「何故人類は・・・?」っと一般論として、問い掛けた瞬間から、
私たちは皆マインドの中に逃げ込んでしまっている

   ・・・・っと、いうわけだ・・・・


  まず、国家間の壁を語る前に、私の中の壁が何なのか?と思う

・・・それは、時間という幻想、因果律という「説明」の中で生きてきたから
   それの拡大版が国家の壁に過ぎない

つまり、その壁こそが葛藤なのだ
     「内と外」とを隔てる壁なのだ

でもだからといって
   物理的に「壁」を壊すことは無用だ

   人間の身体の臓器が役割によって別れている様に
   この星にも地域性があり、民族的な多様性はむしろ豊かさなのだから

   グローバル主義者になれと、アースデイに参加せよということが
   「平和への道」なのではない

   本当の平和とは何か?

   それを知りうる者だけが、平和への道しるべになれる

    ただそれだけの、単純な話しだ

平和についての一般概念を語るのは単なる知的な遊びだ

愛のビジョンを美しい映像で訴えても、人は変容しない

文字通りの「絵に描いた餅」だ


むしろそんなイメージ遊びによって、

  「自分は愛の戦士なのだ」

と陶酔していることに大きな落とし穴がある様に思う

       ・・・乙女チックな気分が抜けない女性に多い様だけれど

   ところが、女性の方がよほど「内と外」とを分け隔てている様に思える

無理もない
女性は子供を産み育てるという本能を持っているのだから・・・

彼女たちは、戦争は兵士が始めると思い込んでいて
        軍人こそが好戦的なのだと思い込んでいるが
        これもまた女性の大好きなファンタージーの世界の一部だ

D.マッカーサーが将校クラブで演説している様に、

軍人こそが、命がけで平和を祈念している

この世界でスポーツの肉弾戦が好きな人はいても
本当の殺し合いが好きな人というのはほんの僅かだ

では何故戦争が起きるのか?と言えば
「愛する家庭、家族、安らぎのふる里、豊かな国家の礎を守らなければ」

   っという使命感が、男達に武器を取らせてきたのだ

    昔から、戦争が起きたとき、男は殺され奴隷にされ、女は犯された

     もしその脅威がなければ、世界の戦争はどれ程少なかっただろう?

「守るべき壁」とは常に、家であり、妻子であり、財産だった

そういう、「守るべき動機」がなければ、
国防という戦争の動機は遙かに軽減され
略奪のための侵略戦争さえ、軽減されていただろう

男達が、自分自身の身を守るためだけなら、
戦争などと言う大規模な殺し合いをする動機は
どれほど無意味となっただろうか?

たとえ侵略者が攻め込んでくることがあったにせよ
男達がただ我が身を守るためだけなら
殺し合いを回避して、ただ逃走すると言うことだって可能なのだ

しかし、背後に「守るべき者」があった時
         男達は唇を食いしばり、防衛線に踏みとどまって、
                死の恐怖も省みずに勇敢に戦ってきた

そういう歴史を・・・  女性達は知らないとでも言うのだろうか?

「犯罪の影に女あり」という言葉があるが
「戦争の影」にも女があるのだ。

何故世の中に「壁」があるのか・・・・?

なぜ、人のマインドに分裂があるのか?

「愛と平和と・・・」そして
女性同権を姦しく叫んでいる女性達には
まずそこを理解してもらいたいものである

ここまで思い巡らしてみると、
「結婚制度」というのは戦争を基礎とした文明の
           「アルファでありオメガ」の様に思えてくる・・・


   なぜ、男性が草食系と言われ相対的に
       女性が肉食系となってしまったのか?

      理由はカンタンで、男性にとってだんだん
       結婚はハンディーとリスクの面が大きくなり

      逆に反比例して結婚ということのメリット、魅力が
         激減してきているからだ

    もはや、「命がけで家庭を守る」より、電化製品に囲まれて
       給料をすべて自分のために使い、余暇をひとりで楽しむ方が
        生き甲斐を見つけやすいからだ


「結婚制度」というのは、
男女の関係に「契約」という概念を持ち込んだ

あえてそういう制度に男女が誓いを立てて縛り合い、
子育てにカップルの単位で責任を持つという意義、
仕事や家事、子育てにおける夫婦としての役割分担
           と言う面も今までは確かにあった・・・

しかし、いまの家庭にそういうプラス面は大きいのだろうか?

むしろ、愛の契約とは男女のビビットな関係性を腐敗させる
マイナス面の方が、社会にも急速に拡大しはじめたのではないだろうか?


しかしこの時代激変がもたらした状況に、
多くの女性達は取り残されたのままなのではないだろうか?

   もはや子孫を残すというテーマ、
   自分自身の孤独死というテーマ
    老いた両親を介護するというテーマ
          すらも絶望的な状況に成って(諦めて)しまうと
           結婚の価値は男性にとって、とてつもなく萎んでしまっている

   その変化に、殆どの女性はキョトンとしているのでは無いだろうか?

    どんどんアンティーク化、アナクロ化しつつある
     「結婚という大ロマンティズム」に関しては、どうしても女性の方が
      依存度が高いのはやむを得ない

     女性達こそが、この「ロマンの舟」と一緒に沈みかかっている気がする

      それは、一見、
       無事めでたく結婚というゴールにたどり着けた
       いわゆる主婦にとっても、意外な程、関係がある

        そのロマンスのゴールとは、覚悟していた以上に古めかしく
        その「義務の拘束」は、彼女たちが覚悟していた以上に
        現代の家庭の妻達を蝕んでいる様に思える・・・

    「男性にとって」だけではなく「女性にとって」・・・すら
    耐えがたい息苦しい日常なのだ・・・
  我々男達は皆知っている。
  平和なとき女達は、着飾って花を愛でながらきれいごとを言っているが
  退屈している時には、本当に血に餓えているのは女達だと知っている

   自分たち愛する女を守るために、血しぶきを散らして闘う男同士の姿に
   興奮を感じる女の残忍な本能を、我々男達は本能的に知っているのだ


ここで話しはクリシュナムルティーに帰って行く

    もはや、「個人の結晶」というテーマは性別に関係なく、人々に
    迫ってきている・・・・  なぜなら、私たち自身が望んだからだ!

      その「光の洪水」が、結婚という「人類有史よりの制度」にも
      遂に「耐用年数」を宣告しはじめたのではないだろうか?

介護、老齢化、少子化、金融危機、エネルギー問題・・・・etcetc
かといって、もはや鬱積した問題を、単に戦争でちゃぶ台をひっくり返すという
単純な誤魔化しも、もはや簡単にはできない・・・・

それは今後、結婚制度をどうするか?、
個々人の葛藤の解決は何処にあるのか?
と、いう身近な問題と全く密接に絡んでいるのはまちがいない。

それは私も、今必死に答えを探している・・・   ひとりだ