We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

物事を徹底的に、絶対的に理解できたことを
日本語では「骨身に染みる」と表現する

自分自身の中心との対話、真我との対話とは
つまりは自らの骨を感じることだと思う

途中、緊張が抜けていない筋肉や、
ねっとりと骨にしがみつく筋膜などが
血行不順を引き起こしつつ、自らの骨にたどり着くのを阻害する

私達の外界に対して過剰防衛しようとするマインドの働きが、
このような骨の周りのブロックを蓄積し続けてきたのだ

もし100%の能力を発揮したいのならば
私たちは0%の状態を保持しなければならない

もし私たちが寝ても覚めても
30%の緊張を常に手放せないでいるなら
私たちは70%のポテンシャルしか発揮できないからだ

「骨身にしみた理解」のみが、完全な脱力を可能にする
そして完全なリラックスによってのみ
本当の自分自身との出会い、対話、理解を実現させてくれる

それが私にとっての「健康」という言葉の定義そのものだ

ハチコマくん

人工生命体

夢や理想も目的もなく、
何も期待せずに生きている人と
・・・私はいままで出会ったことはない

誰もがどこかに辿り着こう、
今の自分は何かが欠乏、欠落している、
という罪悪感に蝕まれている

夢の実現とは
夢との一体化、合一化を意味する
たとえば「お金持ちになりたい」と言った場合
大金を手に入れれば夢が実現化したことになるだろう
でもお金と一体化、合一化出来た人などいない

一級建築士になりたい人が
一級建築士のライセンスを取得することもある
でも一級建築士というライセンスと一体化したわけではない

一般的に「夢の実現」の多くは、お金も含め
世間からパーミッション(許可、権限)を得ることを意味する

でもライセンスや栄光、権力は、
社会から取得出来ても一体化は出来ない
「後から得られたもの」とは「あなた自身ではない」という
自明の理があるからだ...


それらは一時的、部分的なもので
それらは自分の肉体、健康を中心に
維持し、守り抜く努力をしなければ
すぐに過去のものになってしまう

夢の我が家を購入する人もいるだろう
でも物理的に得られた家が「我が家」になる事は決してない


この「欲しい」「実現したい」「引き寄せしたい」という
餓鬼の世界が延々と続いている

だれもが本当に望んでいる究極のものは
マイホーム・・・永遠の安らぎの場であるハズだ

しかしその「究極の目標」を自覚している人と
何故か出会ったことがない・・・・

瞑想を試みている人達でさえ
どこかに辿り着こうとジタバタしている

わたし自身も
ずっとコンプレックスだったことがやっと自覚出来た・・・
それは「理想も、目的も、夢も全く持てない自分の異常さ」だった

ひょっとしたら
そういう人は他にも居るかも知れない!?

ひょっとしたら
誰もが私と同じなのかも知れない!?

でもそれを人に尋ねるのはとてつもなく
私にとって気まずいことであり
訪ねられる人を怖がらせることだという確信がある

誰もがどこかに向かって無我夢中で突進しているのに
それに冷や水をぶっかける様な問いなのだと思う・・・
みんな楽しそうじゃないか?
なのにそのオモチャを私が取り上げる権利があるだろうか?

わたしが真の友と呼べる出会いが今までなかったのは
多分それが原因なのじゃないだろうか?

実際
  私は「真の友」と出会っていなかったのだろう

実際
  誰もが〝潜在的には〟「真の友」だと思う

つまり
 「夢や、理想や、目的に従属し続け、
  人生を浪費したいと思う人など・・・」

     この世には本当は誰ひとりも居やしない!
  
でもそんな自分の本音を「いっちゃあオシマイだ!」ということ・・・
これらのナンセンスな椅子取りゲームが全部消滅してしまうこと・・・
も、皆知っていて、そして皆恐れているのだ
皆が本当の自分自身から逃げ回って、そして目的やら理想を追い求め続けている

46.Serching,Seeking,Questing
    探すこと、求めること、探究すること



この確信を得た時
わたしは自分自身が自分で冬眠していた破壊神、デビルマンである自覚をもった



この物理的な制限だらけの肉体に閉じ込められているからこそ
目をつぶれば脳内では莫大な幾何学の嵐が吹き荒れている
 ・・・それは全世界を揺るがしかねない程の光のハリケーンだ

誰もがそれを内に秘めている ・・・であるが故に私たちは自分自身を最も恐れる

  でも
  躊躇えば躊躇う程、恐れを溜め込めば溜め込む程、その爆発も凄まじいだろう

その時のために私たちはいまここにいる

 「その時」とは、  実は、
  「いまここ」なのだけれど・・・・

  ・・・私たちは「その時は・・・」といって
    「いまここ」から逃避し、延期してきた

だから当然、私たちは死ぬ程退屈する、
みずから選択した「延期に次ぐ延期」、によって飽き飽きするだろう



退屈とは、だから良いことだ、救いだ

 それは私たちが「まだ生ききっていない」こと・・・
   私たちには「とてつもないポテンシャルが眠っている」ことを暗示している

それは完全に「ひとり」になることでアクチベートされる

「爆発」とは
 外側よりも内側が、実は広大である時、莫大である時に起きる

あらゆる空間よりも、体積のない「この一点」が広大である時
永遠の時間よりも「今この瞬間」が莫大である時
・・・・爆発が起きる

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