We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

泉谷しげる 紅白に「ありがとなNHK」! “手拍子してるんじゃねえ”発言の真意とは?

敗戦後の昭和とは...

    「季節のない(無表情な、無機的な)街」だった。
      ---- そしてこれは、NHKの体質そのものでもある。

    そして「風のない(本質的な変化-レボリューション-の起きない)丘」であった
      ---- そしてこれが、渋谷の街を見下ろすNHKの基本的スタンスだ。


 


そして、夢のない家...  愛のない人々...

   これが、泉谷しげるの「春夏秋冬」に
     嬉々として手拍子した・・・ 

    〝付和雷合〟しか、してこなかった
      核家族(核分裂)化していった...
       三島由紀夫のいう〝空虚で豊かな〟日本人の....

         成れの果てだ。

だから、この紅白は、泉谷氏の名曲「春夏秋冬」の〝約束の地〟であったように思える。

愛のない人々の、白々しい手拍子に向かって
「愛のない、人に会う」と歌った泉谷しげる...
「くそっ! しゃれになんねえや!!」っと、彼は思ったのじゃないだろうか?

つまり、これが〝戦後の虚構としての〟日本が浮き彫りにされた瞬間だったのではないか?


私はかなりの重度のアスペルガーである

だから、自分に正直なことだけが、最大で、絶対的な価値であり
その為に他人を傷つけてしまうことが多々ある。

こうやって、ブログに「わたしはアスペで...」っと公表してしまうこと自体が
アスペのなんたるかだろう

甘えかも知れない、そんなことをいきなり告白して、読む人を困らせてしまうことを
しかし赦して欲しい!

わたしの星の中には「ヌーディズムに心理的解放を見いだす抑圧された女」という
サビアン・シンボルが存在するが、まさしく、これは一種の露出狂なのだろう。


でも、肉体が若く美しい女性ならば、そんな町中を全裸で歩くことも、男性達の
眼の保養になり、その実は楽しんで貰えることだろう。

残念ながら、わたしは男の肉体に生まれてしまったので、その様なかたちで
男性達を楽しませることさえ出来ない。

しかし、わたしの〝ヌーディズム〟が、何らかのかたちで、ひとびとを楽しませる可能性だって
あるかもしれない


OSHOは、「おおいなるイエスマンになりなさい」と言った

それは、あらゆる過去、現在、未来の、瞬間、瞬間に対して

    「未完成なものはひとつもない」

っという宣言なのだとも、言えるのではないか?

わたしのヌーディズムも、単なる狂気、異常性、倒錯なのかも知れないが、
それすらもまた、この「イエス」によって赦されることを願う。


アスペルガーである私にとって、自分自身に「イエス」と言うことは、気が遠くなるほどの
ハードル、恐怖、だ。   それは冒頭に述べたこととまったく矛盾すると思うが....

自己受容とアスペとは、ひょっとしたら原因と結果、目的と手段なのかも知れない

アスペとはうぬぼれ(自己愛への耽溺)とは全く違う

「他者と比較して」どうこうというより、自分の精神世界の中に「他者が存在しない」のだ

ただ、自分の痛みから他者の傷みを必死に〝連想〟するしかない。

しかし、「アスペではない」人達というのは、「連想するまでもなく解る」らしいということが
おぼろげな恐怖とともになんとなく理解出来る


人のこころがどこにあるのか?、それに自分は気がつかず、全く見えず、あっちでぶつかり、こっちでよろめき

   ....それでも、そんな自分を肯定出来るのか?一体、許されるのだろうか?

   そう考えると、気が遠くなる様な目眩を感じるのだ

   ....それでも、....

           
〝それでも〟ということが、アスペルガーというこころの盲目に生まれた者の
              最後の試練なのかも知れない

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