暖かい布団の中で目は醒めたが、起き上がるのは嫌だった

時計をチラリと見て、いつものようにカフェイン入りドリンクを
2本、お湯で割ってのみ、またベッドに慌てて戻り
カフェインが体内をど突き回すのを待つ・・・・

私が、自分の意思で目を醒ましたように見える
私が、自分の意思でドリンクを飲み
私が、自分の意思でフトンをはね除けたように見える

でもちがう

肉体と思考が、いろいろな都合と時間割と、損得勘定を計算し、
天秤に掛けた結果、「ここでこうしよう」「ここでああしよう」と
彼らなりの算定結果で決定しただけなのだ・・・・


OSHOはこういった

「人生にイエスと言ってご覧!
   そしたら人生も
  あなたにイエスと微笑み帰すだろう」

でも彼が目の前にいたら、私は混ぜっ返して言うだろう

  「『イエスと言え』ですって?」

   「確かに私には『イエス』だの、『ノー』だの、
     あれこれ選択の余地があるように見えます」

  「でもそんな<選択の余地>は仏の手のひらの広さの範囲だけの
  ハナシじゃありませんか?」

   「確かに仏の手のひらは限りなく広いけれど・・・・限界無く広いけれど」

   「でも、手のひらの中であることには、変わらないじゃないですかぁ~!?」  

    「そんな、『選択の自由』なんざ、
     尾崎豊が『卒業』で唄った『仕組まれた自由』に過ぎませんぜ!」