WinXPの時代にはまだ各ユーザーフォルダーが一緒くたになっていたりと
天下のMSは頭脳集団のハズなのに、なぜか何十年もトロいことやってました

最近は、オフィスなんかでも一台のコンピューターを複数の人間がそれぞれの
アカウントで共有して使うことも多くなってきたのではないでしょうか?

如何なる権限の許でこのパソコンにアクセスするか?
それによってどんなデーターを閲覧、編集出来、どんな作業が許されるのか?

各アカウント毎に設定可能です

   ・・・家族間なんかでも応用可能な使い方ですね

さて・・・

「私は創造神」とか「あなたは創造神」とか、物騒な話題になったとき
この「権限」の問題は極めて重要になってきます

「創造神」つまりワンネス? というのはありったけの権限であることは
論を待ちません

この存在が持ち得る最大の権限とは、最大の破壊行為も可能と言うことなので
そのあたりが、大友克洋の「AKIRA」の焦点です

AKIRAmiddle_1138360911

このあたりが以前も述べたようにアトランティスの崩壊とも関係しているようです

つまり、創造神に近いような権限を、創造神に遠い資格しか持たない意識に
付与されてしまった場合、その意識は(どの様に高邁な精神に見えても)
ほぼ確実にほころびが生じ、自分自身のパワーに振り回され、当(人)?の
自滅と共に、周辺にそのパワーの大きさに比例したカタストロフを引き起こします

その修正版としてのガッチガチの物質制限文明が、私たちの今の文明です
だから。アトランティス文明がどうの、UFOがこうのという話題は、
いまここに至っても、あくまでもサブカルのカテゴリーである


新世紀エヴァンゲリオンにおいて、そのテーマを「封印された力」であると
庵野監督は述べていたと思いますが、サードインパクトとは、まさしくその
「パワーが解放されるときの悪夢の再来」への恐怖をアニメ化したのだと思う

エハン・デラヴィ氏が言うところの「人類が共有する破滅へのトラウマ」とは
これであろうと思う



実際物理的には、いわゆる超能力が解放されてチュドーンではなく
破滅への恐怖と憧れが次々伝染して押さえがたくなり、その願望の大きさに
比例した、適度な大きさの隕石=メテオを地球の重力圏に引き寄せてしまった

・・・みたいな“現象化”だったかもしれません

隕石落下


いま、この時代もアセンションという言葉の流行と共に、この問題に肉迫した
状況があると思う

あるものは「アセンションなんてまた一種のデマだ」と言うだろうし
またあるひとは「もう身近に来ていると思う」というだろう

実は、両方正しいと思う

それは「有ると言えばある」「無いと言えば無い」の世界だと思う

しかし、本当のところ「無い」と言いきっている人にも上記の様なトラウマは
深層心理の奥深くに残っていると思うので、「無いと思いたい」という願望で
ある可能性は指摘しておこう

その一方、「有る」と言っている人にも、破滅願望とか、今の物質文明
マネー至上主義のガチガチの文明に閉塞感を感じ、

   「みんな死んじゃえ」

みたいな碇シンジモードが発動している可能性は大いに高い

その両者とも、いまはまだ押さえられている

どうしてかといえば、それこそが「物質文明の所以(ゆえん)」で
こういった、トラウマの暴走が安易に破滅へのトリガーを牽かない様に
今の人類は設計されているからだ

「トラウマから突き動かされている者達には、否定論者も肯定論者にも
現象化への権限がない」のだ






なんどか、チラリと書いていることだけれど、幽体離脱というのは
まあ人によっては、霊体が肉体から離れて夜空をフラフラ彷徨う
みたいな体験をしている人もいるかも知れないが・・・、




私の場合は「自分のコアへの突入」であった

AboutEQ_03

15793_199443073559674_7485276803969628292_n


そこは、光の渦巻く世界で、でも、それらすべては、
三次元空間の「さらに外側」の世界にも突き抜けている感覚があった

torsionanimated


    <体積ゼロ>  <質量ゼロ>  の世界である


だから空間が広がっているわけではないが、ところがその光の渦が
擬似的に巨大な空間を“見せて”くれている

その疑似空間の中を、わたしは口笛を高らかに鳴らすように唄う

    ただし、   これを強調したい

その時の私には、手も足もない、アタマもない、胴体も、内臓器官もない

ただただ歓喜だけがそこにある

10372590_1512425938971536_5796946608012254021_n

ただただ至福だけ、ハミングの歓びだけが私の全てだった

そのハミングと共に、猛スピードで、わたしは飛んだ

凄まじい速度、でもそれが楽しい

本当は私は全く移動はしていない、その自覚はあった

なのに猛スピードで移動している疾走感がある

10686596_200656533438328_4508588402897918666_n


この痛快な内的旅行を存分に楽しんだ後、思ったのは
「もう私の肉体は死んでいるだろう」とすっかり思っていたことだ

だからわたしの脳髄がまだ生きていることを発見したときは驚いた

どおやらまだ寿命ではなかったみたいだし、
この素晴らしい体験を、皆さんにこうやってブログでシェア出来るのは嬉しい



当たり前の事を、  あえて  もう一度  言わせて欲しい

あなた、 死んだら  手、有りません  足、有りません
頭、 無いんですよ?  だから

日本語で考えることは出来ません

過去のことはどうでも良くなってますし、実際どうでも良い

おなか、 へりません  食欲ないし  ありえません

何の欲望もありません


この世とあの世をつなぐ唯一のものは、至福、歓喜、恍惚、それだけです

つまり、それがあなたやわたしの本質であり、あの世に帰って行けるすべてです

この、 当たり前の事が  何故かみんなピンときてません

死んだ後も、日本語で考えようとして、
肉体があったときのことをクヨクヨ考えます

無限の存在に帰ったときには、無限にクヨクヨする能力もあります

脳髄もとっくに荼毘にふされて灰になっちゃっているのに
それでも、無限性に帰したあなたは頭で考えようとします

手がないのに、手で頭を抱え、無くなった頭をかきむしります

つまりこれが幽霊というわけです

つまりこういう諦めの悪い奴らが、また肉体を必要とするわけです

もはやこう言う連中に、「あなたが創造神ですよ」といっても
ピンと来ないのは当然だし、その方がいい

権限のないモノには、あるいは権限を拒否した者には
権限は与えるべきではない

逆に言えば、完全に無欲になった者だけに
「あなたが創造神ですよ」という言葉はふさわしい

そういう、完全に恍惚になりきった者、至福の中に溺れきった存在には
カタストロフを起こす危険性はないからだ

さらには、その至福や恍惚すら、最後には静寂という次のステージがある

至福や歓喜すら、抑揚だからだ

それはまだ「波」だ

最後に到達するのが、つまりはシャンタン、つまりはニルヴァーナだ

これを、まだ肉体のあるウチに体現した者、それを「彼岸に達した者」と
呼ぶ、    っていうか  もはやその人は

                  ・・・個人の人格ではないのだが