We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

それは、「子供」が「母」から巣だった時だろう

生命史上最初の「役割分担」は
私たちの遠い祖先が不老不死を失った時に起きたに違いない

まだ生命に性別がなかった頃
生命は不老不死だった

単純な単細胞がミトコンドリアと結婚し
酸素が増えてきた原始の地球環境での生き残りを図った
生命は多細胞生物へと複雑化していった

でもそれと同時に不老不死を失ってしまった
つまり〝寿命(タイムリミット)の発生〟である
このときから生命体は「時間との闘い」を開始したのだ

「世代交代の始まり」とはまず「親と子」という世代の違いを発生させ
「なるべく安定した安全な環境で子を産み続ける親」と
「新しい環境への適応のために危険を冒して探索する子供達」という
アリやミツバチのような「親を中心として子供達が冒険して帰る」
役割分担を生んだのだ

その時、女王ハチのような親とは
子供達の持って帰った収穫の集積、集約といった
「ホストコンピューター」のような役目であっただろう
この「親子関係」が「メスとオス」との関係に変化していったに違いない

一匹のメスを中心とした母系社会が、「一家」「一族」の単位だったのだ
その「性別は違えど、基本的にはひとつの細胞を基幹とした一族」の結束は
確かな絆だっただろう・・・その当時でも「血は水よりも濃かった」ハズなのだ

しかし、「母との近親相姦を何世代にもわたって続ける危険性」に
やがて私たちの先祖も気が付いたはずなのだ
「血が濃すぎること」は一族の結束の強さとは成るが、
環境への適応力と種の多様化という点では弱点であった・・・

・・・そしてここに〝革命〟が起きたのではないだろうか?
「旅から決死の冒険の帰った個体」が母の元に帰るのではなく
別のメスの元に自分の遺伝情報を伝えに行ったのだ

つまりあるひとつの子(個体、オス)がこの
「母を裏切って別の環境にいる母体とセックスしに」行ったに違いない、
あるいは彷徨った果てでの偶然の措置だったのかも知れない

つまりこれが私たちの遠い祖先の、史上初の「浮気」だったのだ
それは「自分を産んでくれた母と一族への裏切り」だったのだ

安定的な環境をバックボーンとした「大いなる母」と
特攻隊のように使い捨てにされた「小さな沢山の子供達」・・・・

でも、その
「ちいさな者達の決死で手に入れた情報、体験」は
けっして「小さく」はなく、非常に貴重なものだったのだ
それは時にはビッグマザーが保証する「安定と結束力」を
凌駕する価値が時としてあったのだ・・・種族全体の革新をもたらす程の・・・

この時、「安定、安らぎ、母の愛」を超える価値を「小さい個」が握っていた

これが女性原理の「愛」と男性原理の「瞑想」との
生命の意識進化への二つの大きな柱となったのではないだろうか?

この世界のどこを探しても、私の未来など無い

たとえよく当たると評判の占い師に
「あなたは10分後に最高の結婚相手と出会いますよ」と予言されても
「あと10秒後にあなたの前に10億円が転がり込みますよ」と予言されても
そんなことは「いまここ」の私とは全く何の関わりもない
その予言が成就するかどうかは10分後なり、10秒後なりにわかることだ
分かればその時に対応すれば良いだけのことだ
大喜びするのはそれからでも遅くない

予言は現金(キャッシュ)ではなく手形に過ぎない
生きることに必要なのは手形や約束ではなく実物だ
衣食住・・・

そうして豊田商事事件では多くの老人が虎の子を巻き上げられたではないか?
たとえ10秒後の10億円でも、その「約束の」紙切れに、いまは一円の価値もない


あらゆる気休めや、慰め、方便や、
人生の意義付け、解釈が、すべて虚しい、すべて通用しない瞬間を今感じる

ここに未来など無い、目の前を行き交う人々は全て私とは無関係だ
たとえ10秒後に本当に10億円が転がり込もうと、
じゃあいったいそれが何だというのだ?
実際には大金が自分の人生にどんな幸運をもたらすか?なんて判りはしない

唯一確実なのは、いつかどこに向かうことも、何が起ころうとも
いまここは常に虚しいままだと言うことだ
私の中心は常に空っぽだと言うことだ
これだけが唯一保証された事実
ずっといままで継続してきた事実だった
   そしてこれからも未来永劫そうなのだ

この人生には常に
一時的な熱狂があっただけだ、落胆があっただけだ
その繰り返しに何の意味があるだろうか?
熱狂の時も、落胆の時にも、自分の中心は醒めた空っぽだけがあった

・・・それらはすべて巨大な廃墟じゃないか?
    世界の金銀財宝、美女や冒険を総動員しても
     自分の中心の小さな小さな空虚さが、
      もはや決して埋まることはないのだ

「私は何も信じない」と言った場合、
最後にひとつだけ残ってしまう信念体系がある

・・・それは「私は何も信じない」という言葉だ
   つまり「信じないぞ」という決意を「信じている」ことになる
   その〝構え〟その〝信念〟その〝拒絶〟を信じていることになる

だからこれは
「黄金律はないということが唯一の黄金律」というのと全く同じ自己矛盾だ

ウロボノスのヘビが自分自身の尻尾から自分自身を食べていくなら
このヘビは本当に空間の中に「消え去る」だろうか?
いいや、そんなことはない
最後に極限まで折れ曲がって短くなった自分の胴体を咥え、
ぶざまに喘ぐ頭が空中に残り続けるのだ・・・

だから

「何も信じない」という自らの言葉さえ、宣言さえも信じないときに
                        全てが消え去る
つまり、
「あらゆる言語化されたものを信じない」その時
「沈黙だけが残る」・・・・

何一つ宣言しない「沈黙」だけが残されたとき、
その時、その沈黙それ自体が自明の証言をするだろう・・・

     「何かを信じてきた私はもうここには居ない」、っと

「あなたの沈黙だけが、唯一、私の同意を得られる」 By OSHO

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