「洞察」という言葉があるが、漢字で表現するといかめしい

平たく表現すれば「“それ”を覗き込む」ということだ

都留さんが指南する“浄化”というのも、手法としてはほぼ完全に同じだった

単にそれを押さえ込むのではなく、
その中にひたすら
入り込んでいく
没入していく

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私が休みの日に(自宅の)古井戸の中で絶望という名の
「貞子ちゃんの死の抱擁」と共にひたすらやりまくっている

       自分自身とのセックス

も、まさしくそれだ!

昨日はそれが心臓まで達した

この肉体こそがリアルな「いまここ」であり、な~んも難しい事でも何でもない

この細胞1個1個が、セックスの恍惚で出来ているのに・・・・な~んで瞑想会に出かけていくのか?ディズニーランドに行かなければいけないのか?

かといって、行きたいと感じる人にケチをつけたいわけではない

そう感じることもまた、自然な中から出てきているのだろうから・・・

ただし、「~ねばならない」「家族サービスで仕方なく」とか「自分が欠陥人間だから何かを得たくて焦って・・・」とか義務感や欠落感や焦燥感からではない方が良いとは思う

そんなのは本当の愛からではなく、真ん中の「こころ」が抜けた
「受け」に過ぎないからだ


でもそうであったとしても、やはり行きたいというならば、全く咎めるつもりはない

悟った人のマネをしても悟れるわけはない
悟ったフリをしても悟ったわけではない

単にその人の人生が、より被害者意識、無力感に分裂してしまう
と言うだけのことだ


先日、ポールマッカートニーが久しぶりに来日して
コンサート・ツアーする予定だったのだが
そのタイトルは「OUT・THERE(ここからの脱出)」だった

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「自意識」というこころの呪縛から
脱出したいのであれば、それはただもがいても駄目で
この“アリスのワンダーランド”では
パラドックスの法則が支配しているのだ・・・

脱出したいのなら、
逆に“そこ”に
「深く静かに潜行せよ」


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彼の来日が、“久しぶり”だったのは
以前の来日の時にはマリファナ所持で捕まっちまったからだ



そしてもう“お歳”のマッカートニーには
今回のコンサートはほとんどが体調不良で“不発”だったそうだ

つくづく、日本に対しては彼はヘタレ野郎である

わたしは彼の曲で評価しているのは

聖母マリアのメッセージを唄った
「レット・イット・ビー」と

聖フランシスを彷彿とさせる
「フール・オンザ・ヒル」

そして彼流の「奥の細道」を表現した
「ロング・アンド・ワイディング・ロード」

まあそれぐらいだ。

まあたしかにこの三曲だけでも世界的スターとしての
彼の座は大げさなものではないと認めはするが
レノンの独白的なメッセージ性とは比べものにはならない
と私は思っている

「誰かが悟った人らしい!?」
「そしてこんな事を言ってる、あんな事を言ってる!?」

そんなのは
ゴシップ記事満載の雑誌のタイトルを
芸能界やらスポーツマガジン、競馬新聞から、
精神世界のより狂気に満ちたどん欲な話題のタイトルに
購読変更したに過ぎない

それをいちいち自分の中のゴールデンルールや信条、律法にする必要など無いのだ

さりげなく聴いて、(聞くのではなく)、そして心に留まったものだけを留めておく・・・それで良いと思う