We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

え? あなた不幸なんすか?  え?  どん底ッスか!? 

そりゃあ良かったぁぁぁ~~~!!

いやぁ~~他人の不幸は蜜の味ですなぁぁ!!

なんでかって?


だって、その人は泥の底に触れようとしているからさなのさ!!

泥の中というのは、ハスの赤ちゃんのゆりかごだから....

だから、底が深ければ深いほど、その人は素晴らしい大輪の蓮華を咲かせるに違いないから!!



その人の不幸が、その人の狂気が、底の底まで辿り着いたとき!!

爆発が起きるのだ!!

素晴らしい!!...   だから、人の不幸があったら、さあお祝いだ!

そのシリアスな仏頂面にかんぱ~~い!!

その泣きっ面にシャンパンをぶっかけよう!!

この人の魂の解放は近い!!
この人はきっと、立派なブッダになるぞ!!!



39.Creativity   創造性

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 これは仏陀の物語だ。
 ほとんど狂っている人がいた。狂っている殺人者だ。
彼は千人の人びとを殺すという誓いをたてていた。
社会が彼をひどく扱ったから、それ以下ではだめだった。
千人の人びとを殺すことで、彼は復讐するつもりだった。
そして彼は、殺した人一人ひとりから指を一本取って、
自分の首にかけるロザリオを作っていた

-- 千本の指のロザリオ。この誓いがもとで、彼の名前は
アングリマーラ、『指のロザリオをかけている人』になった。

 彼は999人の人びとを殺した。アングリマーラが近くにいることを
知ると、人びとは誰もその方角には行かなかった。人の往来が止まって
しまうのだ。そのために、最後の人間を見つけるのが彼にはとても難しく
なっていた。自分の誓いを成就するには、あとひとりだけでよかったのだ。

 仏陀は森に向かっていた。
すると、村から人びとが彼のところに来て言った。

「行ってはいけません! あそこにはアングリマーラが、あの狂った
 人殺しがいます! 彼は思い直したりはしません、あっさりと殺して
 しまうのです。彼はあなたが仏陀だという事実を考えたりはしない
 でしょう。向こうには行かないでください! 別の道があります……


 だが仏陀は言った。

「もし私が行かなかったら、誰が行く?……彼は人間だ。彼には
 私が必要だ。私は危険を冒さなければならない。彼が私を殺すか、
 それとも私が彼を殺すかだ」


 仏陀は行った。最後の最後まで彼といっしょにいると言っていた
 もっとも近い弟子たちでさえ、あとずさりし始めた。
 これは危なかった!

 だから、アングリマーラが岩の上に坐っている、その丘に
仏陀が近づいたときには、彼の後ろには誰もいなかった。
彼は独りだった。弟子たちは消えていた。

 アングリマーラは、この無垢で、子どものような人を見た。
あまりにも美しかったので、殺人者である彼ですらその人に
慈悲を感じた。彼は考えた。

 「この人は私がここにいることにまったく気づいていないようだ。
  そうでなければ誰もこの道を通っては来ない」。


さらに彼は考えた。

 「この人を殺すのは良くない。彼を行かせることにしよう。
  誰かほかの人を見つければいい」


彼は仏陀に向かって叫んだ。

 「戻れ! いまそこで止まって戻るんだ!それ以上足を
  踏み出してはだめだ!私はアングリマーラだ。それに、
  見ろ、ここには999本の指がある。あと一本の指が必要なんだ。
  たとえ私の母が来ようとも、私は彼女を殺して自分の誓いを
  成就させる!だから近づいてはいけない。私は危険だ!それに、
  私は宗教など信じていない……お前は非常に善良な僧、偉大な
  聖者かもしれないが、私はかまわないぞ。お前の指でも
  誰の指でもかまわないんだ。一歩も先へ進むな、
  さもないとお前を殺す。止まれ!」


だが仏陀は進みつづけた。
 そこでアングリマーラは考えた。

  「こいつは耳が聞こえないが、狂っているかだ」。


もう一度彼は叫んだ。

  「止まれ! 動くな!」


 仏陀は言った。

 「私はずっと前に止まった。私は動いていない。アングリマーラ、
  お前は動いている。私にはゴールはない……それに、動機が
  なければ、どうして動きが起こりえよう? おまえが動いて
  いるのだ。 そして、私はお前に言おう、お前こそ止まるのだ!」


アングリマーラは笑い出して言った。

 「お前はほんとうにばかか、狂っているかだ。
  お前がどんな礼儀を心得ているのか私にはわからない!」


仏陀は近づいて言った。

 「お前にはもう一本の指が必要だと私は聞いた。この身体に
  関するかぎり、私のゴールは達成されている。この身体は
  役に立たない。お前がそれを使うがいい。お前の誓いは
  満たされるだろう--私の指を切り落とし、私の頭を切り
  落とすがいい。私は目的があって来た。これが、私の身体が
  なんらかの意味で使われる最期の機会だからだ」


