宮井陸郎 シャンタン
フェイスブック投稿記事よりコピペ

未来の不安というエネルギーが今のあなたを縛っている状態です。

悩みとは、あなたの意識が今この瞬間から離れた状態のことです。

津留晃一さん

 「比較」それが人の混乱の始まりです。
比較のないところに迷いも混乱もありません。

果たしてどちらが有利であろうか。
どちらが私にとって都合がいいのであろうか。
どちらが果たして幸せへの道なのだろうか。

 比較は常にあなたを悩ませます。

どちらを選ぶべきか判断がつかないところが迷いでしょう。

選択のミスジャッジがあなたに後悔という感情を
誘発させます。 あなたはそれを恐れています。

未来の不安というエネルギーが今のあなたを縛っている状態です。

悩みとは、あなたの意識が今この瞬間から離れた状態のことです。

 比較したときに初めて損したという感情が起きます。
 比較して初
めて間違ったと判断します。
 比較しないかぎり、損をしたという思
いは
 起きてこないでしょう。

 比較判断のないところには結果さえ存
在できないのです。

ではどうしてあなたは比較をするのでしょう。

比較から混乱、苦しみがやってくるのなら比較しなければ
良いので
はないでしょうか。
それは、結果には「良い結果」と「悪い結果」
とがあるとする
あなたの考え方に起因しています。
私にとって「都
合の良い事」と「都合の悪い事」があるのだ、と
あなたは信じ込ん
でおり、これまでそのことを疑ったこと
さえなかったのではないで
しょうか。

 この世に「良い事」と「悪い事」はないのだ、
本当にそんなもの
はないのだ、
右を選べば右の道があり、
左を選べば左の道があるだ
けである、と伝えられました。

右の道を選べば右の体験があり、
左の道を選べば左の道の体験があ
ります。
その体験に、良いも悪いもありません。

ただその体験をし
ているだけです。

そして右を体験しつくした人はその体験による学
びが
終わり、次には自ずと左の体験を望むようになってきます。

 人はあらゆる体験をするために肉体を持ちました。
神には出来な
いあらゆる体験をするためにです。

そして単にまだしていない体験に対して欲望がわいてくる
ようにな
っているにすぎません。

都留晃一さん> この世に「良い事」と「悪い事」はないのだ、
本当にそんなもの
はないのだ、


さて、なんでも疑ってかかるのが私のポリシーです(笑)

バガヴァンは、
7月27日「疑ってはいけない、信じたものだけが
実現する」と言っていたが、この件に関しては私は受け入れていない

ある意味、文脈上は確かにその通りではあると思う

信じたものだけがリアライズし、疑ったものはブロックされる。

ただ、もうちょっと広義の意味でなら、疑いもエネルギーである以上
それなりに現実化するだろう

ただし、信じた方向とはベクトルが正反対なのだから
それなりの現実化”なのだ。

「何か(現実化するはずだったものが)現実化しない」というのも
(信じるという方向から見て)マイナスの現実化だろうから・・・・

何かの否定や消極性というのは必ずしもバッド(悪い)ものではないと思う

OSHOも「偉大なるイエスマンになれ」と言う言葉を残しているが
それはある意味で「ノーを感じるなら、そのことにもイエスであれ」という
含みがある

アクセルがあってブレーキが効かない自動車は危険きわまりないのだ

そしてブレーキは壊れていないまでも、効きが悪いと、
結局のところ危なっかしくて加速するのもままならない

バシャールは、
「信じる事と疑いとは、同一のエネルギーだ」と言い切っている

これは考えてみれば、至極当然だ。

自信がある人であるならば、
「さあ、どこからでもかかってきなさい!」と
いって胸をドンとたたける

私にとっての占星術の恩師、石川源晃氏は
そのことを「バズ・セッション」と呼んで奨励した。

石川先生は「良い質問」をとても喜んで歓迎してくれる人だった。

質問とは即ち疑問、懐疑をも当然含む

でもそれで「不埒なヤツ」「信者失格」「地獄の子」とわめき立てるような団体は、それこそカルトの何たるかではないだろうか?

