We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

スタートレック Star Trek The Next Generation
第121話 「ボーグ“ナンバー・スリー I Borg」より

エンタープライズはある星の上での微弱な信号を辿っていくと
そこには人類の脅威、ボーグの遭難船があった

その唯一の生き残りを「ブルー」と名付け
彼を救命したものの、常に集団の一員として部品として生きてきた「ブルー」には
当初、「同化され、吸収される別の種族の痛み」は理解出来なかった

ボーグの強さとは個体が常に集合意識と同化して行動しているところにある
それゆえボーグの個体は眠る時も常に情報を共有しているため
〝仲間達〟の声が聞こえ続けている


ここは静かだ 投稿者 maneel-katal

強さとは連帯、連携、
強さとは所属、同一化にある
有機生命体としての個々の個性や尊厳よりも
個々が歯車に徹したサイボーグになってしまうことが
〝ボーグ〟の強さであり、その強靱さが人類にとっても脅威だった

「ひとりぼっちではない」時、同種に囲まれている時に、生命はちから強くなる
常に仲間達の声が、こころの奥深くまで届き、絆が結ばれている時、心強く感じられる


声は聞こえないのか? 投稿者 maneel-katal

他者のネットワーク(集合意識)と同化するのではなく、
他者がそれぞれの個性を尊重し合う「友」となった時・・・、
それは同時に「わたしはひとり」であることを受容することを意味する

ネットワークから一旦切り離され、「静かさ」を体験した時
歯車として、ボーグとしての私たちも叉、真に人間になる時でもある

・・・脳内の囁き、とは人々の集合意識の囁きでもある、それがマインドの正体なのだろう
ホンの一瞬でもひとりになったとき、エゴは死ぬ
エゴとは関係性に他ならないからだ  By OSHO

秘教の心理学
和尚
めるくまーる
1995-02


過去、現在、未来 ~時間は全て「いまここ」にある・・・

今まで歩いてきた過去、~自分の足跡を「後ろ」と比喩するならば
これから岐路を選択し、歩いて行く未来は「前」と比喩出来るだろう

無我夢中で、必死に生きてきた私たちからすれば
すでに立ち去ってしまった「後ろ」とは、今はもう無く
これから歩む「前」は、今だ来ていない
自分自身の現在位置を「点」と「方向性」だけで見なすならば、
たしかにこの「点」だけが眼前に存在する全てだが
たとえその現在の瞬間だけで見たとしても
延々と続いてきた後ろや、前は、実際には消滅してしまったわけでは無く
イーグル的な上空視点からすれば「いまここ」に「すべて」がある


なぜ時間というものが
私たちを「現時点」に縛り付け
私たちの存在を「ちっぽけな点」と感じさせてしまうのかと言えば
「過去」から「未来」への道程が
不可逆な「未知」から「既知」への時間の流れに感じるからだ

トランプの神経衰弱をプレイしているように
伏せられた未知のカードを、既知へとオモテにした瞬間
それは過去の何かと〝符合(一致)〟するならば〝正しく〟
そうでなければ〝間違い〟であり、私たちはこの正誤によって
物事を得たり得られなかったりする・・・・

その勝負が決定的な不可逆な時間の流れとして感じられるために
私たちは失敗を恐れ、私たちは必死に過去から学び、
正しい未来を選び取ろうとしている・・・・

・・・このゲームに対してシリアス(深刻)であればある程
   その未知から既知への不可逆性~勝ち負けのゲームは
                  絶対的に感じられる

   だから「過去」と「未来」という時間の方向性は
   (ヌーソロジーで言う)「等化」が難しく感じられる

しかし、本当に過去は既知なのか?
実は、未来では無く、過去こそが〝未知〟だったのではないだろうか?

もし過去が「確定しきった既知」であるならば
「分かりきった過去」の積み重ねには、私たちは恐怖を感じないはずなのだ
しかし、私たちがなぜ「恐れ」を抱くのか?っと考えてみれば
それはむしろ「過去の積み重ね」~つまり「学習」の結果なのだ

「知っているつもり」になる事が、いったいなぜ恐怖を生むのだろう?
正体の分かりきったことに、私たちは何故恐怖するのだろうか?
ここに「学ぶ」ということの矛盾がある

「学べ」ば「学ぶ」ほど、つまり既知を積み重ねれば積み重ねる程
     私たちは「恐ろしいもの」が増えていってしまう・・・

「これが正しい」「あれが間違っている」と知れば知る程・・・
・・・経験律が増せば増す程、私たちは「恐れ」そして「老いて」ゆく

ここに、
 人生というゲームの法則、時間の法則に対する
  本質的な疑問、根本的な矛盾がないだろうか?

