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OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

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オー!ゴッド 日本初DVD化!

主人公(ジュリー・ランダース=主演ジョン・デンバー):
  「なにか証拠が欲しい、モーゼには石版があったじゃない?」
神:「あ~忘れっぽい男でな」


  神、初めて姿を現しての登場、主人公のシャワー中に....

主:「裸じゃ出られないよ」
神:「羞恥心も私の失敗作だ」

主:「みんな祈ってるけど、聞いているの?」
神:「気には止めているが、私に何が出来る?」
主:;「だって神でしょ?」
神:「大まかな流れは見るが、細事までは面倒見切れない」
主:「じゃあ、計画とかはないの?」
  「運命は導かれるものでは?」
神:「大半は運だな...」
主:「ラック?それだけなの?」
  「僕たちの運命を支配しているのでは?」
神:「この世界はきみたちに与えたものだよ」
  「あとは君たちしだいさ」
主:「だってぼくたち、助けが要るのに...!」
神:「人間は複数いるだろ? 助け合えばいいじゃないか」

主:「あなただったら、いろんな問題を解決出来るじゃない?」
神:「奇跡などこけおどしだ。自然のバランスも壊すしね」
主:「奇跡はナシですか? ああそうですあ」
神:「まあたまには手を出すよ」
  「最近では1969年のメッツ優勝だな」
  「ずっと前、紅海を分けたとき、ありゃあ美しかった」
主:「悪いけどあの話は信じていない」
  「6日で世界を造ったこととかもね」
神:「うん、キミが正しい」
主:「え?」
神:「実際には構想に5日かけ、造ったのは1日だ」
  「もっとも一日の尺度は、君たちとは違うがね」

    神学者達にホテルの一室に缶詰にされ、
    主人公は〝神〟への50の質問状を突きつけられる

質問:「人はエデンで神を怒らせた?」
神:「人間を造ったときアダムは17才、イブは15~16才」
  「ふたりはまだ子供だった。わたしは若者を咎めたりはしないよ」

質問:「世界の宗教で神の真理に近いのは?」
神:「真理は建物でも本でもないんだ」
  「こう書け -こころこそ真理の宿る神殿-」

質問:「イエスは神の子か?」
神:「もちろんだとも」
  「釈迦もまたそうだ」
  「マホメット・モーゼ、...キミも私の息子だ」
  「ステーキで11ドルも請求する奴もな」

質問:「最後の審判は下るか?」
神:「世界の終わりのこと言ってるなら、私にも解らんが...」
  「私自身としては望んでおらん」
  「修羅場を見るのはウンザリだ」

質問:「人生の意味とは何か?」
神:「人生は『一杯のお茶』みたいなもんさ...」
                    (禅的な返答ですね!)
                    (アジアは味わう世界、)
                    (ヨーロッパは、「より立派」になることに「酔っ払う」世界...てか?)
  
神:「...いや、おふざけはよしておこう」
  「ヴォルテールに言われちゃったよ」
  「神は怖くて笑えないコメディアンだ、ってね」

  「まじめな話、人間の存在意義は」
  「本人が考えているそのもの」
  「それ以上でも、それ以下でもなく、私(神)が評価するものではない」

最後の質問:「なぜ今現れたのか?」
神:「みんなに森羅万象を楽しんで欲しいんだ」
  「それを私は望んでいる」
  「与えたものを無駄にしないで欲しい」

いままで主人公に解答を筆記させていたが...

神:「貸しなさい、(問答の締めくくりだから) 私が書こう...」

神、主人公から答案用紙を受け取り、自分で書き込む
主人公、神から返された答案用紙を受け取り、驚く

主:「ボクの筆跡だ!」
神:にやりと笑い...「当然」

     ※ なぜ?神は問答の締めくくりに
      主人公
ジェリーの筆跡でサインしたのか?

     つまり、(フィクション、ノンフィクションを問わず)
     すべての人生、すべての物語の主人公は神であると言うことなのだ!!
               男の神は「The Lord」女の神は「The Lady」(ザ・レディ)
               (インドでは男性をスワミ-あるじ-、女性をマ-母-と呼ぶ)
               (日本ではいざなぎ、いざなみ 吾と汝)

     つまり、コメディー映画という形式を通してすべての問答「あ・うん」とは
      フィクション、ノンフィクションを問わず 「わたしがゴーサインに署名したんだよ」
      私 (I am) とは、「フィクション、ノンフィクションを問わず在りて在るもの」である
                                      ....と宣言したのだと思う



  さて、映画もいよいよ佳境に入ってくる
  この問答集をジェリーに渡して、「さあ、あのインチキ伝道師に突きつけてやれ」と
  神はハッパをかける・・・ 
  「カネが欲しいなら靴でも売れっとあいつに言い渡せ」
  「そして、黙っていろ!といってやれ!」 
                    ※ 注:象徴学では〝靴〟とは人類の進歩を意味する ※
                    ※ 注 「沈黙しなさい」とは〝瞑想せよ〟と言う意味でもある ※

神:「なぜ人は裸で生まれてくるか?
   (そしてアレキサンダー大王のように手ぶらで死んでいくのか)  ...解るかね?

