アヌビス神ときいてもピンと来ないかも知れないけれど
その姿は誰もが見覚えがあるだろう。

古代エジプトの冥界の神で、犬、あるいはジャッカルの頭を持っていると聞けば
「あああれか!」と思い当たると思う

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五井野正氏は、これがなぜ冥界の神なのかと言うことに関して
面白い解説をしている

犬という動物は世界中で最も身近な人間の良き友であり
その忠実さ、忠誠心は世界共通で知られている

で、この動物はいつも舌を出している

「舌を出す」という仕草は人間同士では
「あっかんべー」つまり「ウソだよー」というシグナルである
(まあ少なくとも日本では)

「ウソだよー」というのは、つまり告白である

つまり「本当のことを明かす」=「正直さ、誠実さの象徴」として
アヌビス神は描かれているのだというのが五井野氏の解説だ

ここに以下の様な言葉を述べよう

「言葉にしたこと、文字にしたことは全てウソとなり得る」

   ・・・・っと、この言葉は語られるや否や、自己矛盾してしまう!!


なぜなら、上記の言葉自体が “言語化されたこと” だからだ!

じゃあこの言葉それ自体は、本当なのか? ウソなのか?

つまりは、アヌビス神とは何を意図しているのか?
そのより深意を問うならば、

「真実はパラドックスを通してでないと語られることはない」

っということなのだ

で、実際にそれは私達の人生の実体験を通して検証することが出来る

その最も最たる例がメイソンが広めた「自由・平等・博愛」だ

これらは深遠な内面的な真理の言葉であるが故に、
このままストレートに野放しに政治的スローガンにすると
途端に社会秩序はメチャクチャになる

これはだれでも自分の実生活で実証することが可能だ

「自由」を世界に、社会に、人々に求めてご覧なさい....

貴方は途端に「不自由さ」の極限まで追い詰められるだろう

なぜなら、個人が完全なる自由を外に向かって放射線状に追求するなら
その先は犯罪者だからなのだ

特定のひとりの個人の自由の極限までの追求とは、全世界の奴隷化だからだ
それ以外に完全なる自由を個人に保証することは出来ない

その個人(世界の王)には、世界は殺人さえも許容しなければならなくなる

では、「平等」は?「愛」は?

試してみればいい。

「平等」を訴えれば訴えるほど世界は不平等になる

「愛」を訴えれば訴えるほど、世の中から「愛」の枯渇した世界が現れる


こういった言語化というのがどんな世界を現出させるのか?

それこそが、私達が今体験しているこの地球の現状だ

これらの真理に触れる概念というのは、よほどの注意の払われた
デリケートな扱いの許でなければ、途端に社会をカオスの状態にしてしまうのだ

日月神示の言う「イシヤの悪」とはまさしくこの真理の悪用だ

そしてそれと同時に、これこそが「悪も神の御使いぞ」という点でもある

つまりアヌビス神の謎、冥府の門を生きて無事に潜る者、
パラドックスの謎を解くモノ、

外(言語と論理と制度)の世界には本質的なものは何もないという
洞察に辿り着いた者・・・・

瞑想するものこそが、メイソンの問いかけに答えるのだ

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愚者編gd_00