もしあなたが、ある教師を信頼していたなら、まったく何の躊躇もなく
「自分が判らないこと」「疑問に思うこと」を質問するだろう。

それこそが「信頼があるが故の疑問」というものだ。

威圧的に権威ぶって生徒の質問を受け付けない。質問をしようものならバカ呼ばわりする・・・そんな教授は、失格である。

わたしはそれゆえに20年近く関わった五井野正=ウイッピーをあとにした。

弟子達は、五井野氏の前でイエスマンの木偶人形の列を作っていた。
そして、その絶対的威嚇の下で弟子達は密かに自分たち自身に
エリート意識を持っていた。  自分たちは神の弟子なのだ、っと。

私が離れたあと、風の噂では多少は五井野君も反省したらしく、
「何か質問はありませんか?」と尋ねるようにになったと聞いたが、
   ・・・・・ウム!感心感心!(爆)

誰かに絶対的権威を認めて、その庇護の元で自分たちも
「虎の威を借る狐」になる・・・・  そんな、狐集団に言いたいのは
「神を認められるのは神だけ」「仏と仏の瞑合」という五井野君自身のセリフだ。

権威付け合ったり、頷きあったりという世界に、
私は虫ずが走るのだ。

結局の所、ひとりで居るしか無くなってしまったが、それでいいのだ。



そもそもなぜ「偉大なるイエスマンになれ」とOSHOは言ったのか?

その方が「良い」から?  ・・・いやいや、goodやbadは都留氏が言う様に
在る一面から見た場合に「白黒付く」だけであって、全体性から見れば
「良いも悪いも」ないのだ

東洋の占いと西洋の占いとの大きな差のひとつは
東洋占(ここで言うのは主に中国系の四柱推命とか断易、手相人相・・・)
は必ず最後の解答が「吉凶」であるのに対し
西洋占(ここでいうのはアストロロジーやタロット)では、あまり明瞭な
「吉凶」つまり「グッドor バッド」を断じない点だ。

両方の占術を学び、研究考察し、上記の点に於いてわたしは西洋占に
惹かれていった。

つまり「イエス」とは統合の道だからなのだ。

「アクセル=ポジティブ、と、ブレーキ=ネガティブ」の両方をも含み、
統合することなのだ。

スピ系や自己実現、成功哲学系の多くの人間がまだ、この点を
理解出来ずに右往左往している。

ちょっとなにかネガティブなことを言う度に、
「そんなネガティブな表現はイケマセン!」といって
叱りつけてくるアホウがいまだに多い

特にスピ系の女性に多い。
「天皇陛下はさらってきた子供を喰ってる」
とか言ってる女なんかは、やはりスピというよりは左翼系で、
言葉狩りにご執心の様だ。

わたしはアイロニー(皮肉)を含んだユーモアは大好きなので
あまりポジティブ信者ではない。

ネガティブ要素という「塩分」や「苦み」「渋み」なども
笑いの味付け調味料に大いに活用するべきなのが
本当に知的なユーモアというものではないだろうか???

タブーだらけのがんじがらめの人間は、

まずは
脳の発達障害を起こしてしまっているのではないか?と
いろんな人達を見ていて私は思う。

都留氏は「比較はイケマセン」と言ってるが
  すません!   わたしは議論も、比較も大好きだ。

全く同じ条件下で同じ商品が隣り合っていたなら
わたしは価格を比較して、値段の安い方を買う・・・当然!!

値段は同じでもその他のさまざまな条件が違う商品が
選択肢としてあった場合、わたしは自分の希望する条件
からみてCP(コストパフォーマンス)を重視して比較し、商品を
選択する。

  こんなことは言われるまでもなく日常茶飯で誰だってやっている。

ただし、一見損をしたような買い物、選択であっても
それが本当に無駄だったのか?間違いだったのか?
損だったのか?・・・実はそれは誰にも判らない。

たとえ100万円の詐欺にあったとしてもだ・・・・!!

それが本当に最終的に損だったのかは誰にも断定出来ない

その点では

人生における全ての選択、そして体験は、

   「比較しちゃダメ」ではなく
   「本質的に比較不能」 ・・・だよね?  というのが、
         正確な表現だと思うし、単純にそれは事実だと思う。

  たとえそれが、あなたや私に致命的であってもだ
                     死を招いたとしてもだ

  たとえそれが、人類の滅亡への核のボタンであったとしてもだ


もし人類が滅亡するのなら、
それが一番良いタイミングで滅亡する時だったのだと思う

  つまり、「どうしてもこうでなければイケナイ」という選択は

         一切    一切    一切    ない! と思う


あなたは、「ああではなければならない」
        「こうではなければならない」と

      譲れないものを一杯抱えているかも知れない


私は別にそれを投げ捨てろとは思わないが、
ただ言っておきたい。

  あなたがどう思おうと、
信条に拘ろうと、
   そんなこととはお構いなしに
    今日も地球は回ってるんだよ(笑)  ・・・・っと


そして、これこそが、
人が死を恐れる最大の理由だとも言っておきたい
人々が選択肢が溢れる文明社会によって神経症を煩っている
                       最大の原因だと指摘したい。

  自分は選択をミスったのではないか?
   取り返しの付かない馬鹿な人生を送ってしまったのではないか?

