We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

昨夜、ある女性とのチャット会話
わたし、今日新しい「わたし」を見つけたの。
彼女はこの世にすでに存在してる。

彼女は愛を知らないでただただ人のために
愛の空間を創り続けた人。悲しみの人
わたしは彼女のために愛の人生を創る

愛を体験せずに
この地球に生まれてしまった女性がたくさんいるね
悲しみの人
今度は幸せになれる

最高に幸せの世界をいま必死に描いてる
彼女のために

その前にやることがある
ちゃんとそれを共に共有できるパートナーが必要
おんな一人の子育ては幸せ半分
パートナーとの愛の空間をしっかり創って
初めて子供を受け入れる環境が整う

この女性の発言に対する私の返答

「おれはそういう世界は御免だな・・・
 おれには家族は邪魔でしか無い
 女もいらん、子供も要らない、セックスも無用だ・・・」

たぶん、私と同じ回答する男性は今、世の中にどんどん増えているだろう

結婚、子作り、共同子育てを前提というのが、女性とのセックスの条件ならば
もうセックスなどコリゴリなのだ

セックスが「嫌」なのではない
子供が「嫌」なのではない

「将来こうすべき」「ああして欲しい」「こんな約束をして欲しい」
というのがウンザリなのだ

もうこれ以上「条件付きの愛情」で飼い慣らせる人々は居ないだろう

この女性が言う
「最高に幸せの世界をいま必死に描いてる、彼女(全女性)のために・・・」
という「必死の努力」とは当然〝男女の条件設定〟のことを言っている
しかしわたしが
「そんな条件設定を喜んで受け入れる男なんか絶滅危惧種だよ」といったら

そか。。宇宙人の手配必須かな。。
アセンデッドマスター男性陣御一行様を呼ぼう!

というのが彼女の返答だった
何故彼女は
「地球上のすべての男女関係の〝設計〟〝条件設定〟」をしたがるのか?
      (彼女は私の知る限り、ず~っと、いつも口を開けば「真宇宙の設計」ばっかりだった)

・・・それは彼女自身が過去に結婚生活の破綻を経験し、
   その悲しみ、失敗経験を「男(夫)のせいだ」と思い込んでいるからだと思う

彼女の地球上の全男性への憎しみ、不満は
彼女と出会った2012年からちっとも変わってなかったのだ・・・ 
・・・・宇宙の彼方から「完璧な男性をトレードしてこよう」と思い込むまでに

むしろ彼女の「男女はこうあるべき」「結婚、子育てはこうであらねばならない」という
強烈な思い込みこそ、結婚生活を惨めなものにしてしまった最大原因に思えてならない

彼女の「転ばぬ先の杖」「老婆心」こそが、
まさしく「石橋を叩いて壊して」来たのじゃ無いだろうか?

そして気が付いてみると、
私にも彼女と「同じ思い込み」があった
ことに今朝、やっと気が付いた

私も、あまりにも「男が女性を幸せにしてあげなければ」という思いが強すぎたのだ
 (これは私が幼児期から受けていた母からの洗脳=「父の悪口」による成果だった)

人間関係で作り上げていく共同作業とは男女関係に限らず、
たとえば会社組織にせよ、その成果は相互に責任があることであり
夫であるとか、社長であるとか、「誰か」だけがすべて背負い込むことではないのだ
何かの共同事業とは、その関わる、参画している全ての人の双肩に掛かっている
関係する人々、すべてが〝創造者〟なのだ!
その全ての人達が自分の役割の自覚においてベストを尽くせば良いことなのだ

これは私が主張してきた「完全なる自己責任」ということと正反対の矛盾した話ではあるが
でも、愛とは「全てをひとりで背負い込んで身動き出来なくなってしまう」ことではない
共同作業で起きてくることの未来を完全に保証出来る個人一体どこに居るだろうか?

愛とは、「完全な未来の設計、保証、コントロール、マネージメントではなく
むしろ、
愛とは「起きてくる全てを全面的に信頼し、任せる」ことではないだろうか?

そういう気付きを与えてくれたという意味で、
彼女は私の鏡のような人だったのかも知れない

  わたしはどこに流れてゆくのだろうか?
  あなたと私の未来には、どんな未知(道)が待ち構えているのだろうか?

