エルサレム(エル・シャラーム=平安京)に入ることが出来るのは
平安の境地に達した者だけ

いや、本当は、そんな物理的な地域への入国許可みたいな話なのではなく
もともと、「境地」の問題なのだ・・・

「平安の境地」こそがエルサレムなのだ

イスラエル(水晶の国)建国にしてもそうだ
これはもともと地域紛争を起こすべき話ではなく
人の心の境地の問題だ

もしそれを
「場所の問題なのだ」という神がいるならば
あらゆる仮説を拒否しない私ではあるが、

「そんな神はどれ程正しい預言をしようが、
神ではない、言っても“邪神”に過ぎないだろう」

というのが
わたしのもっとも有力視する仮説となる

なのでわたしは宇野正美氏に「ノー」なのだ

多くの人が殺し合うことに間違いないアイディアを吹き込む神など
本当の神ではない

中東の三大宗教が奪い合っている特定の聖地というのは
象徴的メモリアルな場所だというのに過ぎない

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孤独や葛藤、焦り、快感、(薬物的な刺激と意味での)覚醒という、
「経験の強烈な味付け」追求に未練がある人は
それが未練が無くなるまで味わい尽くしてしまえばいい

それ以前ではダメだ

なぜなら、そういった未練がある人の平安の境地というのは
ニセモノだからだ

選民的な意味で「ダメだ」ではなく、ニセの平安ブリッ子をしていても
本人が辛いだけだからだ。

本人の望みの問題で、・・・
多くの人は、・・・

キリスト教的な奇跡のスーパーマン的な
救世主を望んでいたり・・・

あるいは

釈尊の様な達観と平安の境地を望みつつも、同時に
「そんなのは退屈だ」という分裂した願望をもっている

世界三大宗教の中では、個人崇拝を戒めたイスラム教がもっとも
健全なのではないだろうか?