We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です


♪Video ギルバートオサリバン アローンアゲイン.su... 投稿者 maneel-katal




! (自己啓発) OSHO バグワン・シュリ・ラジニーシ  なんてこった... 投稿者 maneel-katal


私たちが何処か外側に神を探し回っても
神は決して姿を露わしはしない
神は私たちの身勝手な期待に答えたりはしない

ホンのちょっぴりでも期待があるならば
死んだふりをして薄目を開けていても
人生に期待が残っていると
あなたは死ねない
死に切れない

アローンアゲイン・・・  誰もが自分自身に突き返される

憧れのオモチャが手に入ったとしても
この世界が永遠に保証されないのならば
そのオモチャはあなたのモノではない

    あなたの死と共に
     あなたはこの全世界のオモチャを取り上げられる

何もかもが、憶測だけで存在するこの世界で・・・・

これだけはフィクションではない
それだけが最も確実なリアル

例え不老不死の医学が完成しても
永遠が保証されることはないだろう

始まりが在るものには、いつかは終わりが来るからだ

マトリックス「始まりが在るものには終わりがある」


何度でも、何度でも、アローンアゲインなのだ

「外を探しても神は居ない」とあなたが完全に理解するまでは・・・・






わたしの「愛」に対する見解は三島由紀夫に近いと思う

  「やれ〝愛国心〟だとか・・・・
   〝愛〟というのは実にうさんくさいコトバだ」

  「日本人には〝恋〟という言葉があり、こちらで充分だ」

                    BY 三島由紀夫

「アイラブユー」という言葉が煩雑に使われるほど
世界は愛に枯渇しているのが分かる

愛するという行為者の〝わたし〟がいて
愛される対象としての〝あなた〟がいて
そして〝愛する〟という動詞として〝ラブ〟がある・・・・

でも、〝わたし〟と〝あなた〟という相克、分離が消えた時に
初めて〝無〟と〝無〟は解け合い、ひとつの〝無〟になれる

だから、動詞としての〝愛〟は「する」ことではなく「起きる」ことなのだ

誰も、なんびとも〝愛〟を〝する〟ことなど出来はしない

  では訊くけれど、
       あなたは〝愛〟を〝する〟事が出来るのか?

  わたしには出来ない
       わたしには〝愛〟を〝する〟だなんて大それた事は出来ない

それは、〝起きる〟ことはありえる
       でもそれは「ハプニング」に過ぎない・・・・


   それは、セックスという「営み」と混同されている

   それは、奉仕という「行為」と混同されている


LIVE(生)を覆う〝何か名状しがたい巨大な輪〟として
LOVEはある

生を感じ、生を営むのは「I=わたし」だ
その「Iアイ=わたし」を取り囲む、この宇宙全体が「Oオー=すべて」なのだ

それは「ゼロ=無」であり、
「インフィニティー=無限、無条件」であり
そして「イグジスタンス=無限光」だ

             それはあらゆる定義を嫌う、言語化を拒否する

      だから、「アイラブユー」という言葉が連呼されるほど
      結婚式で誓いの言葉が交わされるほど・・・・

       ・・・世界は愛を失う、 宇宙の大きな計らいから離れてしまうのだ

若かりし二十代のわたしはいつも孤独と不安を、そしていつも

  「このままではいけない?何かしなくちゃ!何を!?」

っという焦りに追い立てられていた


ある日、そんな中でのひとつの試みとして
バイクにキャンプ道具を積み込んで
わたしの女性の導師アニマが住んでいた
高尾の山の貸家の隣にあった無人の禅寺に
断食と瞑想をしに泊まり込んだ


冷暖房も火も水もない中、雨水を携帯コンロで温めて
水分を取り、誰も居ない、何も無い20疊ほどの荒れ寺のお堂で
ただただ、
「自分は何を本当にしたいのか?」
「自分は何かすることがあって生まれてきたのだろうか?」

    一心不乱に自問し続けた

その一週間ぐらい経過したある日の朝・・・

目が醒めて、まだ自分がお堂で寝泊まりしていたのを
シュラフの中で思いだしたのだ

   ・・・・その朝は冷え込んでいた

一週間、ここで餓えながらずっと
「自分がこころからしたいこととは何か?」問い詰めて来たけれど
一向に解答は見つかりそうもなかったことを思い出しながらも

  ・・・その質問は、この冷え込む朝の目覚めで、一旦沈黙した

その朝、目が醒めたときにわたしを襲った、あまりにも当然な質問!

