【呼吸法で思考を切り離す】
2014年11月23日

  魚住 心
 <当初、シェアしてもらったことを大喜び
  この記事を読んだら血相を変えて削除を要求
  拒否したら、私をブロックした模様

【思考のノイズとさよならしたら】
2014年11月21日 8:27
  さとう まさみ

OSHOが「存在の詩」で、バグワン・シュリ・ラジニーシという旧名で
日本にも紹介されてからではないだろうか? マインドという言葉が
瞑想状態に対する「邪魔」な存在のように使われはじめたのは?

ほぼ同時期に米国から渡ってきたナポレオン・ヒルを元祖?とする
ニューソート、成功哲学、願望実現、「思考は実現する」という発想と
ある種の対極に、OSHOの言葉があった

私なりにまとめるなら

  願望、目的、理想の達成を目指す自己実現とは男性原理

    であり

   くつろぎ、ノーマインド、自己受容で起きる意識変容とは女性原理

             と言うことなのだと思う


しかし強調したいのは、OSHOの発言に、
「マインドを切り離せ」などといった表現を見かけたことはないということだ

ところが、サニヤシン達の共通する台詞、いわゆるサニヤシン用語というのがあり
それは「マインドを切り離せ」である

そういう点が、
わたしがサニヤシン達と関わっていて最も違和感を感じたところだ・・・

「バグワンはそんな事一言もいっておらんだろうが?」
わたしは思うのだが、でも、なぜか?サニヤシンが誰かの発言を
否定するときの定番の台詞は、

  「そんなのはマインドに過ぎない・・・」である

日本には昔から「無念無想」・・・眠狂四郎「円月殺法」~~みたいなカッチョイイ
ことばがあるので、多分、そういうのと「まじゃっちょる」のではないか?と思う



瞬間瞬間を生きるというのは、シリアスに考えると難しい事だが
でもそれは、人間以外の生き物は全部やっていることなのだ

動物たちの目が皆澄んで美しいのはそれゆえだ
過去や未来、希望や願望や不安に汚染されていない目なのだ

人間は考える葦である

思考能力というのも人間に自然に備わった最強の生存能力なのだから
それを「切り離す」と言う発想は極めて不自然で、不健全ではないだろうか?

OSHOはその「便利なツール」に
「便利さ故に自己同一化(巻き込まれ)ない様に・・・」 観照しなさいと
言ってるのであって、それは「切り離せ」という作意を持てと言っている
のではないと思う



「私はよく “醒めていなさい” というが、それは努力や集中ではない」
ともOSHO自ら言っている

  やはり、OSHOの語り口の美しさに「酔って」「張り切って」しまう人が
  多いと言うことじゃないだろうか?

  「覚醒」という言葉の対義は「睡眠」なのだろうけれど
  実際は睡眠中は、サブコンシャス、つまり潜在意識が「目覚めている」と
  言ってもいいかも知れない

  で、あれば
  フォーチュンベルのミサ先生がアカシック・リーディングしたところの
  「エンライトメントの定義」が
       「顕在意識と潜在意識との統合である」という
          シンプルな解答は、実に正鵠を得ているのではないだろうか?


  よく、入眠時や出眠時は非常に深い瞑想状態と脳波が似ているから
  啓示を得やすい重要な瞬間だという

  つまり顕在意識と潜在意識との入れ替わるトワイライト・ゾーンは
  エンライトメントの状態と極めて近いからだと考えれば納得出来る

  私たちが「醒める」という言葉を使う場合と
  OSHOが「醒める」という言葉を使いのとでは
  どおやら意味合いが違うというわけだ

私たちは顕在意識が最もハッキリ機能している状態のことを
「醒める」と一般的には考える・・・・

   ・・・・朝起きたら、珈琲を飲み、熱いシャワーを浴びて

   ・・・・「目を醒ます」

しかし、OSHOが言うところの「醒める」とは、・・・・?

つまり、瞑想的な意味の「醒める」とは、
顕在意識と潜在意識との混じり合ったような状態ではないだろうか?

これは、
むしろ深いリラックスであり、ならば「醒めるというのは努力じゃないよ」
というOSHOの言葉が納得出来る

   そして、「マインドを追い払う」のでも「切り離す」のでも
         「厄介者扱い」するのでも「敵視」するのでもなく・・・

     ・・・・・う~~ん、あ、あんな考えが漂ってる
          お~~、オレって今こんな風に考えているのかあ~~

みたいな意識状態じゃないだろうか?

