We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です



私なりに記するなら・・・

男の「もてない」は
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砂漠の中を歩いていて、オアシスかと思って走り寄ったら
看板が立ってて『私有地、立ち入りを禁ず』と書いてあって
〝結婚制度〟という金網の柵が張り巡らされている

柵がないオアシスを見つけたら・・・・
ウーマンリブという毒で汚染されていた


女の「もてない」は
xxxxxxx
自分がオアシスだと言うことに気が付かず
自分自身がいつも乾いている

渇きで死にかけた旅人が歩いてきても
水筒の中の残っているありったけの水を要求して
自分の中に水を溜め込もうとする

たまにイケメンの旅人がきたら
自分がオアシスだと言うことを思いだし
大喜びで旅人の水筒をタップリ満たしてやる

さらに
さんざん水浴びまで許可して自分を汚させたあげく
旅人が旅を続けようと去って行くと
また自分がオアシスだと言うことをすっかり忘れて
去って行く旅人に悪態をつき始める

斉藤一人/ああ、男と女の不幸な勘違い!(音声のみ) nicozon



時空間の外側って、誰でも一度は想像することですよね?

でもこの答えは意外に簡単ですよ!

なぜなら全ては創造エネルギーが形作っているのですから
時間や空間を生成する前のエネルギーが
莫大な光の渦として逆巻いてるんですよ!

それ以外あり得ますか?

「じゃあ、そこには空間はないの?」
っという質問があると思います

これはあなたが臨死体験してみれば分かると思う

あなたが肉体がなくなると、光の一粒子に還ります

そして莫大なエネルギーの海の中を猛スピードで飛んでいきます

ここに空間が有るか?と言えば
「YESでもありNOでもあり・・・」となります

なぜなら、光の一粒子に戻り
あなたが完全に覚醒した状態にあると
あなたのイマジネーションが、自分の周囲の時空間を生成しながら
その飛んでいくからです

   それはあたかも惑星達を従えた太陽が
   宇宙空間を公転している姿、ソックリです!



だから空間とはもともと、「ある」ともいえるし、「無い」ともいえる

だから「広大なエネルギー空間を猛スピードで飛ぶ」と言う感覚は有るけれど
それは比喩に過ぎず、あなたは「静止している」とも言えるんです



あなたは、
自分がイマジネーションした宇宙空間の中を一粒子として飛んでいきます

あなたは
「空間を生成した〝母〟」であると同時に
「空間という子宮の羊水の中で冒険の旅の夢に酔いしれる〝胎児〟」
                             でもあるんです

東京白金のアイソレーションタンク/FloatCenterBlog

だからこの覚醒状態では天地前後左右、360度の視界があります

       それは「慌ただしい静止」です

         それは「騒々しい静寂」です

あなたはバシャールが言うとおり「純粋なワクワクのカタマリ」です



私の場合は、唇なんか無いはずなのに口笛を吹き鳴らしました
するとそのワクワクの口笛が「量子のもつれ」によって宇宙の果てまで
轟きます・・・・

   ※量子のもつれが示唆するものは、
     この時空間というものが「夢だ」と言うことです



 これは神秘体験と言えるでしょうけれど、・・・でも、しかし

  今すでにあなたも、そのまっただ中に・・・実は居ます

まぶたを閉じてみて下さい

かすかに光の渦が見えるはずです

さらにそれを何気に眺めていて下さい

するとだんだんにそれが「広大な奥行き」を持っている世界だと気が付くでしょう


  「いまここ」というのは広大なイマジネーションの空間への
   PORT(出入り口:扉[エンペレス]、でありのぞき穴:窓[エンペラー])です!

「時間」というのは、その空間内の「推移」を順序立てて説明するための
〝論理的方便〟に過ぎないんです

空間が「有るとも言えるし、無いとも言える」のであれば、その副産物である
時間も「有るとも言えるし、無いとも言える・・・・」

では「五次元」とは?

五次元もまた時間の上に成り立つ概念ですから
「有るとも言えるし、無いとも言える・・・・」

   それは「IF・・・もしもの世界」なんですから


過去と言うのは
今のあなたを「説明する」ための「つじつま合わせ」にすぎません!でしょ?