私たちが「分かった」「分かっている」と思ったことの積み重ねを
私たちは「既知」と呼んでいるが、
実際にはここに「未知」「無知」がどんどん混入しているのでは無いだろうか?
つまり「老い」「病い」の正体、人生の「恐怖」の正体も
ここにあるように思う・・・


私たちが
過去に、「後ろ」にしてきたこと、
     既知と思い込んできたことが
  実は、「未知」であったなから???
     「無知」の温床であったなら???

・・・だとすれば、じゃあ未来とは「未知なのか?」という疑問にも繋がってゆく

私たちはまだ見ぬ未来こそが、「未知なのだ」と思ってきたが、
実はこれこそが
 「過去から積み重ねてきた恐怖」の裏返しとしての
   「未来への期待や欲望」なのではないだろうか?

・・・その「まだオープンにされていないカードへの期待」を
           私たちは「未知」なのだと思ってきた

   でもこの神経衰弱という「記憶のゲーム」には、大きな疑問がある

   過去が「既知」ではなく、実際には「未知」ならば
   未来とは「未知」なのではなく、本当は「既知」なのではないか?

   それは私が「伏せられたカードを全て知っている」という意味では無く
   この記憶のゲームそれ自体が「古くさいイカサマ」なのじゃないか?
                   という私の疑惑を意味している

この
「過去と照合させた未来を引き当てる」ことが
    人生の勝敗を決める神経衰弱ゲームは
     本当に私たちの「リアルな人生そのもの」なのだろうか?

・・・私たちはそう信じ込んで「人生の未来での勝利」の為に「お勉強」してきた
      様々な体験、経験、熟練、資格取得を「武器」として溜め込んできた

   そしてそれで知識を溜め込めば溜め込む程、「強く」なってきたはずなのに
   なぜかそれと比例して「恐怖」も膨張してきた、「不自由」になっていった
                それこそが「老い」の正体では無いだろうか?

知れば知る程、わたしたちは醜く老いさらばえ、醜悪になっていってないだろうか?
確かにずる賢く、抜け目なくはなっただろう・・・
でもどんどん人生が干からびてきたのでは無いだろうか?

「負け」なくはなっただろう
「思い通り」にはなっただろう
「抜け目」なくはなっただろう
「失敗」しなくはなっただろう

・・・でも、その分だけ、人生のみずみずしさを失ってはいないだろうか?

   わたしたちは「ものごとは使ったら減る」と知っている
   そしてそれは「人生の残り時間もそうだ」と納得している

未知はどんどんと過去という名の既知の<思い出のゴミ箱>へと押しやられ
それが「人生なのだ」と納得してきた・・・でもそれは本当だろうか?

つまり、「未来とは未知だ」と表面では思いながら
私達は「未来をこそ」既知の狭く古くさい観念の箱に腐らせて来たのじゃないか?

結局のところ、過去の後ろを振り返っても、未来の前方に目をこらしても
気が付いてみれば私達は「既知」、「知識」のゴミ溜めに囲まれている

「過去-現在-未来」・・・
時間の地平線上のすべてが既知で埋め尽くされることが
わたしたちが望んで来たことだった  ・・・全てを知り尽くすこと!

            ・・・でもそれが本当に幸福なのだろうか?

   たしかに「有利」ではある、「便利」ではある、「安全」ではある

          ・・・でもそれで本当に幸福になっただろうか?

     どこにも「空白」がなく、知識で埋め尽くされることが?

広大な未知の地平線、水平線が広がっている時代には
私達の先祖が、最終的には科学力によって、この暗黒の大地を支配していった
             ・・・そのことには大いに感謝するべきだと思う

しかしそれはあまりにも大きな犠牲も伴った
私達は大地の恵みをコントロール出来るようになり
         飽食と肥満と傲慢の時代を迎えた

 ・・・それがまた私達自身を自殺へと追いやっている


スマフォゾンビ達の世界 投稿者 maneel-katal

私達はトランプの神経衰弱ゲームを制覇する事によって
豊富な「選択の自由」を手に入れたが、
「時間」の概念の中に取り込まれ、人生の未知や神秘や幸福を知識の中で見失った

たとえ肉体的には老いて、あるいは病んでいたとしても、
死ぬ直前まで、子供のように純心な動物たちの生き様を見て
       あなたは羨ましく感じたことはないだろうか?