むしろ私たちの日常用語で言えば「朦朧としている」ほうに、
むしろ近いかも知れない

高熱を出して朦朧としているときに体験したことがないだろうか?
何かを考えようとしている・・・  でも、体力が足りなくって
思考が巧く働かない!!

     あなたは、カンカンに怒っている瞬間に
     自分の中でクスクス笑い転げているもうひとりの自分に
     はっと気が付いたことはないだろうか?

      怒りで我を忘れている!   ・・・・ハズだ!

      ところが、同じ瞬間に、冷静に事の状況を分析し、
      次にどの様に対処するべきか?瞬間のウチに
      めまぐるしく思索している自分を意識したことはないか?

        本気で暴力沙汰になりそうな空気の時に
        こう言う経験をした人は多いと思う


  入眠前の、非常にリラックスした瞬間のみ成らず
  イッパツ触発の、緊急事態でもある種の覚醒体験をするということがあるのだ

   わたしも車に跳ね上げられて、空中を一回転した瞬間に、
   全てがスローモーションのように見えた・・・といった体験が二度ほど有る

    ほんのコンマ数秒の間に、どの様に落下すれば一番安全か?
    落下の体勢を超高速で演算している自分がそこにいた

    ・・・・これだってマインドだと言えばマインドである


  「マインドが邪魔だ」と言う人は、思考速度がむしろトロいのではないだろうか?
  思考の鋭角さが、むしろ足りないのではないだろうか?

  そして、なにかに耽溺している人が多い気がする

  たとえば上記のさとうまさみさんという人は、ずいぶんと男性に対して
  被害者意識を持っているようだ

  だから、男性を徹底的に「容赦なく」再教育するべきだ、
  女に優しい社会を作るべきだと気炎を上げている・・・ 


で、・・・

両性の法則を手に入れたらクリアできます」と言っているのだが、・・・
彼女のいう“両性”とは、「徹底的に容赦なく再教育を施した男性と」
「不当に虐げられた私たち女性」とのことを言っている

こんな人が
「マツ科の植物」のなんちゃらをスプーンでガシガシ食べて・・ぇぇぇ・・・
思考能力を失ったら   ・・・いったいどうなることやら???

(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

まあ、確かにリラックス出来ると言うことも大事なことだ
特に魚住氏の薦めるヴィパサナ瞑想法は、あらゆる瞑想法の
原点とも言える重要な手法で、私も薦める

でも、「思考を切り離そうとする意図」は、どうか?と思うのだ

わたしにとっては「覚醒」の対義語は
「マインド」それ自体ではなく
「睡眠」「朦朧」でもない

耽溺、思い込み、トラウマ、劣等感、強迫観念、選民意識、被害者意識・・・
比較への執着・・・・

  偏執的な嗜好、宗教的、道徳的観念の盲信、依存、
   神経症的潔癖(完璧)主義・・・

  そして「マインドを切り離さなければ!」という
     自己コントロールへの野心、目的意識、理想、探求、奮闘・・・

            っといったところじゃないだろうか?

ある男が、マインドの止め方を尋ねる為にひとりの聖者の
元を訪れた

すると、聖者はその男にひとつのメソッドを授けた

「毎日、猿について考えないように集中してご覧!」

「え?  猿について考えない?」

「そうだ、それを数日試してから、また来なさい」


そして、数日後その男は憔悴しきって、また聖者の元を
訪れるやいなや、こう懇願した

「もうマインドを止めようとは思いません!!」

「お願いですからこのアタマの中にごった返すサル共を
何とかして下さい!!!」 

「存在の詩」より


エイブラハム・ヒックス動画
「雑念(モンキーマインド)を止めるにはどうしたら良いですか?」




「流れに逆らって思考に振り回されている時には瞑想が有効です」

「立ち止まって、向きを変え無理のない大いなる全体性への
流れに乗るために・・・」

「でももし
『(思考を切り離して)毎日何時間でも瞑想するぞ!』という人がいたら
彼は
自分の思考を方向付けすることを諦めましたと宣言しているんです」

「でもあなたは立ち止まる(ポーズ)為に生まれて来たのではありません」

「あなたはクリエイターとして生まれてきたんですよ!」