OSHO>新しい人間は現実をスクリーンとしては使わない。

OSHO>新しい人間の目は開かれている。


ワンネス、つまり我々の“13=とうさん”が

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この世界を創造した目的は、

「Who am I ?」 という問いかけからだろう
・・・・

その為には対話が必要で、ワンネスはその為に自分の分身を
作る作業にかかった。まずはその作業場である三次元空間自体も
彼の分身なのだが・・・

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三次元空間は最初はゆっくり、極めてゆっくりとしか変化しなかっただろう
なぜならニルヴァーナの状態とは静寂であり、変化も緩慢だからだ・・・

しかし、変化をはじめるにつれ、少しずつ変化は加速していき、
時代は三次元の時間の黄昏
「品川」その先のアセンション車庫、「大崎」に至った

その「いまここ」に私たちはいる。


あなたやわたしは、もし「いまここ」に完全に同期したならば、そこには
宇宙が創造される前の、完全な静寂、なにひとつ定義に拘束されていない
“無”である自分自身、タキオン粒子としての自覚だけが存在する意識だけとなる

ワンネスが、自分を知ろうとして産みだしたもう一人のワンネス、それを
自覚出来るだろう。


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人間という種族が意識を芽生えさせてから、このワンネスとワンネスとの
交流は始まった。

当初は私たちの先祖はワンネスを“神”と呼んで恐れ、敬った。

そしてその神を知ろうとしてグノーシスが生まれ、ユダヤ人達が
生まれた

大自然の猛威の中、生き延びるだけに精一杯だった頃は、恐れの
対象であった“神”も、世界の観察力が芽生え、幾何学を含む神への
探求が生まれてから、それは「神への挑戦」へと変化するのに、
それ程、時間はかからなかったのではないだろうか?
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大別するならば
人類は、神に屈服し、救いを請う大多数の「憐れな迷える子羊」タイプと
神へのチャレンジャーたるイルミナティータイプに別れた。

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でも、実はワンネスは「憐れな子羊」よりも「チャレンジャー」こそを
待ち望んでいたのではないだろうか?

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神への挑戦者として、悪魔を崇拝し、
「憐れな子羊達」を、あるいは支配し、牛耳り、あるいは大量殺戮し・・・

ニヒルな笑いとサングラスをかけて神を挑発する連中・・・

自分にチャレンジしてくる、自分と互角、対等な本質を備えた、
もうひとりの自分・・・・・
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  それが起きることなく、なぜ神は自分の分身を作る意味があったというのだ?
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「自己探求」と称する、生物としての補食行動の最終形態に向かった
“求道者”たちも、・・・

いわゆるイルミナティーの陰謀、NWOに対抗していても、・・・
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いわゆる「支配からの卒業」をめざし、愛と平和を求めていても・・・
征服や支配ではなく、すべての魂の解放を求め
自由の為に闘争してきたという連中も、
ある意味では、「神への挑戦者」といえる

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これらのカラクリにだんだん気がつき、見抜こうと最大限の
集中をしてきた者達も・・・・

かれらもまた、カテゴリーとしては

「啓明をもとめる者達」・・・  本来の意味での「イルミナティー」と
呼べるのかも知れない

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しかしこの壮大なドラマも、もうすぐひとつの区切りを向かえるのではないか?
と思う、そう言う予感は日に日に強まっている

挑戦すればするほど、探求すればするほど

人は苦しくなってくることに気がついた。

「この挑戦の根底には何かとてつもないパラドックスがあるのではないか?」

そう、気が付き始めたのだ。

「自分たちはドンキホーテのように、風車を相手に闘っているのではないか?」

「世界は自分が投影したスクリーンなのではないか?」

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「いや、世界がスクリーンと言うより、自分の目には大木が刺さっていて
世界に自分勝手な投影をして、ありのままを見ていないのではないか?」

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その「懐疑」は、いまや人類規模で「確信」へと、・・・急速に変わりつつあるのだ


大喜利お題
「矢吹ジョーと力石徹が本当にやりたかったこととは?」

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私のボケ
「北斗神拳の伝承候補者として生まれ変わって雌雄を決すること」