 それは

      「俺は一体こんな所で、何をしてるんだ?」

っという問いだった

       その瞬間、この問いが全身を貫き、わたしの全てになったのだ


      「そうだ!わたしはここへは、
        自分の意思で、自分自身のために 来たのだ」

       「こんな寒い、ひもじい思いをわざわざするために!?」


       「自分から好きこのんで!!   ・・・・何てことだ!!!!」




わたしの問いは答えられた、わたしの祈りは届いたのだ

  でもそれは「問いに対する答え」「祈りに対する成就」という
  同一地平線上においてではなかった

   「問いと答え」という地平線を離陸(テイク・オフ)した瞬間に
   それは「見えた」のだ




そして次の瞬間、両親のことを想った

いつもヘンな悩みでクヨクヨして自閉症な息子・・・

 たぶんその当時のわたしは心療内科に行けば、
 立派な病名が付いたことだろう

  しかし、思春期に敗戦を体験した両親には、
  そういうデリケートな問題はまるで鈍感で、お手上げだった

   わたしがキャンプ用品をバイクに縛り付け、
   「高尾山まで断食に行ってくる」と言い出す妙ちくりんな長男に
   (ああ、またはじまった、まったくヤレヤレ・・・)と言いたげな両親だった

     しかしわたしの「問い」もしぶとかった・・・ 

  かつては
      「お前は何を馬鹿なことを・・・」っと口をとがらせていた両親も
      長年のわたしとの親子の付き合いから、分かっていた
      「この子は止めても無駄だ」と言うことが・・・

なんやかブツクサ言いながらも、
両親は結局の所、わたしを好きにさせていたのだ

わたしが両親から学んだことはたったひとつだ

「家族というのを制度上の義務感からやっていると
全人類、全世界を呪うような私の様な人間が沢山輩出される」

   っということだった・・・
    それをわたしは精子と卵子の結合した瞬間からずっと体験し続けた

evaなきべそ

存在理由7


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家族制度、一夫一妻制度とは
「自由な魂の抹殺システム」なのだ、「人類奴隷化システム」の根幹なのだ!

では家制度の根幹、
「天皇制」が悪いのか?「キリスト教」が悪いのか?
「国家というシステム」が悪いのか?

 わたしはあたかもそう指摘しているように見える、・・・が、そうではない

これらの
「自由な魂の抹殺システム」、「人類奴隷化システム」というのは
人間が毛虫から蝶に羽化するためのサナギの殻だったのだ

わたしたちは死にたくなければ、自由な空に飛び立ちたいのなら
これらのシステムと闘うのではなく、敢然と脱ぎ捨てていけば良いのだ

結局の所、わたしの両親は荒れ寺に向かおうとするわたしを
止めなかった、止められなかった・・・

  結局の所、渋々ではあるがわたしの自由を認めたのだ


すべての母達、妻達、父達、夫達、そして息子達、若者達に言いたい

結局の所、責任転嫁は出来ないのだ

それが絶対的な自由と言うことだ

それ程までに、自由とは、残酷で、厳しい・・・・

この世に生まれてきた者たち全ては、
この厳しい無理ゲーを自ら選んで生まれてきた・・・  その自覚を得ること、・・・



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すべての碇シンジ君達へ 投稿者 maneel-katal
あなたはいま荒れ果てた寺でひとりぼっちなのかも知れない
でも、渋々であれ、嬉々としてであれ、
あなたが、いまそこにいるのは
あなた自身の選択なのだということを思い出すべきだ

それが
「絶対的な自由を自覚する、引き受けると言うことの
           アルファーでありオメガなのだ


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