We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

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もし、体験して見知った世界だけが、「自分の世界」の全てだとすれば
私の世界において地球は丸くない
私の自宅を中心に触手が伸びるように蜘蛛の巣状の形をしているだろう

ごく近所にだって知らないところはイッパイある
隣の住民の室内だって、覗いたことがなければブラックボックスなのだから

単に学校で「地球は丸い」と習っただけのことだ
確かに飛行機に乗れば水平線が弧を描いているのを目撃しただろう
そして地球儀の通り、世界一周だって出来るだろう
それでも私たちは世界を断片的に体験しているに過ぎない



しかしわたしたちはその体験のかけらを体系化し、
「地球は丸い」といったような世界観を脳内で描いている

だから私たちには新鮮に世界を見ると言うことが出来なくなっている
確かに生活する上で、「丸い地球」を前提としなければ色々と不自由だ
きっと確かに、地球は丸いのだろう・・・
それは疑うことが馬鹿馬鹿しい程の事実なのだろう・・・
でもその結果、その〝当然の事実〟ともいえる世界観の中に
私たちは自分自身で閉じ込められている

私たちは〝学んだこと〟そして〝当然と思って知っていること〟から
なかなか逃れることが出来ない

・・・こうして沢山の沢山の〝当然の世界観〟が積み重ねられ、
   年々歳々、蓄積すればする程、人生には驚きも感謝も遠のいてゆく

私たちは腐った日常に埋没し、退屈してゆき、
そんななかで「人生とは何か?」日々考えている

「広く博学な世界観」の中で暮らす方が、「より大きな自由」を得た人生に見える
しかしそれは本当だろうか?

子供の様な純粋な目で、何の現実に対する枠組みを持つことなく世界を見る方が
私たちは本当の自由の中で、広々とした世界の中で
生きることになるのじゃないだろうか?

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その触手のように延びた世界が
「あそこに行けばパスタの美味いあの店がある」だとか
「今頃はあの山の紅葉がきれいだろうな」とか
「地球は丸い」とか
記憶や論理から類推しているだけだ

そして本当に知り得ているのは今この瞬間のここだけだ

その蜘蛛の巣状の世界の中を「既知」だと言い
その蜘蛛の巣からはみ出て、たとえば例えいつも通る道であれ
初めて入ったお店の店内は「未知」の世界だという

わたしたちはいつも
世界が球状に広がっているとぼんやりと思っているが
本当はモグラが自分の巣とするトンネルを往復したり
拡張工事したりしているだけだ

他人の存在も、そのキャラクターもまたそのトンネルの一部だ
実際のところその蜘蛛の巣状に広がるトンネル空間こそが、
私たちの感覚的触手そのものであり、
その触手の交差する接点こそ
自分と他人との共通認識、共同現実感だ




本当は私たちは操り人形に過ぎないかも知れない
私たちの尻尾をイタズラして笑っている宇宙人が
どこかにいるのかも知れない



でも、それでも
「いまここで感じていることが全て」なのだ
 例え遠い星に「私たちの本体」があるにせよ
    いまここにおいては大した意味は無い

重要なのは「なぜ?」のルーツ探しなのでは無く
いまここにある感触を楽しむこと・・・
「楽しんだ方が勝ち(価値)」なのだ

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農業は今もある
牧畜、畜産は今もある

じゃあ白人を主とした狩猟民族達は
その先祖の血をどの様に満足させているか?

彼等は〝他民族〟を狩ってきた、奴隷にしてきたのだ

それは芸能などで観客を魅了するという〝狩りの仕方〟もあるだろう
それは商売などで顧客を獲得するという〝狩りの仕方〟もあるだろう

しかしもっとも狩猟民族の血を満足させるのは
「他者を狩って、その生き血をすする」ことなのだ

・・・だから「誰もが平和を望んでいるハズだ」というのは
   農耕民族A型が大半である日本人の、あくまで幻想に過ぎない

しかし、ポイントは血液型とか人種、肌の色では無い
日本人もまた大多数が百姓ではあっても、
あくまで武家社会としての時代が長く
「戦の民」としての側面が混在している

個人の中にだって狩猟民族、遊牧民族、農耕民族・・・
としての様々な要素が混在している

それは原初生命の段階にすでにあったと思う
だからそれは生き物としての営みの上で
 決して完全に消去することが出来ないであろう要素だ・・・他者の略奪

借金による通貨の発行や戦争というのが
「他者の略奪システム」としての最後の牙城だ
だからこの〝野蛮さ〟を人類全体が淘汰することはなかなか難しいのだろう


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