OSHOの「サクシン」瞑想センターの元センターリーダーが言っていた

  「瞑想というのは、ここで死んでも良いと思えるぐらい
   トータルにコミットメントしてやるべきだよ」

全くその通りだと思う

脇で誰かが聞いていたら、「まるでオウムだな」と思われかねない
会話だがやむを得ないだろう・・・  こういうことはいつも常識とは
折り合いが良くない・・・  社会は変革よりも安定を求めるからだ

  社会が求める「瞑想」とは、ダイエットとか精神安定のための
  カルチャースクールで教えている飼い慣らされたものだ


「いまここ」に踏みとどまりたいのならば、
「いまここ」で全てが終わってもいい、望むところだと思うことだ

  ---その時、あなたの周りで死臭がするだろう
            あなたの傍らに死に神の気配がするだろう

  でも死に神とは、ハイヤーセルフのバリエーションのひとつに過ぎない
   あなたの中での最も深い同意があってこそ、彼はあなたを連れ去る

    彼は死刑執行人と言うよりも、最高の救済者なのだ


いままでわたしは、瞑想によって何かを持ち帰り、
このブログにその体験を書き留めていたが、
これを続けている以上、「いまここ」の中に溺れ死ぬことが出来ない

本当に「いまここ」の中に死にたいのならば
もう何も持ち帰ろうとはしないことだ

   ---それはかなり前から判っていた


私たちとは何なのか?

いま、誰もが感じているとおり、この肉体をよりしろとして
「見て」「感じて」いることが全てなのか?

それとも、
映画「マトリックス」のように、わたしは「2014年の日本という国に
生活している男性」という夢を見ているだけで、本当の肉体
(ハイヤーセルフ)はどこかに飼育されているのか?

はたまた、未来の実験室の水槽の中に浮かんでいる脳みそなのか?

それとも映画「トータル・リコール」のように200年後のサラリーマンが
バケーションで2014年の日本人男性にトリップしているだけなのだろうか?

  わたし自身「まさか、そんなねえ~~」と思ってはいるが、
  もしそうだとしても、確かめるすべがないというところがミソである


「本当の自分探し」をはじめて、玉葱の皮を剥くように自分の自己欺瞞を
はぎ取っていっても、最後には何も残らない

最終的には神の探求とか、人生の究極目的の探求とかと同じで
「確かめるすべがない」というのが・・・実は最終回答なのだ

つまり、真実を
「確かめよう」「見定めよう」と野心をぎらつかせている本人こそが
もっとも怪しい奴(爆)だからなのだ

「いまここ」の傍らで大鎌をいつも研いでいる死に神君は、この
怪しい奴-を、実は狙っている






「宗教」の「宗」と言う文字はイエカンムリに示すと書く
これは戦前までの日本人にとっては、そのまま「お家」であり「お国」であった

だから、日本の兵士は勇敢で、恍惚として戦死していった

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しかし、敗戦と昭和天皇陛下の「人間宣言」以後、
「家」はどんどん崩壊していった

その崩壊を食い止めるべく若い世代を叱りつけた人達は
もはや時代遅れの陳腐化した存在になっていた・・・・

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日本人はアイデンティティーを失い、
社会への帰属意識を失い、
若者は労働意欲を失い
「さまよえるオランダ人」となりはてた

「家を失った日本人=在日」は、
自分たちで「(宗)家」「ふるさと」をでっち上げようと
苦闘したが、・・・  その努力自体が、シュプレッヒ・コール自体が
「~イズム」が、「ムーブメント」が、インチキ性、不自然さを暴露していた・・・・

  もう、核家族(お揃いのT シャツを着たニューファミリー)でも、
  新興宗教でも、まともに「家」としては機能しない事は
  明白だと宣言しても差し支えないだろう

「七次元」を持ってきても「UFO」を持ってきても
「神聖図形」「マカバ」を持ってきて、新居への旗印にしようとしても
無駄だろう・・・・  「国」も「家」も建ちはしない・・・・


この絶体絶命の時代にまで、

子孫を、代表選手を、
つまり私たちを各家系は送り込んできたところで、
「遺伝子の役割」はひとつの区切りなのかも知れない

“宗”という文字が指し示そうとした「家」とは、いままでの歴史は単純に
「家系」であったが、この地球文明のどん詰まりのこの最終章において、

「家」とは、
「いまここ=Home Position」なのではなかろうか?