マインドは「良いモノもある、悪いモノもある・・・・」っと言い続ける

でも実はマインドそのものには
ネガティブ=消極性も
ポジティブ=積極性も   存在しない・・・




「“良いモノ” “正しいモノ” “好ましいモノ” を
  見つけ出し、選択し、 そちらに向かって歩いて行くことは
   “ポジティブなマインド” じゃないんですか?」

っと言う人もいるかも知れないが、そういう選択、そういう行動というのも
常にバックグラウンドに何かに対する恐怖、不安、拒否があるならば
そこにはマインドが機能している

そしてマインドが機能している以上、全く影を落とさないと言うことはない

必ずなにがしかの混乱、葛藤の要因がつきまとう

あなたがいま読んでいるこの記事の文面もそうだ

文字で書き表されたことには必ず解釈が必要で、
そこには誤解されるリスクがつきまとう

それゆえに、世界の教典、聖典、哲学書が数あまた存在しても
それで世界が真実で満たされると言うことはなく
むしろ混乱と宗教戦争の火種になってしまうのだ

   ・・・言語化されたモノの絶対視には、常にその危険がつきまとう

この危険を最小限に抑える表現手法が、 内垣のおじいちゃんが言うところの
ポエム(詩)、寓話、神話、である・・・

ナーラーヤン内垣

  言語を使いつつも、それでマインドを刺激するのではなく
   恍惚感を湧き上がらせる、想起させる、それがポエムだ。

例えば・・・

今のあなたを癒す色が「山吹色」であったとしよう

256色であればこれ、true-colorであればこれ、・・・であったとしよう・・・

この一色を見た時に、あなたは恍惚感を感じるだろう

その時にはマインドは機能しない・・・

あなたの全身が、全細胞が、この色に反応するだろう

神話的な「ワンダフル」な感覚があなたを包むだろう

マインドとは、「良いモノもある、悪いモノもある・・・・」っと言い続ける

    ・・・それ自体が、実は“ネガティブ”な精神作用なのだ!

      つねに、「あれか?これか?」という精神状態にある

 「それは紅色ではない」
 「それは深緑でもない・・・」
 「それは焦げ茶でもない・・・」 こんな試行錯誤を繰り返す、延々と・・・

      その選択状態、その葛藤状態、その迷い、・・・
       それ自体がマインドであり、

         「私はまだ答えに辿り着いていません」

              っというシグナルなのだ・・・・


  恍惚の瞬間、マインドは静止する、言葉は、失われる・・・選択は、ない

   そこには、何の努力も、 何の迷いも選択もなく、  時間は静止する

           それは性の絶頂=エクスタシーの瞬間もそうだ。

              その瞬間は 「是非もない」 のだ!


アタマ=マインドよりも、ボディーの方が賢いことは議論の余地もない

あなたのアタマが「脇腹が痒い」と言ったとしよう

でもあなたのボディーは、「脇腹の何処が、どの様に痒いのか?」
より正確に知っている、感じているのだ。

その総合的な感覚の、部分的な翻訳、言語的抽出がマインドなのに過ぎない

ところが、この言語的抽出=つまり身体感覚のデジタル化は非常に便利だ

私たち人間はこれで社会を形成し、文明を形成し、自然の猛威を
飼い慣らしてきた・・・・

社会制度、結婚制度もこの上に成り立っている

「身体感覚のデジタル化」とは、
「微妙な瞬間瞬間の感覚の “切り捨て” 」のことなのだ・・・・

あなたは例えば結婚していて、パートナーを「決めて」いる
街角で、素敵な異性とすれ違ったとしても、その感覚は
なかば自動的に “切り捨て” る。

「見た」「感じた」けれど、
「見なかった」「感じなかった」ことにしてしまう

  そうやって、自分の中に瞬間瞬間わき起こってきた
  ヴィヴィットな感覚を 機械的に “切り捨て” て生きることが
  大人(オトナ)なのだと、私たちは納得している・・・・

「教訓、教訓・・・」

「知らない人を見かけたら
   付いていきましょ~~」

by cowboy-bebop EDO



 





   動物の親が、子を突き放す瞬間、巣立たせる瞬間、それは
   全細胞で感じる、・・・・その瞬間を・・・・

    動物たちはパートナーを変更するために
    教会や役所に許可を求めに行くことはない


それをやるのは、マインドに依存しきった、私たち人間だけの習慣だ

 ・・・なぜなら文明社会のルールとは、とても便利で、とてもパワフルで
    それゆえにこのパワフルな道具に、私たちのアイデンティティーさえ
     依存してしまっているからだ! 

     この依存から、一歩踏み出そうとするだけで
     家族からは非難され、友人は去っていく。

      とてつもない勇気が必要で、
      アローンネスを理解し、受け止めなければいけないからだ





「これだ!」っと思った瞬間!、
 運命を感じた瞬間、真実と出喰わした瞬間
      人はアローンになる。ワンネスになる

        思考は止まり、恍惚に襲われる・・・・

「良いモノ、悪いモノ」という考えは消滅し、
人類の全ての経験律的蓄積は後ろに退き
「いまここ」というセルフだけの状態にあるのだ