       あなたに聞きはすまい・・・、私自身解らない・・・

月 里

画像に含まれている可能性があるもの:夜、空、雲、屋外、自然

百目鬼 有里 小さい頃、真っ白な至福の世界で泣いている夢をよく観ていたの
夢から覚めると収縮の苦しいエネルギーをいつも感じていた…
今はその意味が分かる(*´꒳`*)
彼女が意図したとおりのことか?
その真意を私がちゃんと理解しているのかは解らないけれど
私はこの有里さんの「小さい頃の夢」に、「かぐや姫の嘆き(無念)」を見た気がした



そうして思い出すことが沢山あった
私の若い時からの出会った女性達の思い出の中には
彼女と同じように
「溢れんばかりの愛をどこに表現したら良いのか解らない」
という嘆きを抱えた女性達が沢山居た

女性達は本当に「愛したい」のだ
例え結婚し、子供も可愛く、夫も愛している、家族には何の不自由も不満もない
なのに何故か寂しい・・・

・・・女性達は結婚して子育てを終えたあとも、
むしろどんどんその愛は大きく成長し続けるのだ
結婚制度という家族の枠を飛び出して、大きく枝葉が伸び続ける・・・

・・・そんな女性達はいったいどうしたら良いのだろう?
  まさしく「あふれ出る愛の、狂わんばかりの至福の中での、
  その行き先がない嘆き」が、女性達を爆発させかねないのだ

  わたしはそんな女性達を何人も見てきた

彼女たちは決してふしだらなのではないが
その愛のエネルギーの出口が見つからない閉塞感は、むしろ苦痛に近いものだろう
彼女たちを狂気にさえ追い込みかねないものだろう

・・・そんな彼女たちは気の毒に思える、その素晴らしいエネルギーはもったいなく思える

ひょっとしたら、世の中の不倫に走る女性の多くが
あるいはアダルトビデオに自分から望んで出演する女性達が
そんな衝動に突き動かされているからなのかも知れない

このエネルギーをどうしたらいいのか?
そもそも「このエネルギー」をどう呼んで、言語化したら良いのかさえ難しいのだ

出口が見つからないのは
「愛のエネルギー」や「お金のエネルギー」の
    、「貧しさ」だけではない
     「豊かさ」こそが、出口を探しあぐねている・・・

でもこのふたつが出会うのは非常に難しいのだ
貧しさは「奪い合い」「競争」「獲得」「欠乏の苦しみ」しか知らない
貧しさとは「分かち合う歓び」を実感するチャンスが無かったが故に起きる状況だからだ

この「貧しさ」と「豊かさ」とを誤解無くつなぐ回路こそが、早急に必要なものだと思う

イパネマの娘「かぐや姫再臨バージョン」 from Katal Maneel on Vimeo.



「自由」とは何か?と問うなら、シンプルな言葉であるが故にとても難しい

それは「真・善・美」とか、「愛、平和、幸福、健康・・・」といった
原初的な言葉と同類だと思う・・・その定義はとても難しい

しかし「解放」という言葉はハッキリと言語化しやすい
解放とは「不自由」から「自由な状態」へと移行した時に誰もが強烈に感じることだ

もしあなたが「自由を感じる」のだとしたら
すなわち「開放感を感じて」いるのだ

つまり、「自由」の対極としての、極めて過酷な不自由、抑圧、制限、息苦しさを
あなたが感じ、苦しんだ過去があることを物語っている

ひとは「愛のない状態」「平和の無い状態」「幸福ではない、病気の状態」ならば
即座に理解出来る・・・

「逃げ出したいような状態」というのに定義など無用なのだ

もしあなたが「自由を体験したい」ならば「不自由」を体験するだろう
「優しさ」を味わいたいなら、「厳しさ」がやってくる
「至福、解脱、エクスタシーを体験したい」ならば
「惨めさ、堂々巡り、地獄のような退屈さや焦り、孤独、とてつもない虚しさ」
を体験するだろう
なぜならそれらを通さなければ、「至福、解脱、エクスタシー」は体験できないからだ

・・・それでもあなたは「自由」を、「至福」を求めるのだろうか?

本当は「解放の瞬間」だけでなくても、ずっと多くの束縛や制限から
私たちはすでに自由なのだ、しかしその自覚はとても難しい
それに気が付かずにブウたれているだけなのだ

そういう人のために、運命は「解放の瞬間」を用意してくれる
その瞬間にだけ、わたしたちは「自由とは何か?」を
言語に絶する感覚によって、垣間見ることが出来るのだ
「欲しがる人」が「満たされる」のは常にホンの一瞬だけだ
そして、そのあとには麻薬のような禁断症状が永遠に続く・・・

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