宮井陸郎 シャンタンさんのフェイスブックより
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無限を思う

この三次元世界に“無限”は具象化されることはない

なぜなら
ビッグバン説
「世界は無限に小さな一点から爆発して出来た」という
仮説を前提として受け入れるなら三次元自体、空間自体が
始まりがあり、(そして終わりがある)“容れ物”だからだ。

有限の中に無限は決して収まらない。
収まるならば、それ自体が“有限”を意味するからだ。

    ところが

それが“存在”している場所がある。

私たちのこころのなかだ

もちろん、具象としてではないが、人間の思考能力は
抽象概念を受け入れることが出来る。

(つまり思考をアイデンティティーとするなら、“わたしたち”にとって)
その中でも最大の難物が“無限”であろう。

思考能力それ自体は、「頭から尻尾まで」を確認できるものしか
〝はい!理解出来ました”と宣言する」ことは出来ないからだ。

大きさの単位には、長さ、面積、体積、質量などがあるが、
例えば「無限」を海上の水平線上に存在する長さ=線で考えてみた場合、
(私たちの視界から見た)その左右の両端は遙か水平線の彼方に
消失して見えない。

   が   私たちにはその両端は見えないだけであって、
        視界から消失したその先にも存在していることを
         概念としては理解している。

「見えないからワカンネ」、     これ即ち主観性である
「見えないけれど有り得る」、    これ、即ち客観性である


もし宇宙に中心というものがあり、もしそこには「宇宙をまとめる」
巨大な質量、つまり重力が存在しているのなら、宇宙空間自体が
丸い、ないしは以下の様なカタチになっているのだろう。

torsionanimated
ご覧になれば判るように、ひょっとしてこの
トーラスモデルが“森羅万象の基本モデル”であることが
正しいのならば、

「ビッグバンは今この瞬間にも起きていて、いや、
起き続けているのかも知れない」

ということに気が付くだろう。

地球は宇宙全体に比べれば芥子粒のように小さいが
私たちにとっては充分に巨大な球体だ。

その地表上に立つ私たちが水平線を見ると、両端は
見えない。そして、まっすぐに伸ばしているつもりの
その両端は、本当は地球の重力によってゆがみ
地球の反対側で一体化しているのだ。



つまり、宇宙には、もともと始まりも終わりもないのかも
知れない。

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その“外側?”に何か絶対存在があるとしたら、それは???

もし、科学者が言う様に、ビッグバンが

   遠い過去に(ホワイトホールから)ドカンと起きた

とするなら、それは

   遠い未来にブラックホールに飲み込まれて

ついには終わることを意味している。

私が言いたいのは、

(観測者によって)
定義された事物は始まりと終わり、生と死があるが

(観測者が存在していない)
定義されていない世界には生も死も、
                  始まりも終わりもない

と言うことだ。


そしてその“定義する観測者”とは、何のことはない、
私たち脳みそ諸君だ。

もし、無限の静かなニルヴァーナの海、それ自体が

「俺(or 私)ってなんなの?」と疑問に思ったとしたら
そこから、「what I  am ?」という探求が始まり
ビッグバンが起きたという事になるかも知れない。

自己忘却である恍惚の光はそこから、
明晰さ(Dijital=量子ビット化)を求める探求の光へと変化し、
波動性は粒子性を帯びる

そしてそれは万有斥力と万有引力、エネルギーと物質という
より具象化された分離をもたらし、 空間という基本的な

           3 Dimemsion が生じた

              あり?

     これって私たちの意識がやってること
     そのものもじゃね?
 
哺乳類、類人猿という結論まで辿り着いた私たちの祖先は
でも、つい最近まで「喰いものを探す、生産する、奪い合う」という
事をやってきた。 その間ではたとえ数学や幾何学が生まれたとしても
それは専門分野に閉じ込められ、その重大性を考えるヒマがあったなら
スーパーで今夜の晩飯の買い出しに行くほうが“有意義”だったのだ。

   しかしやっとここまできた。

無限を思惟し続けたとき、怪しげな事態に出喰わす。
それは、思惟する者と無限とは別々ではないのでは?
っというヤバイ仮説だ。

思考が辿り着き、捕食できるものはすべて有限だ。
新装 ぼくを探しに
シェル・シルヴァスタイン
講談社
1979-04-12


思考が“無限”にかぶりついたとき、
アリンコがゾウにかぶりついたような
トラブルに直面する。

ついには、アリンコはギブアップする

   Out of range


かぶり付いた口をゆっくりとゆるめて、そこで考えあぐねる

「私が究極的にずっと探していたのはどうやら“これ”であった」

「でも捕食できない、巣と、そこで待つ
なかまたちに収穫物として持ち帰り、
シェアするのはどおやら無理みたいだ」

「どうもこのばかデカイ獲物は、“捕食”によっては
我がものに出来ない、・・・・

・・・・ずっと探していたもののハズなのに
一体これはどういうことだ??」

(アリンコって、つまり勤勉な日本人の象徴ね-笑)

そこでアリンコは瞑想し、自らを脱皮したとき
アリンコはゾウと一体化する。いや、もともと
このアリンコ君達とは、ゾウの意識の小型探査船、
エンタープライズ号(幽霊船)だったのだ

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つまり、

「ゾウが無数のアリンコを派遣して、
彼らをWEBカメラの目のように使い
そのカメラを通してゾウ自体を探していた」

            と言うのがオチだったわけだな。

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