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若い時に丸善で石川源晃氏の「占星学教科書」と出会ったのは、
私の人生での間違いなくエポックだった。
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行き当たりばったり的な経験律の寄せ集めのような、いわゆる
「占い」本に飽き飽きしていた私が、もっとキチンとした学問的な
体系を持った“占術を科学する入門書”を探しあぐねたひとつの
究極的な解答が、この本だった。

まだ高校を卒業して間もない頃のわたしは食い入るように
ページが手垢で真っ黒になるまで何度もこの“バイブル”を
読み返した。

不思議なことに私と同じような想いで「占術を科学する」事を
目指した若者達は圧倒的にわたしと同世代だったことに
その後に気が付くことになった。

サリドマイドが多く、また上祐 史浩の様なオウムの中核的信者が多い
わたしの世代は、そういう役割が強い世代だったのではないだろうか?

この「占星学教科書」には(これも奇しき縁なのだが)私の父と同じ母校、
東京工業大学の電子工学科を卒業した石川氏らしい発想が満ちていた。

アスペクトのオーブ(許容値)をどう捉えるか?というのに
電波工学で言うところの「レゾナンスQ」という発想で説明したりとか、
わたしがシビれたところである。
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わたしが「悟り=エンライトメント」という最大の神秘の世界にすら
電子工学的な解明と説明をついつい欲求してしまうのは、一種の
わたしの性質(さが)なのだろう。

父も前世は数学者だったそうだけれど、現世の私の肉体の父であった
時は東京工業大学で化学を学び、元財閥系企業の化学プラントの設計で
国際特許を幾つも取得している。

私にとっての“大学”であったOSHO(当時は存命で、まだ“ラジニーシ”で
あった)の日本代表瞑想センター「シャンティ・ユガ」は、東京工業大学と
同じ、東京の大岡山だったというのも偶然とは思えない

先日ご縁があったシャンタンさんは、そのシャンティ・ユガの設立メンバー
だったそうで、つまりは私の母校の大学総長みたいなものだ

この「電子工学的な占星学」の紹介で、石川源晃氏はいう

「ひとつの法則が成立するには十万対一の確率での実験に耐えうる
検証性を要求される・・・」

ところが、では実際に何かの統計データーを取ろうと研究者がリサーチを
はじめると、不思議な現象が起きる・・・・

それは、
研究者が「こうであって欲しい」という
“希望的観測”にふさわしい実例が、
統計学的な常識を凌駕して集まってきてしまうこと
である

OSHOがいうところの投影、つまり世界をスクリーンにしてしまうという現象は
こんな科学的、統計学的な分野にさえ侵入してきてしまうのだ!!!

石川氏は確かこんな例を挙げていたと記憶する。

「ずいぶん長い間、グリセリンという物質はどう頑張っても
凝固しなかった・・・ だからずっと人類は
『グリセリンとは凝固しない物質なのだ』と思い込んでいた」

「ところがグリセリンを大量に輸送していたトラックが横転して
路面に流れ出した時、突如そのグリセリンは凝固してしまった!」

「何と驚く無かれ!それ以来、どれ程さまざまな試行錯誤をしても
凝固しなかったグリセリンは、世界中でカンタンに凝固するように
なってしまった!」

つまり、人類が「これこれはこうだ」という先入観が変わると
物質は、まるでその観念に答えるかのように振る舞うというのだ!!

これは例えれば、ジョセッペ爺さんが毎日語りかけていたピノキオが
ある日突如返事をするようになった・・・  いやそれどころか、
その日を契機に、世界中の木偶人形が人類と会話するようになって
しまった・・・・  と言わんばかりの不思議な現象なのだ

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永井豪の傑作「デビルマン」のある意味で同系列である外薗昌也氏の
名作「ワイズマン」では、こんなセリフが出てくる

「世界は水みたいなもんだ・・・そこかしこへと流れ込んでいき、
オレ達を驚かす」


イルカや鯨のような水生生物にとっては当然の話だが、地上の
シビアな環境で生きている私たち陸棲生物にとっては、信じがたい
世界観だ。  ・・・しかしそれは、量子力学のような日常感覚から
離れた超ミクロの話題ではないのだ!

