同じ8月2日の日付でシャンタンさんが投稿していた
OSHOメッセージだ

一見無関係に見えるかもしれないが
共通する項目は「自分自身への風通しの良さ」の大切さを
強調している点だと思う。

バシャールはワークショップで、こう強調していた。

「決して・・・、決して・・・、決して・・・、決して・・・・!」

「決して、自分らしくあるということは、難しい事ではないんですよ」


そして、子育てであっても、魂の旅路であったとしても
なんであれ、これが最も基本的な鍵なのだと、わたしも痛感する

わたしも二十代の時には何度かサニヤシンと暮らしたことがあったが
彼らは例え生粋の日本人であっても、ちょっと日本人離れした
ある種の共通する臭いを持っていた。

それは「知的なワイルドさ」だった。

それはOSHOが、「自分勝手であれ」 「自分自身に真正であれ」と
何度も、手を変え品を変え、強調してきた結果なのだろうと思う。

「(誰に対してである以上に)自分自身に真正である」とき、人は
抵抗値ゼロ、つまり<超伝導性>を帯びる

たぶんほとんどのサニヤシン達に共通してわたしが感じてきた
「知的なワイルドさ」というのは、この<超伝導性>なのではないか?と
私は確信している

確かに日本人は素晴らしい!

皆、にこやかで、平和的で、協調的で、慎み深く、
譲り合いと相互尊重と思いやりに満ちている。

でもその穏やかな笑顔には、いつも裏がある

他人の目が無い時には、全く違った人格、冷酷な割り切り、残酷な切り捨て、
噂話、いじめ、仲間はずれ、村八分、密告、知らんぷり、クレーマー、
打って変わったモラルの低下・・・

おたふくの面の裏に、般若の面が隠れている。


サニヤシンにそういう面が全くないわけではないだろうが
自分自身に正直に生きている人間というのは、関わる側も
ある意味では安心できる・・・・

確かに我が儘な奴らばかり、マイペースで、ゴーイング・マイウェイな
連中ばっかりだった。

でも、そこがまた憎めない、ラブリーな人達でもあった。

「氷の微笑」、「能面のような偽善性」は、
アスペの私にとっては凍り付くような恐怖なのだ

その点でOSHOのサニヤシンの連中の様な存在は、
やはり私にとっては救いなのだ

宮井陸郎 シャンタン
8月2日フェイスブック投稿記事よりコピペ

夏休みに、お母さんに送るoshoのメッセージ。

osho

怒鳴ることは、心配しなくていい・・ぜんぜん心配いらない。

それは自然だ。

ただひとつだけ、心にとめておかなくてはならないことがある・・

愛することで、そのバランスを取ることだ。
 
ときには怒鳴りたくなることもあるだろう。

そして子供たちは理解してくれるものだ。

なぜなら、自分でも怒鳴っているのだから・・それが彼らの言語なのだ。

もしあなたが、内側で煮えくり返っているのに怒鳴らなかったら、

子供は何がどうなっているのかまったく混乱してしまう。

子供の理解を超えているからだ。

彼には感じることができる・・まさにあなたの

波動自体が怒鳴っているのに、あなた本人は怒鳴らない。

それどころか微笑んだりしている。

コントロールしている。

彼には、母親が騙しているように感じられるからだ。

しかし、子供たちは決して欺瞞を許さない。
 
彼らには、いつでも真実を受け容れる用意ならある。

子供たちは、とてつもなく経験主義的で、実に地上的で、地に着いている。

彼らは、あなたが怒鳴るのは受け容れられる。

自分たちもそうしたければ怒鳴っているからだ。

もしあなたが怒鳴っても、彼らはあなたとの間の架け橋を感じるだろう。

唯一、あなたにできるのは、それについて罪悪感を持たないということだ。

さもないと、あなたの罪悪感が混乱のもとになってしまう。

あなたの罪悪感が、彼らに様々な問題をつくり出してしまうだろう

彼らは、自分たちがあなたの罪悪感の原因になっていると感じ始めるに違いない。

自分たちがあなたに罪悪感を抱かせているのだ、と。

それが今度は、彼らの中に罪悪感をつくり出してしまう。

罪悪感が罪悪感を生むのだ。

だから、そうしたければ怒鳴るがいい。

ただひとつ心にとめておくべきことは、愛によってそのバランスを取ることだ。

そうして、愛する方も狂ったように愛しなさい。

彼らを怒鳴るのだったら、彼らを愛することも必要だ。

同じように、狂ったような愛し方で・・

彼らを抱きしめなさい。

彼らと踊りまわりなさい。

彼らは、自分たちの母親は野性的なのだと理解してくれるだろう。

そして彼らは、あの人は自分たちを愛しているのだから、

怒鳴る権利もあるのだということを分かっている。

もしあなたが怒鳴るだけで、強烈さと情熱をもって彼らを愛してやらなかったら問題だ。

だから、問題は怒鳴ることからやって来るのではない。

それは、あなたが愛することで、そのバランスを取らない場合に生じるのだ。
 
だから、とにかくバランスを取り続けなさい。

そして、真実でいること。

もし怒鳴りたかったら、あなたは怒鳴りたいのだ。

どうしようがある?

