We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

第三の眼の真実①より
http://makaula.blogspot.jp/2012/09/blog-post_15.html#.VDiHOV8djco.twitter

また近年において松果体が分泌するホルモンはメラトニンだけではなく、神秘の物質、または魂の分子とも呼ばれる「DMT」という物質を放出することが分かっています。

この「DMT」は人間が死を迎える直前に
松果体から放出される物質です。

わたし自身の神秘体験や瞑想録もほとんどはこのDMTによるものです
つまり南米のシャーマンが、トランス状態に入る時に使う「アワヤスカ」とは
DMTの事で、私はこの体験を数え切れないぐらい何度もやってます


DMT(精神の分子)より
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1853699.html


DMTとは、「ジメチルトリプタミン」のことで、自然界に普通に存在する物質なんだそうです。
 ストラスマン博士によれば、熱帯地域や温帯地域の植物、ほ乳類、ある種のヒキガエルなどに存在している神経伝達物質で、化学合成することも可能といいます。
 このDMTが注目されるのは、それが松果体で作られるということで、有名な幻覚剤、アヤワスカに含まれるのがこのDMTなんだそうです、
 ストラスマン博士は米国食品医薬品局の許可を得て、1995年までに合計60人以上の被験者に対し400回以上に渡って、DMTを静脈注射で投与する実験を行いました。
 そしてDMTを投与された被験者のほとんどが、神秘体験をしたといいます。

DMT: 精神の分子 | Netflix (ネットフリックス)

わたしの場合、
このもっとも強烈な体験は2012年の正月でした。

丹田のあたりが巨大なサイクロトン(原子転換装置)に見えた
そのサイクロトンのさらに中核には、宇宙的な規模の空間を一気に演算出来る
無限速CPUがあり、私はその中を覗き込んでみた

すると、その中はもぬけの殻で、私は度肝を抜かれた!

でも納得した。

なにげないただの空間それ自体が無限に高速な演算が可能なプロセッサーなのだ

ここに「無」と「無限」とが同じコインのウラオモテであることを洞察出来た

これが、このブログを書き始める最初の動機になった

DMT体験は非常に恐ろしい・・・なぜなら「臨死体験」だからだ

死の淵を覗き込むのだからエゴが悲鳴を上げるのは当然だ。

だからこの体験は安易に他人に奨められるものではない

しかし、

同時に思うのは、これは「(肉体の)死の予行演習」であることは
まず間違いない!!

で、あるならば、あの恐怖の体験を一度も予行演習無しに
ほとんどの人が、「いきなり本番かよ!?」・・・  なのかと思うと
とにかく気の毒でならない・・・  とは、強調しておく

だから、死ぬ予定がある人は、なるべくなら経験の豊富な人の
ガイドの元で、何度かは体験しておいた方が良いと思う

スピ系の人は、基本的に死後の意識の存続というのを信じている
のだろうから、自信たっぷりに「ああそんなの当たり前じゃん!」と
わたしのこの話を聞き流すのだろうけれど、

   ・・・・実際体験してみれば判る

「知っている」のと「体験している」のとでは、絵に描いた餅と、
餅を実際に喰い、味わうのとぐらいの雲泥の差があると言うことを・・・

「その」瞬間・・・・

貴方が見てきた、体験してきた、「この」三次元世界は、すべて小さな
ゲームの小部屋であったことを思い知らされるだろう!!!!

この三次元は、あまりにも精巧で緻密だ!

だから誰もが強烈なリアリティーを感じてしまう

その結果・・・・  だまされる・・・ 騙されている・・・・

そういう「とてつもなく緻密で精巧な、限りなく難しい騙しゲーム」を楽しむ
ことをワンネス=ハイヤーセルフが望み、設計し、無限の演算能力で
何億年も掛けて建設し、仕上げて来たのだから・・・・

           ・・・・それは当然の結果だ・・・


ここは、私達自身が嬉々として、深々と掘った落とし穴世界なのだ

でも、あまりにこのゲームは手が込んでいたが故に、
「答え合わせ」をしても、かなり長い間、たぶん多くの意識は
「キョトン」としてしまうだろう・・・  “解答”が目の前に提示されても
「ついて行けない」だろう・・・・  そしてそれが恐怖と苦しみと葛藤を
肉体を失ったあとにまで、気が遠くなるような時間まで引きずり続けて
しまうことになる可能性は高い

だから、「死の予行演習」は、しておいた方がいいとおもうけれどな~~っと思う


知的理解とセックスの神秘
フェイスブックにおけるわたし=風間夕夜のコメント

神代さんのOMで、質問
フェイスブックにおけるわたし=風間夕夜のコメント


 このバガヴァンの言葉を読んで、納得出来た、というか、思い当たる
ことがひとつある

最近・・・・
    人に褒められても、  好意を持たれても、何だかちっとも嬉しくない

人から高評価を受ければ、もちろんいくつかのメリットもある

でもそれに勝るとも劣らぬデメリットも、実はある

たとえば誰かが
あなたの技術、技能なり、知識や判断力なり
あなたの性格、人間性、容姿やその他、身体的特徴を
称賛してくれたとしよう。

つまりあなたの属性と思われるなにがしかを高評価してくれたとして

             じゃあなぜ? 称賛してくれたのだろう?


そこにはなにがしかの期待があるのではないだろうか?

テストで100点取れば、親は褒めてくれただろう

で?

その後はどうなる?

次のテストが98点だったら、ガッカリする顔が待ち受けているだろう

次も、その次も、100点取り続けなければ行けないだろう

でも、その称賛の声はだんだんトーンダウンしていくだろう

「100点を取ることが当たり前」になっていくだろう

マトリックス・希望は人間の典型的な妄想

あなたを誰かが称賛したとしよう

あなたを誰かが尊敬したとしよう

あなたを誰かが愛しているのだとしよう

で?

その人はあなたのことをどれだけ理解しているというのだ?

で?

その人のあなたへの理解はどれぐらい的を得ているのか?

で?

そういった称賛、尊敬、愛、理解は、
       どこまで深いのか?いつまで続くのか?


そしてあなたは

そういった称賛、尊敬、愛、理解に、
       本当に該当するのか?本当にふさわしいのか?

そもそも・・・

私たちは本当に自分とは何か?判っているのか?

  もし、自分たち自身でさえ、自分の正体を理解していないのなら
      そんな自分に対する称賛、尊敬、愛、理解とか?  一体何なのだ?

その

   称賛、尊敬、愛、理解  は、

       一体全体、  何に対するものなのだ?
              誰に対して捧げられたものなのか?

   そう問いかけたとき、  わたしは他者から得られる

  称賛、尊敬、愛、理解  を  複雑な心境でしか受け止められないのだ

eva闇

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