わたしたちは因果律でものを考えます
因果律を「演繹法(=こうなったからああなった)」でしか
考えない〝クセ。習慣〟が染みついてしまいました

だから「過去がこうだから、いまこうなっている」と考えます

たとえば今あなたが画家だとします

そして幼いときから自然を観察したりクレヨンでお絵かきするのが
大好きな子供だったとします・・・

           だから、今画家になったのでしょうか?

それとも、いまのあなたが、画家であることを「望んだ」から
過去のあなたは「お絵かきの好きな子供だった」んでしょうか?

    ・・・・これが「帰納法」的な発想です

   どちらが正しいとも、間違っているとも、断言できないんです


わたしたちは、「恐怖」を「スリル」として楽しむために
この三次元世界を共同創造しました

ええ、死ぬかも知れません

死なないまでも、
骨折して何日間も身動きできなくなるかもしれません

  窒息して悶え苦しんで死ぬかも知れません

  飢餓で空腹の苦しみを極限まで体験するかも知れません

  癌で、全身の細胞を犯されて死ぬかも知れません・・・


でも「罰ゲーム」がないゲームが面白いでしょうか?


ここまで書き進めたことによって、
わたしには一つの選択に迫られていることに気が付いた

バシャール達、エササニ人は
「私たちはある時点で選択した」
「私たちは覚醒した時点で、『意識的に夢を見続ける』という生き方をえらんだんです」

私は以前の記事でこれを批判的に取り上げたが、いまはもう少し彼らの選択に
興味深く向かい合うことが出来る

覚醒とは何か?

この定義の一つとしては
「全ては夢かも知れないと言うことを意識し続ける・・・」
「そしてその上で、全てを楽しむ状態」

   であるという風に言えるかも知れない




リアルとはなんだろう?

私たちは

  「継続性があり、緻密で、堅い、・・・・
    

   それをリアルと呼んでいるのに過ぎないのじゃないだろうか?


嫌な仮説

「生まれてくる」「新しい肉体をもらう」というのは
つまりそういうことなのかも知れない

つまり・・・・「人生無償」といいたいところだが、そうではないと言うことだ

考えてみれば当たり前かも知れない

何かテーマがあるからこそ、生まれてくるのかも知れない


単に「幸せを享受する」ために人生があったのなら
地上はどれ程の天国であっただろう?


いやしかし、OSHOはこんな言葉も残している


xxxxxxx
「あなたたちが自分の母親から受けた愛を
あなたたちが〝返す〟事が出来なかったとしても
あなたたちは良心の呵責を感じてはいけない・・・」

「子供が親の愛をタップリと吸収して、
そして受け取りながらも返せないのは自然なことなのだ」

「あなたたちは子供として生まれた
母親の子どもとして生まれた
愛を受ける対象として産まれたのだ」

「それでいい、問題ない
親とは子供が<自分の子>で有ると言うことに
悦びを感じるべきだ、それで満たされるべきだ」

「あなたたちは子供として存在している
そのこと自体が、
もうすでに愛を返している
親の愛に報いているのだから・・・・」


いつも母親から
「五体満足で産んでやったのにこの出来損ないが!」
                 罵られ続けた私にとって・・・・・

     ・・・このOSHOの言葉は、どれ程わたしを救ってくれただろうか?

私たちは親のトラウマ、親の残した負の遺産、地球への宿題を
義務として受け取る必要は無いのだ

※遠いアダムとイブの負債を現代の全人類にも背負わせようとするのが
旧約聖書の教義だが、イスラム教はそれに真っ向から対立している
イスラムにとって、「産まれながらの罪の子など居ない」という考えがある

  日本の原爆投下の映像をオバマはガムをクチャクチャ噛みながら
  ニヤニヤと笑ってみたそうだ

  同じ席に出席していたプーチンは首脳会議出席者の中で
  ただひとり喪服を着ており、原爆投下の瞬間の
  映像を十字を切って見たそうだ

  一体どちらが本当の「日本の友」なのか?

今日、街頭で北方領土返還を叫いている街頭エセ右翼達に
問い正してみたい

原発推進派の老人達は

da3b5bf4

と、解答している

参照ページ:原発推進派の老人たちの画像が話題wwwwwwww

このような老人達の為の「充実した介護社会」に私たちの世代は
血税を払うべきなのだろうか?

安倍総理は「戦後レジュームからの脱却」といったが
どおやらそれは新たな終わりなき「テロとの戦い」と言う意味だったらしい

わたしたち「世界の子供達」は
この「新旧の負の遺産」を老人達から引き継ぐべきなのだろうか?

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