リサ ランドールの 世界 : 5次元宇宙 : ワープする宇宙... 投稿者 desler-basileus


リサ・ランドール博士の5次元理論は素粒子があらわれたり消えたりという
現象に対して、とても妥当な説明をしていると思う

でも、私が思うにもう一つの説明のしかたがある様に思う

それは、

素粒子が突如消えるのは・・・・

  「我々の科学的測定の検知外にまで、微細に分解している」

    あるいは
      「エネルギー化した」という説明だ

  そしてまたその素粒子が姿を現すのは・・・

   「微細に分解た素粒子が、
      また我々の科学的測定の検知可能な範囲にまで再構成された」

   あるいは
     「エネルギー化していた素粒子が、粒子に戻った」という説明だ


 私たちの日常の感覚では
   たとえば人体が細胞レベルまで崩壊してしまったら
        死んでしまい、また、元の人体には戻らない

でも、素粒子の世界はそうではないかも知れない

 エントロピーの法則に従うなら、物体は全て、
  「より粗雑化(崩壊)していってしまい、不可逆である」という

しかし、実は例外がある・・・それは我々、生命体の身体だ

確かに細胞レベルでバラバラの木っ端みじんに分解されてしまうと
しんでしまい、もはや「死体」であるが、でも例えば刃物で怪我をした場合
エントロピーの法則に逆らって、細胞は傷口を塞ぎ、秩序を取り戻そうとする

  ・・・これが、玄米正食で言う「無双原理での“陽”の作用=求心力」である

もちろん、
「引き締め」作用だけでは生体は成り立たない
「緩和」、つまり“陰”の遠心力作用とのバランスによって生命体は成立する

  そもそも、「生命」の定義が、自分たち炭素型の地球上の生命を
   中心になされているものであって、そんな人間の勝手に考えた
    「生命の定義」に、この宇宙は構ってくれるのだろうか・・・・?

私たち人間が想像も付かないぐらいの
             素粒子の様な小さなスケール・・・・

   あるいは惑星とか銀河系とかの巨大なスケールでも
    「意思」や「知性」  ・・・・いやそれどころか人知を遙かに超える
                    英知を持っているかも知れないではないか?


OSHOの「秘境の心理学」の中ではケテル=サハスラーラ・チャクラの世界観を
「ブッディー」とよび「ニルヴァーナの境地」という。

秘教の心理学
和尚
めるくまーる
1995-02



tree_of_life七つの身体


球心性によって素粒子は凝縮され、この世界に姿を現す
遠心性によって素粒子は拡散され、この世界から忽然と姿を消す
torsionanimated
それを
「何処か別の時空間、パラレルワールドに一時的に
逃げていったのではないか?」というのがリサ博士の仮説だ


まあ、実際には「同じ事の角度を変えた説明」に過ぎないかもしれない

実際、七つの身体論では、「上位身体とはより“微細体”のことだ」という
表現はいくつもの文献で言われている

肉体、細胞、高分子、原子、素粒子・・・っといった感じに・・・・



  いまさらながら、言うまでもないがこう言う物理の世界観は
   「たわごと」ではなく「物理学的事実」だということで
    別に神秘主義でも、オカルトでも、妄想でもない

     単に、日常感覚では「ピンと来ない」だけの話しだ

      現前とした事実だ

すると如何に私たちは
「アリスの(フラクタルな)ワンダーランド」に生きているのか?慄然とする



  悪夢ではないのだ

   これは一種の「予想」だけれど
   もう少し量子力学が発達したなら、この想像を絶する小さな世界の
   素粒子達ひとつひとつが、私たち人間に負けない程の

   「個性:ユニークネス」と
   「知性:インテリジェンス」「独自性:インディビディアリティー」を
   備えていることを発見できるのではないだろうか?


       いや、 私たち自身が  「それ」  なのかもしれない


     で、あれば「わたしたち」とは実在なのか?それとも非在なのか?
       ちょっと断言しがたくなってくる

    ハードディスクはいまや「テラ」の単位だけれど
    これら莫大な情報容量のなかに収まっている
    「情報の世界」とは「実在」なのか?「非在」なのか?

  そろばんと原理は同じだ

  ぱちぱちと駒をはじくが、「ご破算で願いましては・・・」と声がかかった瞬間
  ジャジャジャ、っと振ってしまうと一瞬で今までのデーターは消える

   一瞬で「なかったこと」に出来てしまうのがデーターの世界だ

        だから「非在」なのか?


私たちの日常感覚では、
「恒久的なもの」を「堅い現実」とみなし、ベッドの中で見る夢や
脳裏をよぎるヴィジョン、想いは非存在のシャボン玉であると判断している

だから悪夢にうなされても、汗だくでバッと飛び起きて
「あ~~夢で良かった~~」と言うことは多々あるが
確かにこの「安定した、一貫性のある世界」というのは救いではある

でもだからといって、
『朝の寝床』が「リアル」で『瞬間的なひらめき、想い』は「アンリアル」なのか?

      その基準はどうも疑わしい


「小さいもの」が「アンリアル」  「フィジカルでないもの」が「アンリアル」とは
到底思えない

単に、「スケールのデカイもの」は生成、変遷、消滅までの反応時間の
タイムスケールが緩慢なだけだ

  ・・・その「緩慢な基準」を元に
         わたしたちは「リアル」と認識しているだけの様に思う

           しかしそれは、科学的ではない事は確かだ


また、物体ではないエネルギー現象だって、
ちゃんと「リアル」と認められて居るではないか?


で、あるならば、  なにかが「存在する」「存在しない」という、
            一見シンプルな、すぐに決着が着きそうな「問い」
           でさえもが、たそがれの夕焼けの様な
          曖昧で解答し難い究極の「問い」なんじゃないだろうか?