは瞬間の快楽を与えてくれる。  いろいろなものが「特別に」付与される特権が
保証される様に見えるからだ。

だが、もしそのとおりだとしても、そこにはとんでもない、とてつもない“代償”があることに
遅かれ早かれ、人は気がつく。


人の高みに登る者、孤独の罰を受けるべし.....


〝王〟というのは、〝特権者〟〝権威者〟というものは、本質的に
凡庸なるひとびとの依存性の「いけにえ」なのだ


彼らは常に、指導者、オピニオンリーダー、教師、救世主...いけにえ、をもとめているのだ

そして、そんな「奴隷になりたい」ひとたちの為の奴隷、いけにえ...それが、王、であり、神の選民なのだ


しかし、それに気がついたときには、もう「神の座」から降りる為のはしごは、とっくに外されている
あるのは登り詰める為の階段だけ、そして、その頂上にあるのは、十字架だけだ。


選民意識、救世主、特別な誰かさんであるということは
永遠の死の恐怖への隷属を意味する



「にげよ、にげよ、すべてのジュネーブから逃げよ!」
ノストラダムスの警告が、聞こえる

それは快楽と不安の魔境(六本木)
その代償は、奴隷と支配との連鎖

I am that I am

“それ”がわたしである

定義したものが、自分自身になる


何と素晴らしい、何と恐ろしい言葉だろう


この言葉が真実なのなら、“わたし”には無限の可能性がある


だが、その無限の可能性は“AKIRA”やアトランティスの滅亡の様な危険性も

含んでいる


通常、わたしたちは “この” 世界に生まれ落ちた “ちっぽけなひとり”

という自覚で生きている。


つまり、その前には両親がいて、先祖がいて...生命の進化があって...

だから、“この” 世界が自分という存在の“原因母体(マトリックス)”であり

自分という存在は、その他無数の存在達とならぶ“結果の一つ”だと考える


だから、この世界での因果律が“確かなもの”であり

自分という意識の奥で瞬間瞬間にフラッシュする、交錯するさまざま思いは

脳のノイズの様な “いいかげんな現象” だとしか思えない


両目を開けて見える世界には一貫性がある。

突如、目の前の机が現れたり消えたり、仕掛けもなく空を飛んだりはしない

自分の部屋にいたはずなのに、次の瞬間に海辺で潮風に当たっているなどと言うことは

ありえない


しかし、空想の世界には一貫性が無く、それはアリスのワンダーランドだ


だから、そんな “内的な世界” は信用出来無くって当然だ


信用出来るのは、

ご飯が食べられるのは

 “この世界” だけだ。   だから私たちは “この” 世界を信じている


しかし、“ジブン”という意識のバックヤードには無限の空間が広がっている


ひょっとしたら、それこそが“実相”であり、この、目の前の世界が “仮想” なのかもしれない

すべてのすべての...すべての原因母体が、もしジブンの意識の内奥なのだとしたら???


...わたしたちは身震いする。

   なぜなら、もしそんなことならば、すべてのすべての、すべての責任は

   “創造主” である自分にかかってくるからだ


   が、しかし、心配ご無用!  その “自分” でさえ創造主と言うより、

                         むしろ、被造物なのだから(笑)


Yehovah-Echad-Ben-Elohim

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