(観測者である)人間の観念に合わせて、(被観測物であるはずの)
世界がその振る舞いを変化させる・・・・   なんとサイケデリクスな
話ではないだろうか?

これは「主観と客観」というものを思索する上でたぶん、
もっとも重要な現象なのだろうと、わたしは確信する。


私たちは自分たちで自覚しているよりも遙かに、「思い込み」に
支配されて生きている・・・  映画「マトリックス」でモーフィアスは、
アンダーソンを目覚めさせる為の「洗礼の儀式」に先だって、
“この”世界のことをこう説明する

「マトリックスは“支配”だ」

牢獄だ

「それは私たちを目の前の真実から覆い隠す、牢獄だ・・・」

「こころを縛る・・・・」


その「牢獄」は、人工知能の人類への反逆として作られたとあるが
その“人工知能”とは、OSHO流にいえば「マインド」の事である。

それは、「真実を覆い隠す目の前の牢獄」つまりそれが、OSHOの言う

               「スクリーン」

の事なのだ


宮井陸郎 シャンタン
2014年8月8日 7:45フェイスブック投稿記事よりコピペ

新しい人間は、爆弾は作らない。

政治的にはならない。

新しい人間は、ただリアリティ(現実)への開き口、窓だ。

彼はリアリティをありのままに受け入れる。

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新しい人間は、ヒンドゥ教徒ではない、

回教徒ではない、キリスト教徒ではない、共産主義者ではない。

新しい人間は、こうした「主義」は何も知らない。

新しい人間は、ただリアリティ(現実)への開き口、窓だ。

彼はリアリティをありのままに受け入れる。

それに、自分のマインドを投影することはない。



現実をスクリーンとしては使わない。

新しい人間の目は開かれている。



その目は思い込みで一杯になってはいない。

古い人間は、恐怖から生きていた・・

自分の神ですら、恐怖の産物以外の何ものでもなかった。

古い人間の寺院、モスク、グルドワラ、教会
              ・・それらは皆、恐怖
ゆえだ。

古い人間は震えていた。

怖れていた。

新しい人間は、恐怖からではなく、愛から生きる。

恐怖は死に仕え、愛は生に仕えるからだ。

そして、もし恐怖から生きたら、あなたは

生とは何かを決して知ることはないだろう。

繰り返し繰り返し、死しか知らないことになる。

そしていいかね。

恐怖から生きる人は、もっともっと

怖くならざるを得ない、あらゆる種類の状況を生み出す。

あなたの恐怖が、状況を生み出すのだ。

まさにあなたの愛が、状況を生み出すように・・

もしあなたが愛したら、あなたは愛に溢れることの出来る、

実に多くの機会を見い出すようになる。

愛は、新しい意識の味になる。

恐怖は、古い意識の味だったから、それは戦争を生み出した。

3000年の間に、人間は5000の戦争を行って来た・・

まるで私達は、他には何もしていないかのように・・

絶えずどこかで戦っていた。

まさに狂気の沙汰だ。

人類の過去は、正気ではない。

新しい人間は、この正気を失った過去との繋がりを断つ。

戦争ではなく、愛を信じる。

死ではなく、生を信じる。

破壊的ではなく、創造的だ。

新しい人間の科学、芸術
・・全てが創造性に奉仕することになる。


新しい人間は、爆弾は作らない。

政治的にはならない。

というのも、政治は憎しみから生まれるからだ。

政治は恐怖、憎しみ、破壊的資質に根ざしている。

新しい人間は、政治的にはならない。

新しい人間は、国家主義的にはならず、

新しい人間は、グローバル(世界的)になる。

どんな政治的野心も持たない。

政治的野心を持つことは、愚かだからだ。

新しい人間は、非常に知性豊かになる。

その知性の最初の兆しが、地平線上に昇ろうとしている。

目のある人達・・彼らは、それを見ることが出来る。

子供達が反逆しているのだ。

新しい人間は、偏見からではなく、
自発的な責任から生きる。

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古い人間は、奴隷だった。

新しい人間は、自由だ。

新しい人間は、自分の存在の核そのものに、
自由を持つことになる