We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

人の痛みが分かってあげられる・・・
っというのは尊いことなのかも知れない

他者の痛みを察してあげて、その人のために泣く、
それは慈悲深いことなのかも知れない

誰かが自分のために泣いてくれる
自分も叉、誰かのために涙を流す

  ・・・その時、私たちは皆、ひとりじゃない

でも、自分が誰かを「理解してあげられた」っと確信するのは
その独善性を考えれば、恐ろしいことかも知れない

痛みであれ、人生の悲しみであれ、悦びであれ・・・
他者に対する絶対的な理解や共感を宣言することは
その他者に対する絶対的な支配を可能にすることだ

一時的であれ完全な理解とは把握であり掌握だ、
それは素晴らしい慈悲の特質に見えて
実際には独善であり、圧倒的な影響力を暗示する

そんな人は安易に
「絶対的な善」や「完全な愛」というアイディアを持ち出すだろう

それは「言ったモン勝ち」であって
「絶対善~完全なる愛」という言葉に
   平然と逆らえる人は多くはないだろう
   それは現代の「錦の御旗」だといえる

「絶対的な善」とは即ち「絶対的な悪」という発想を産み出す
そして「絶対的な裁き」を可能にする

そんな「絶対的な裁き」の法廷に逆らうもの、抗弁する者はいない
なぜならそれこそが〝絶対性〟という言葉の定義そのものだからだ

「誰も逆らう者はいない」っということ・・・sれが絶対性だ

 ・・・話はそこまで行くだろう

    「私はあなたを知っている」

    その思い込みとは、絶対性の許での絶対的な他者の支配だ

だからたとえ、
「私にはあなたの痛み、悲しみが分かってあげたい」・・・っと思っていも
        わたしはあなたに決して言ってあげることは出来ないのだ

「うん、わかるよ」っと

何かに間に合うか?間に合わないか?
得たいものを得られるか?得られないのか?

・・・その結果に〝違い〟があると思うからこそ
   人は焦って発車のベルが鳴り響くプラットホームを駆けてゆく
   人を押しのけてバーゲンセールのワゴンに殺到する

でもだんだん疑わしく感じ始める
  「結果は同じなのではないか?」・・・っと

もちろん、ギリギリスレスレ、間に合うか?間に合わないか?と言う時
急ぐことで間一髪間に合うと言うこともあるだろう
でもそれでも、本質的な運命は変化していない様に思える

慌てなくても、得られるべきものは得られる
どれ程努力しても、縁のないものは手が届かないもの・・・・
   ・・・トシを喰えば喰う程そう感じ始めている

そもそも何かを得る為にどれ程頑張れるか?集中できるのか?
その欲求のヴォルテージ自体が数学的に決まっているとしたなら
それに応じて結果も叉、計算できるのではないだろうか?

努力、頑張り、根性、執念・・・

そういった情緒的なものは「数値化できないもの」というのが通念だが
・・・果たして本当にそうなのだろうか?
   この世に人間の情緒的なものを含め
   数値化できないものなどあるのだろうか?

人間の深層意識的な働きでさえ、数学的、物理的、力学的に表現できる様に思う
単に私たちがそこまで科学的に進化していないだけなのじゃないだろうか?
だからそういった複雑な心の働きを数値化できないだけ・・・

だとしたら?
人の深層意識の働きも含め森羅万象の全てが数学的に計量化できるのだとしたら?
だとしたら全ての結果は決定してる
たんにその結果を左右するファクターの正確な数値化と、その方程式化を
私たちがまだ知らないだけで・・・?

でももしその因果律の裏舞台を知ってしまったなら
私たちの人生は何と味気ないことだろうか?
「やってみる」前から「結果が計算できてしまう」だなんて??

・・・かくして私たちは「知らされていない」・・・
一寸先の未来でさえ
ホンの些細なことでさえ・・・

・・・その未来を私たちは知らずに
   そのお陰でスリリングに生きられる

私たちは「一寸先さえも闇」という祝福の中を生きていけるのだ

「剣をとる者は剣で滅びる」と
   ナザレのイエスは言った

「Penは剣よりも強し」と
   いうことわざがある

では「Pen(文章)をとって敵を滅ぼそうとする者」は
   「Penによって滅ぶ」と言えるのではないだろうか?

確かに剣に比べればPenはより平和的な道具ではある
そしてPenには剣と違って〝武器〟というイメージは薄い

・・・しかし、Penは剣よりも遙かに強力な武器にもなり得る

   Penとは単に文章の象徴ではなく
       文明全体の象徴でもある

 たとえば「核のボタン」もPenによって作られた強力な剣だ

 日本が明治維新の始まりに、アメリカによって強制された
 日米の不平等条約は、桜田門外の変へと繋がった

三橋貴明:帝国主義の本質とは不平等条約にある

〝国家間条約〟という恐るべきPenの破壊力が
その後の私たち日本の先祖達を如何に苦しめたのかを考えれば
桜田門外の変という血なまぐさい事件も
一体どれ程その〝暴力性〟を糾弾しえるだろうか?

もちろん状況は井伊直弼の生首だけで解決はしなかったのだが・・・

確かに剣とは規格にならない莫大な破壊力をPenは持つ
では、その「Penによって滅びる人々」は如何ばかりだろうか??

私の様な(社会的影響力は微々たる)ブロガーであっても
多少は知らずに人を傷つけているかも知れない

「一見平和的に見える・・・」が故に
Penはインターネットの時代を迎えた現代
どれ程、「人が人を傷つける道具~武器」として使われたことだろう?

そう考えると、
むしろ現代で「Penによってもたらされる災い」と
全く無関係な人を探す方が、むしろ難しいぐらいかも知れない

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