バガヴァン> そしてその時、とても奇妙な素晴らしいことが起こります。
説明づけや非難がないときにのみ、他人を体験することができるのです。

説明付けや非難というのは、すべて「武装」なんですよね~~

これはいままで多くの事柄に“有利”だったがゆえに、この“武装する”という
メソッドを私たちはなかなか見きれずにいる

ヘミングウェイの小説「武器よさらば」というタイトルは
このタイトルだけでも非常に深いメッセージがあるわけです

スターウォーズにおいて、ルークがダースベイダーの中から
父の心を救出するときに
ライトサーベル(裁きの光の剣)を放棄した瞬間
彼ははじめて(同じくライトサーベルを使わない)
シス暗黒卿と比肩する存在になったわけです

シス暗黒卿palpatine


武器よさらば


愛とは何か?自意識とは何か?
・・・これらの探求をはじめると
この
「武装する」「獲得する」「達成する」
「修行するぞ!修行するぞ!修行するぞ!」というメソッドが
役に立たないどころか、むしろ邪魔になる(爆)

Jクリシュナムルティーが言うところの
「意識が水平から垂直に上昇すること」
「意識の第四の次元(=トゥーリア)」
とはこのことだと思う




バガヴァン> しかし、(大部分の人においては)マインドがどこでも、
いつでも働いているようです。

この発言に関しては重大な欠陥がある
単なる誤訳かも知れないが・・・

「働いている」ではなく「働いているように見える」というのが正解です

わたしたちは大げさに振る舞うコマーシャル映像には視線が奪われてしまいがちです

なぜなら「動く者に注意せよ」という太古からの動物のプログラムが働いているからです

しかし、
「動ではなく静を見よ」
「有ではなく無を、粒子ではなくその間の空間に意識を拡散せよ」
です

私たちは一度たりともこれ、つまり“間”を失ったことはない
マインドがおしゃべりしている、この瞬間でさえ・・・

だからなんにであれ、マインドに対してであれ、
ただただ見守っていればそこにはかならず“行間”がある

そこに“Misty”が居るんです(笑)