   「本当は私は人間に服を着せたくなかったんだ
    なんでもポケットに突っ込みたがるからね...」

  主人公ジェリーは、神の指図通り、寄付をポケットに突っ込んでいる最中の
  宣教師に、神からの指示通りのことを言い放つが、結果、掴み出されて裁判にかけられる

  文字通りの〝宗教裁判〟に弾劾されるジェリーは温情的な裁判官に何度も勧められる...

裁:「ひとりぼっち(アローンネス)では太刀打ち出来ないよ?弁護士を付けなさい」

  これに対しジェリーは解答する

             「わたしは独りではありませんから I'm not alone」

  この主人公のセリフは、この映画が「未知との遭遇」とのリレーションをもっていることを
  告げているのだろうと思う

  映画「未知との遭遇」でも主人公の妻役を演じたテリー・ガーこと、ジェリーの奥さんは
  心配しながらいう

  「後悔しない?大きな間違いなのでは?」

  ジェリーは答える

  「後悔なんかしない! 神は私を困らせる為にこんなことに巻き込んだはずはない」
  「きっと何か、理由があるはずだ!」

    レディース&ジェントルマン!! ボーイズ&ガールズ!!

  これこそがOSHOが言うところの「トラスト=信頼」の何たるか?である

  如何なる理不尽な(理不尽に見える)運命をもひっくり返す、
  斉藤一人が提唱する天国言葉の最終究極の必殺技!!
  森羅万象の全て、如何なる意外性をも、未知との遭遇をも
  最高の祝福へと転換する・・・  究極のアティーシャの智恵

   それは、「想像も出来ないぐらいツイてる!!」
                と自分自身に宣言することである

   神は「みんなに森羅万象を楽しんで欲しくて、
      この映画を製作し、自ら出演することを決めたんだ」
       っと自らの動機、製作意図を語っているが、
       その -森羅万象を楽しむ- コツというのが

   この〝困らせる為なんじゃない 何か神の計らいがあるはずだ〟
                           っという信頼なのだ





       さて、魔女狩りの裁判に戻ろう

裁判官:「ランダースさん、証人を...」
主:「僕が呼びたい証人は、ただひとりです」

     主人公、そわそわと待ち望むように周囲を見渡す、法定内は
     主人公のとてつもない、次の言葉を予感して静まりかえる...

裁:「早く呼んで下さい」
主:「はい...  ボクが召還したいのは、主なる神です」

     会場はざわめく、あー言っちゃったと俯く妻。
     原告は「法廷を愚弄している!」と追求する

主:「待って下さい、   ...確かめたかったんです!」
裁:「何をだね?」
主:「裁判長!...ボクが『神様を証人に』と言ったとき、一瞬でも期待がよぎりませんでしたか?」
  「ほんの少しだけでも...」   「とまどうような空気が流れた」
  「感じたでしょ?」  確かめるように傍聴席を見渡す  「...みなさん、どうでした?
  「だれもが実在の可能性を感じているんだ...!」 (日本語字幕ではpossibilityは訳されていない)
  「なら人の姿で(証人席を指さし)そこにいたっていいはずだ!」

主:「この瞬間、in that's moment (日本語字幕ではこれも訳されていない)
   この部屋に何が起こるか?誰もが予測出来なかった!

主:「僕の話を、ウソと言い切れずにいる」  ※ これこそが誰もが持つ生来の「無知の知」である ※
  「ボクが伝えた言葉が神からのものなんだと、みんな信じているんだ!」

      勝ち誇る笑いを浮かべる原告席。
      裁判長は、被告ジェリーの眼を見て、彼がイノセントであることを
      直感的に感じ、この事態を軟着陸させようと、ジェリーを説得しようとする
       ...  その時!!!

      法定内に、「失礼します、裁判長!!」と、老人の声が響き渡る.... 神、登場!
      これは、歌舞伎の演目、「暫(しばらく=ちょっとまった!の意)」の、真骨頂そのものである。


裁:「あなたは?」
神:「まず、宣言が必要だろう?」

      帽子を取り、聖書に手をかざして聖書に宣言する神

「真実のみを話すと、誓いますか?」
神:「私自身に誓います!」

      ....裁きの場に裁きの最高権威者であるはずの神が立った瞬間だ。

      ※ この映画は〝コメディー〟というフォームを持つが故に気付かれなかったが、
         大事件だったのである!

