We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

昨日の朝から始まった呼吸が楽になった奇跡は今朝で24時間を向かえた

こうしてちょっと時間が経過してみると、少々メカニズム(からくり)らしきものも
見えてきた

・・・・つまり、いままでの呼吸の苦しさは物理的な苦しさ以上に
   心理的な不安、恐怖が自覚が難しい程の私の心の奥深く
   住み着いてしまっていたのだとおもう

   その闇に光が差し込んだのだ
   つまり、「怖がらずに感じてみよう」という勇気を持ったお陰だ
   ボーディーヒロさんのサジェスチョンによって・・・


「鶴は千年、亀は万年」という言葉は日本人の誰もが知っている言葉だ

   (つまり「天皇陛下万歳」という言葉は、
    亀という動物が日本神道の象徴であることを暗示している)

細い足でスラリと美しく立ち、雪景色を背景に飛び立つ鶴は、大地(日常生活)と
接点を持ちつつもそこに囚われず、染まらず、白銀の世界を優雅に舞う生き方が
ミレニアム=千年の単位で通用する事を意味している

鶴とは、サニヤスの象徴だと思う



亀は一見、鶴の様に美しくも優雅でもなく、泥の中を這いずり回るどん臭い生き物だ

しかし、彼らもまた肺呼吸の生物で、
芭蕉が俳句で悟りの象徴として詠んだ
カエルと同じく水棲と陸棲との中間的な生き物だ

つまり水中での窒息の危険性を持ちつつも、水陸両用の生活環境をかれらは入手した

亀の鼻は決して大きくはない・・・  手術が必要だと耳鼻咽喉科のドクター
から言われた私の奇形である鼻の骨格と同じようなものだ

でもかれらはのんびり、マイペースだ

どんな生き物だって、生きている以上は瞬間瞬間リスクと向かい合っている

しかし亀という生き物は、そんなリスクは甲羅に任せてしまって
あとはリラックスして生きている

これが静かな祈りに満ちた神道が伝えるプラトン年周期2.5万年を生きる生き方だ
(プラトン年周期:我々の太陽系が銀河を一周する周期のこと)

つまり、「リスクはある、常にある。でも恐怖は無用」な生き方なのだ




その時呼吸は、深く、静かに、なが~~く成る

それが実際亀という生物が長寿である秘訣だ
彼らはヴィパサナの化身の様な種族だ

「亀の寿命」検索結果

彼らはエンライトメント・マスターや天皇陛下の象徴だと思う

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http://www.sannyas.org/images/c/cd/Opeople.jpg


18.Meditation
   瞑想
 あらゆるものに注意を向けましょう。
 「大きい」、「小さい」はありません。
 すべてに神性があります。
 あらゆるところにあなたは神を見出すことができるのです。

 ある期間修行してきた弟子が一休に会いにきた。 雨が降っていたので、なかに入るときに彼は履物と傘を外に置いた。 彼が挨拶をし終えると、一休は履物のどちら側に傘を置いたのか? とたずねた。  さあ、なんという問いだろう……?  あなたはマスターが
 神について、  クンダリーニの上昇、  チャクラの開き具合、  あなたの頭のなかで起こっている光についてたずねるのを期待する! だが、一休はごくありふれた間いをたずねた。 履物と傘がスピリチュアリティとどのような関わりがあるのだろう?  だが、そのなかには途方もなく価値のあるなにかがある。 その問いには意味がある。 その弟子は思い出せなかった- 自分の履物をどこに置き、 傘をどちら側に置いたか、誰が気にするだろう?  だが、それで充分だった--その弟子は拒絶された。 一休は言った。 「そうであれば、行ってさらに七年間瞑想するがいい」 「七年!」その弟子は行った。 「このささいな落ち度のために?」 「落ち度に大小はない」一休は言った。 「お前はまだ瞑想的に生きていない。ただそれだけだ」  これはささいなことで、 あれは非常に、非常にスピリチュアルなことだと、 ものごとの間にちがいを設けてはいけない。 注意を向けるがいい。 気をつけるがいい。 そうすればあらゆることがスピリチュアルになる。 もし注意を向けなかったら、 気をつけなかったら、 あらゆることが非スピリチュアルになる。  霊性はあなたによって分け与えられるもの、 それは世界へのあなたの贈り物だ。 一休のようなマスターが自分の傘に触れると、 その傘は、 あらゆるものがそうでありうるのと同じように神性を得る。 瞑想的なエネルギーは錬金術的だ。 それはより低い金属をより高い金属に変容しつづける。 シンフォニーを指揮しているかのように オレンジの皮をむきなさい。 そうすれば、あなたはもっともっと近づく。 瞑想的になればなるほど、それだけあなたは神を あらゆるところに見るようになる。 究極=ピークではあらゆるものが神性を得る。             TAKE IT EASY,Vol.2,pp.488-491           ・邦訳「一休道歌」上・下巻 めるくま-る社刊


21,Giving
   与えること
 いまこそ開いて、けちであることをやめて、
 自分がなしうるかぎりのことを、
 自分がもちうるかぎりのものを与えることです。
 あなたのありあまる愛を、
 あなたのありあまるハートを与えることです。


 マリー・マグダレーナを覚えているだろうか?
 私には、彼女だけが本当にイエスについて行った人のように思える。
 彼女の真正さは途方もなかった。
 
 ある日、彼女はやってきて、
 非常に、非常に高価な香水をイエの足にかけた。
 
 
 ユダはその場にいて、その機会を逃さなかった。彼は言った。

 「いいですか、あなたは彼女を止めるべきだったのですよ!
  これは無駄です! 
  あのオイルは非常に高いのですよ
  ……売ることだってできたのです。
        人びとは飢えています。

 それに、この香水は非常に高いのに、なぜ
         それを無駄にするのですか?」
 
 論理的に見える。
 だが、イエスはなんと言うだろう?

  イエスが言うことは非常に非論理的だ。
  彼は言う。

  「貧しい人たちは常にいる。私が去ったら、
  お前が彼らの面倒を見ればいい。
   お前にはこの女性のハートがわからない。

   彼女に香水をかけさせるがいい
   --高価か、高価でないか、
   それは関係ない。

 私は彼女のハートのなかにすばらしいフィーリングが
立ち昇っているのを見ることができる。これが祈りだ……
私には彼女の祈りを邪魔することはできない」

 マリー・マグダレーナにはハートの美しさがあることを
 イエスは理解した。
 イエスが見ているのは香水ではない

 ---彼はその女性のハートを見ている。




       ZEN:THE PATH OF PARADOX.Vol.3,p.312
      THE WISDOM OF THE SANDS,Vol.1,pp.265-266


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