言葉や記号によって「伝える」わたしたち人間は
     過去を「既知のことだ」と決めつけることで
     未来にも不確定要素を可能な限り除去してきた・・・

     ・・・それが科学技術万能文明だった
     ・・・それはすべてを人間の都合の想定範囲内に押し込めることだ

でも
過去の既知だと決めつけていたことこそが、実は未知と神秘の宝庫だと気が付けば
私達は「未知の未来」「空白の、不確定な未来」を楽しみにすることが出来る

人間の「恐怖の克服」とは、
いままでは「既知で埋め尽くすこと」だったが
これからは「未知を未知のまま積極的に受け入れること」ではないだろうか?

たとえば空を流れる雲が、「水蒸気の塊ですね」と科学的に説明して
だからそれが何なのだというのだ? そこには未知も神秘もファンタジーもない

過去が未知の時、未来も未知になる・・・、
 わたしたちは時間の支配者ではなくなると同時に
  わたしたちはもう時間に支配されることもなくなる・・・

      ・・・「時間」を手放した私達は、再び若返るのだ

榊 みや子さん 今日中にまとめなきゃなって思い立ってやったは良いけどだいぶ眠い。

認識革命完成おめでとう。
NR JAPANで認識技術を学んで、実際の生活に使える様に実験しまくってましたが、やっと使えるようになりました。

「観術しかないぜー!!!」って思って、色んな人に教育そのものを伝えまくっていた時期もあったし、「それってどうなの?」って自問自答しまくった時期もあるし、結果今の私に落ち着きました。

まさに守・破・離の1年間、
気づいたこと・感じたことを記録していました。

教えてくれた、ノ・ジェスさんマジ感謝です。
私に人生をプレゼントしてくれた人です。

思いは受け取りました。
今度は、ノさんの夢を叶える恩返しのターンですな。
お魚は泳ぎますね。

後は、創っていくだけ。
さて、次のステージで暴れましょか。

『革命しませんか?♪』考えだらけだった私が、ドラマチックライフを繰り広げられるようになった。安心と仲間を手に入れ、素直に心地よく日々を過ごす間での試行錯誤。ブログ内の"revolution/革/認識が世界を変えていく "のカテゴリーを抜粋。
NOTE.MU
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ロシア革命、フランス革命、中国の共産革命・・・

歴史上の〝革命〟と呼ばれているものは、
まず
「民衆の不満を思想家が引火させる」
ところから始まる

つまり王政、貴族、その他、国家的権力、権威、秩序に対して
人々の羨望、嫉妬、不平不満、怒りを掻き立てること・・・
そしてその人々のエネルギーをさらに煽り、集団化させ
暴徒化させ、国家体制と秩序を打倒させ、倒壊させ
最後には王侯貴族をギロチンに掛けることを
歴史書では「革命が起きた」と記述する

つまり、「民主化した」ともいうのだけれど
これらはボルシェビキ、ノーメンクラツーラのような
〝赤い貴族〟~ユダヤのエージェントによって
「操られた民主革命」であり、極めて人工的なものだ

OSHOはこういった社会主義の台頭に
「気をつけなさい」「人間の嫉妬のマインドを操った危険なものだ」と警告していた

私たちの現在の「〝いわゆる〟民主的な社会」というのは
この「嫉妬の」基礎の延長線上にある・・・
それゆえに資本主義であろうが、社会主義であろうが
最終的には、〝超〟格差社会にならざるを得ないのだ
「権力構造の革命(=打倒)」というのは、
実際には「社会秩序の破壊」のことだった・・・
それはアメリカ軍による〝野蛮な〟イスラム諸国の民主的開放という名目で
現代も引き継がれている・・・言うまでも無く安倍現政権もその流れの一派だ

・・・その秩序破壊の猛威を紙一重で回避して、
「革命」と名乗る「内乱の扇動」を押さえ
民主主義と皇室との二人三脚を為し得てきたのが、他ならぬ我が国だった
その明治維新以後続く、「きわどい二人三脚」は
現在も皇室と安倍政権との間で、現在も〝きわどい〟せめぎ合いの中にある・・・

榊みやこ女史が言う「認識革命」というのが、もし本当の「個人からの革命」ならば
NRジャパンのノ・ジェス氏や、榊みやこ女史を中心として、
この世界は、〝本当の〟〝本質的な〟革命が起きるだろう・・・
単に黙って座って見ているだけで、
彼女の信奉者達から野火が広がるように・・・そして世界中を・・・
なにひとつ暴力沙汰無しに、権力者のギロチン無しに変化させていくハズ

しかし、
わたし自身の予測を書き残しておこう
「彼らからは本質的な、唯一の革命は起きないだろう」っと


「唯ひとつの革命」 (字幕) 投稿者 maneel-katal

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