あなたは抑えることもできる。

それを中で止めておくこともできる。

しかし、それは非直接的な出方で外に出て来るだろう。

そして、子供たちにはそうした非直接的な出方は理解できない・・

彼らはまだ文明化されていない。

抑圧という言語を知らない。

彼らが何か間違ったことをしたのに、あなたの前に出ると、

あなたが微笑んでいるというのが理解できない。

これはただただ、彼らを困惑させてしまう。

それはあまりに不自然だ。

彼らはそんなものは信じられない。

お母さんはごまかしているに違いない・・

彼らの方があなたよりも自然に近く、あなたよりも自然をよく理解している。

たとえば子供が何かをやり、あなたが自分の怒りを抑えたとする。

後になって、その子が何もしていないというのに・・6時間も経って、

彼の方はけろりと忘れている・・あなたの方はまだ忘れられない。

それを抑圧したからだ。

もう、ことの全体が冷たくなってしまっている。

そうなると、あなたは何か口実を見つける。

「あなたは宿題をしてないでしょ!宿題はどこにあるの!」

あなたは、仕返しをしている。

そうせずにはいられないだろう。

さもなければ、それはあなたにまとわりついて離れない。

あなたは何かしらせずにはいられない。

さもなければ、それを厄介払いできないだろう。
 
あなたはなにか、理屈に合った口実を見つけ出す。

怒鳴るというのは非合理的だ。

が、自然だった。

ところが、あなたはなにか不自然だけれども、

合理的な口実を見つけ出すに違いない・・彼が宿題をやっていないとか、

服が汚れているだとか、今日はシャワーを浴びていないだとか・・あなたはまだ怒っている。

だが、あなたのその怒りは冷たい。

あなたの方はそれによって、その抑圧を厄介払いできるかもしれない。

しかし、それは醜い。

それはちょうど、冷めた料理を食べるのに似ている・・

消化にも長い時間がかかるし、胃にも重くもたれてしまう。

子供は理解できない。

それはほとんど不可能だ。

彼は何もしてやしない。

彼はこんなことは予期してはいなかったし、

6時間前に起こったことなど、まったく忘れてしまっている。

子供というのは、どんな記憶も決してそんなに長くは持ち歩かない

そうやって、不信感が湧いて来る。

なぜなら彼は、母親と自分とはどこかまったく違うと思ってしまうからだ。

彼が何か間違ったことをすると、母親は微笑む。

そして、何も間違ったことをしていないときに、彼女は叩いたり、怒鳴ったりする。

しかも、冷たい怒鳴り声にはハートがない。
 

だから、温かくしてあげなさい。

彼らはあなたの子供たちなのだし、あなたは彼らの母親なのだ。

あなたは自然な、流動的な関係を持たなくてはならない。

自然に耳を傾けなさい。

あなたは母親なのだから、ちゃんと分かるはずだ。

あなたの母なる自然が面倒を見てくれるだろう。

ただ自然でいて、つねにバランスを取りなさい。

もしあなたが自然でいれば、バランスはひとりでに取れるだろう。

私がそう言っているのは、あなたが忘れないようにするだけのためだ。

そうしないとあなたは怒鳴ったり、自然であることは一人前にできても、

彼らを愛さない可能性がある。

そして、愛というのは何かマインドの中にあるだけのものではない

あなたは、自分が彼らを愛していると思う・・それだけでなく、何かしらやってごらん。

ちょうど、あなたが怒鳴るのと同じように・・怒鳴るというのは、物理的なことだ。

ときには自分がこんなにビューティフルな子供を

持っていることを理由に、歌ったり、踊ったりしてごらん。

そうすれば、何も問題はない。

ときには彼らを抱きしめなさい。

彼を近くに抱き寄せなさい・・彼にあなたのからだを感じさせ、彼のからだを感じてごらん。

彼はあなたのからだの一部だ。

彼にはあなたの温かみが必要だ。