   そういう疑いを抱いて安らかに死ねる人
                  ・・・いますかね??



人は、自分の人生をコントロールしたいものだ。選択したいものだ

  そして選択したい、とはすなわち、<比較>が前提となる。

   比較を必要と感じなければ、あなたは無選択だろう

スーパーの青果売り場でリンゴが山積みされている
「よりどり5個600円」と書いてある

もしあなたがこの山積みのリンゴがまるで工業製品のように
均一に見えたなら、無造作に買い物籠に5個投げ込むかも知れない

でも、もしかなり個々が違って見えたなら、あなたは5個を選ぶのに
山の中から比較しながら、自分の基準から見てベストな5個を時間をかけて
選び抜くかも知れない


私たちのこの三次元空間での生活は、やはり演算結果なのかも知れない
つまり霊的な世界、この三次元空間を演算し、試行錯誤している実相界と
呼べるべきものなのかもしれない。

ベッチーちゃんは、
もっとも抽象度の高い概念を「空」だとし、その次を「無と有」だと考えた。

でも、“無”をFFD=「フリーダム・フロム・ディメンジョン」と定義するならば、
もっとも抽象度が高いのは「空」ではなく「無」となる
なぜなら空でさえ文字通り3つの定義(タテヨコ高さ)を持っているからだ

すると、「空」というのがまだ得体が知れないと感じている私たちが住む
この三次元世界でさえ、“被造物”である可能性が高くなった。

つまり“霊”界、
すなわち“零”界、
いわゆる、“ゼロ”界、

    ・・・即ち“無”の世界こそが実相界である可能性が極めて高い。

だって、「あらゆる定義から解放されている状態」が“無”の状態だというなら
“無”はあらゆる制約、あらゆる限定を受けないはずだからだ。

そしてそうなると、“無”の状態とは、即、“無限”の状態だということになる。

そしてなると
それは恍惚の状態、つまり白い光の“闇”でつつまれた状態であるともいえる。

「あらゆる事が可能」
「あらうる可能性が有り得る」というのは一見、完全な自由に見える

ところが、ひとつだけ無限の世界、無限の光の世界に存在しないものがある。

都留晃一さん>  人はあらゆる体験をするために肉体を持ちました。
               神には出来な
いあらゆる体験をするためにです。

すべてが「想い」のままに瞬時に叶う世界に、  唯一存在出来ないもの・・・

    それは“壁(限定)”だ。

        あるいは

       それは“鏡(君)”だ。


あなたはキャッチボールを楽しみたいと思うかも知れない

でも、ボールを投げつけ、そして帰ってくる“壁”はない。

“想い”によって創造してもいいのだが、
あまりにも自分の“思いのまま”であると、
その壁もまた、あなたの命令通りに「イエッサー!」っと投げ返してきてしまう。

  自分の思い通りの「壁」は、「壁」とは言えないのだ。


あなたは恋をしたいかも知れない。

そして理想の相手を瞬時に生成するかも知れない

ところが、その相手はあなたの奴隷であり、
あなたの思いのままの木偶人形だ

   ・・・飛鳥ラングレーのように、あなたを罵り返すこともない

       無限世界では、
       あなたは、“恋の意外性”を楽しむことは出来ないのだ!!


だからこそ、ナポレオン・ヒルが言う
「イメージを実現するトレーニング」に血道を上げるというのは
                           愚の骨頂なのだ!

  ・・・いったいあなたは何億年もかけて生成発展させ、
自然淘汰の
厳しい取捨選択ドラマを見守ってきて辿り着いた
    この意外性と、多様性と、繊細さ、ハプニングに満ちあふれた
         この素晴らしい世界で、何をしに来たのだというのか?


この世界をあなたのイメージ通りにコントロールする為なのか?
自分のイメージで作り上げた王国の王座に座る為なのか?


この世界の本当の価値、本当の楽しみ方を心得ている者は

        「取捨選択しない」

次の瞬間、何が起こるのか?
楽しみにしながら
目を子供のように
輝かせている。

世界が提供するものは何であれ、すべて祝福として受け入れる


例え非業の死であれ、たとえ、人類の絶滅であれ・・・・



なぜならば、瞬間瞬間は、無限世界の「もう一人のわたし」が
気の遠くなるほどのソート(試行錯誤のシュミレーション演算)を
繰り返し、ありったけの愛を込めて練りに練った
サプライズ・プレゼントだからなのだ。

      昨日の私のボケ




    想像できないほど
     自分はラッキーだと
           思い込む

   (gocky=ゴールデン・ラッキー)