よく、人は死んだ後、大きな鏡の前に立たされて
生前を反省させられると聞く。

ある意味では閻魔大王よりも怖いかも知れない
この「大きな鏡」は・・・・

もしそうであるならば、一番悶絶する自分自身の
醜い姿とは、まさしく「ぶりっこ」ではないだろうか?

他人を騙す、嘘をつくというのは、その段階ですでに
自分自身がハッキリ自覚していないと出来ないことだ。

だから、たぶんこの“大きな鏡”を見せられる時
それほど恥ずかしい思いをしないで済みそうだ(笑)

ところが、得意満面に「知ったかぶり」していた時の
昔の自分を思い出すと、目の前に誰も居なくても
穴があったら入りたい気持ちに襲われる  ・・・私は。

私がひとりで居る時に、恥ずかしそうに俯いている姿を見かけたなら
  「はは~ん、こいつ、過去の自分を思い出しているんだな?」
                  っと、嘲笑していただきたい

つまり、魂のレベルでの一番の恥辱とは、

他人にではなく、自分自身へ

不誠実さだったり
思い込みだったり、
無知の無自覚だったり  ・・・と言うことのようだ

宮井陸郎 シャンタン
8月2日フェイスブック投稿記事よりコピペ


バガバァン

もし、皆さんが本当に恋に落ちるなら、

本当に嫉妬するなら、本当に欲深くなるなら、どうなるでしょうか

そういった人こそ、遅かれ早かれ悟りに至ります。

逆にもし皆さんが、

「いえいえ、私は嫉妬はしません」

「自己中にはなりません」

「私はとても素晴らしい人間です」

などと、ゲームを続けていく限り、

つまり、

悟っていないのに悟った人のように振る舞っている限り、

哀れな人間です。

あらゆる生き地獄を味わい、惨めな人生になるでしょう。

それとは逆に、

「私は、悟りを得ていません。これが私の性格です」

「これが私です」

というスタンスを取ってみて下さい。

それの何が悪いのでしょうか。

そのまま生きて下さい。

そのときこそ、皆さんはたくさんの幸せを発見するでしょう。