        OSHOは語る。
        UGクリシュナムルティーに真理を乞われ、ラマナ・マハリシは
        「これを呼んでご覧」っとジョーク集の本を渡した。
        これこそが神話的な瞬間だったのに、UGクリシュナムルティーはそれを見逃した..っと

       ※ 神が、真実のみを語ると自らに誓ったこの瞬間、言葉は超伝導体となったのだ!

          これは天皇陛下が、マッカーサーの前に立った瞬間でもあった。
          「ヤマトが救えるなら第三艦橋に残りたい」と願い出た瞬間だったのだ!!

                         ...これを私たち日本人は〝御聖断〟と呼んでいる

     ロナルド・レーガンにタリウムという毒薬の核爆弾を落とされたバグワンは
     この〝御聖断〟を霊視したのだ。

     その時、バグワン・シュリ・ラジニーシは沖田艦長の跡を継ぎ、
     禅宣言を決心した。

     これこそが、アマテラス=イスカンダルであり、コスモクリーナなのだ。
             そして...  彼はOSHOという和名を名乗ることとなった。


裁:「自分自身に誓うだって?」
神:「君らが望もうが望まなかろうが、私は (そして君らひとりひとりが) 神です。 裁判長!」


       私たちは自らを祝福した瞬間から〝抵抗値〟ゼロ、となる。
       つまりは無、そして無限である。

       そして無限とは、自分自身が永遠の未知(路=ROAD 主=LOAD)であると言うことだ。




男は求める。

男は探求する

男は嗅ぎ回る、追求する、要求する、突入してくる


女はそんな焦った、困惑した、・・・男を笑う

そして男の両頬をその両手でふわりと手で覆い、
           男の顔をそっと寄せて、キスをする

女は歓喜をもって、その男の欲求を向かい入れる。  ・・・沈黙の中に包み込む




 そこに、飛び込む覚悟は要らない、決心もいらない、

    努力も、あがきも、憂鬱さも、焦燥も、悲壮さも、深刻さも、正当化も  ・・・・不要だ。

      そして忍耐も、痛みも、孤独や悲しみも抱擁の温もりに包まれ、
                         歓喜へと変換される   溶けてゆく



そこには、泳ぐ努力も要らない

「冬月先生、・・・・ありがとう」





・・・それは、「何もしていないとき」なのかもしれない

なぜならば、〝何もしていない〟状態とは、もっともニュートラルな状態だからだ
それは見方によっては、ゼロ、の状態だ。

そして、ひとは〝ゼロ〟には価値を感じない
見向きもしない

しかし、それは全宇宙的なバランスの中心だということだ


わたしは、物心ついたときから自分自身の無価値さに苦しんできた。

そして、家族もまた、そんな私をせき立て続けた
「一家の恥」と罵った

そして、その叱責を私自身も受け入れてしまっていた。

まだ、ニートという言葉が世間に流行る前の時分ではあったが
そういう意味では、わたしはニートの先駆け(笑)だったかも知れない


ただ、いまの若い、いわゆるニートの諸君と違うのは
そんな無為な自分自身を責めていたことだった


「自分自身を責め立てている」ということは、端で見ていても
〝何もしていない〟様に見えるが、実は〝自己否定〟という
最大の愚行を犯している。

・・・それは、本当の意味での無為でも、ニュートラルでもない


だが、人々は、眼に見えるもの、見えるアクション、手に取れる価値以外は
無価値・・・っとみなす。

それが、ヒト、というものなのだ

そしていま、この瞬間にも、多くの人々が、自分自身の無価値観に
おののき、恐れ、怯え、むせび泣いているだろう

そして、その反動として、
過剰な快楽や、うさばらし、 虐待、 加害者や被害者のループの中に
終わらないダンスを踊らされているのだろう

一生使い切れない程の大金が欲しい・・・・、
誰をも屈服させられる権力が欲しい・・・・・、
誰もが称賛するような名誉が欲しい・・・・・・。


もし、あなたが精神分裂を起こしたいならば、錯乱状態になりたければ
自分自身の価値を問えばいい


だから問おう、そこで問おう。

そんなにも、積極性、能動的であることだけが、〝ポジティブ〟なのか?

男性の姓衝動は単純で、能動的だが、破壊的だ

それに対して、女性の受容性、包容力とはなんとすばらしいことだろう?

愛の本質とは、「与えること」ではなく、「受け入れること」・・・受容性にこそ
見いだせる


ひとり、静かにただただ、いまここにあること・・・

それは、とても繊細で、デリケートで、女性的な状態だ

しかし、ここにこそ、存在性は最も機能しているのではないか?
輝いているのではないか?


それこそが、もっとも、宇宙に奉仕している瞬間、花開いている瞬間なのではないか?

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