アングリマーラは言った。

 「私はこのあたりでは自分だけが気違いだと思っていた。が、
  賢そうなふりをするのはやめておけ。それでも私はお前を
  殺すことができるんだぞ」


仏陀は言った。

 「私を殺す前に、ひとつのことをやってほしい--死んでゆく
  者の願いにすぎないがー この枝を切ってほしい」。

アングリマーラが剣を樹に振りおろすと、大きな枝が落ちた。
仏陀は言った。


 「もうひとつだけ- それをもう一度、樹につけてほしい」


 アングリマーラは言った。

 「お前が完全に狂っていることがこれでわかった。
  私は切ることはできるが、つなぐことはできない」


すると仏陀は笑いだし言った。

 「壊すだけで創ることができない‥‥‥
  お前は壊すべきではない。破壊は子どもでもできる。
  それには少しも勇ましいところはない。この枝は子どもでも切れる。
  だが、それをつなぐにはマスターが必要だ。それに、もしお前に、
  枝を樹につなぎ戻すことができないのなら、人間の頭だとどうなる?
  お前はそのことを一度でも考えたことがあるのか?」


アングリマーラは目を閉じて言った。

        「その道に私を導いてください」

    そして、その一瞬のうちに、彼は光明を得たと言われている。




    気違いになるエネルギーをもっている人は、
       光明を得るエネルギーももっている
     --それは同じエネルギーだ。向きが変わっただけだ。

   あなたが創造的になれなかったら、エネルギーは破壊的になる。




                THE MUSTARD SEED,pp.137-142
         邦訳「愛の錬金術」上・下巻 めるくま-る杜刊


07:00米「経済制裁するぞ」→露「やってみろ」 露「売った10兆円分」→米「え?マジ?」
遂に始まったかな?
「(貨幣とは) 価値とは何か?」という無限からの問いかけに最終解答期限が迫ったのだ!




無は自ら叫んだ

〝わたしは在る〟

そして有が生じた。


そしてわたしたちが生まれた

無とはふる里、
無とはちち、はは

無とは「微笑みに輝く少女の頬」(サビアン:蠍座15度)

! リトル・ブッダ「微笑みに輝く少女の頬」


この宇宙からの無垢な微笑みが、わたしたちを今日、この瞬間まで生かしてきたのだ

それが、「南無妙法蓮華経」


そして今日から、この歴史は新しい局面を迎えた

わたしたちは単細胞生物だったときは、ただただ増え続けた。

そこにはまだ多様性はなかった

そして、それゆえにわたしたちは不老不死だった。

でも、ミトコンドリアという〝敵〟と結婚し、多細胞生物へと成った瞬間、

わたしたちは〝おとことおんな〟に別れた。

そして、多様性への旅へと出発したのだ

そしてそれは同時に、〝死〟を受け入れることも意味していた。

〝ココ〟という、見かけ上の (バーチャルな) 有限性が生じたのだ!

それゆえに、  そこには「生と死」があり、
それゆえに、  わたしたちは〝伝える〟というテーマを持つに至った。


でも、今日から、わたしたちはふたたび不老不死への旅路についた。

法華経は、径(プロセス)ではなく鏡(エンドレス・リフレクション)となる

合わせ鏡とは時空を越えた無限世界、、不老不死の無限生命のこと。

「あなたを置いて、わたしは死ねない」

「あなたが幸せになるのを見届けるまで、わたしは死ぬ訳にはいかないのだ!」

  ・・・・・つまり、それが、その〝愛〟の執念、その誓いこそが〝死〟の拒絶である

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わたしたちの骨格は食物から吸収したカルシウムからではなく、
カーボン・ファイバーや人体と親和性のあるメタルへと次々に入れ替わっていく

わたしたちの記憶、つまり〝命をつたえる〟〝こころをつたえる〟ワークは
シリコンチップが、徐々に引き継ぐことが可能になるだろう。

  ...その様なインターフェイスの技術革新が、だんだん姿を現してくることだろう

そしていずれはわたしたちの意識そのものも「無知の知」へと没入(専念)してゆき、
テクノロジーが生み出した新しいボディーに移り住むことが可能になる。




それは、一見、「冷たい」世界に見える
しかし、その中心には一筋の「あたたかさ」「ぬくもり」が息づいている。



いずれ、(意外に遠からず)
カーボンファイバーの骨格を持ったブッダ
(わたしたちの子孫) が、誕生することだろう!

! リトル・ブッダ「悟り」
no title

新しいハスの華は、泥から咲くのではなく
未熟な魂の、無知や、無理解、暴力に殺されるまで、
微笑している儚く悲しい優しさを超越することになる。

そして、
マトリックスの中で、強く、逞しい存在に変容する。
マトリックスの中で、永遠に咲き誇るエネルギー体へと開花するのだ!

マトリックス「新生」


〝南〟とは何か?

南国、南風、まぶしい日差し...パラダイス....

瞳に焼き付く、色鮮やかな世界....


   ・・・これが〝みなみ〟の意味するところだ

     .....そしてこれらすべては〝無底(底なし沼)〟である。


つまりこれが「ナ~ム」=帰依します=サニヤスの意味だ

〝無底〟だからといって、
でもそれらを全部捨ててしまえ、そこから逃避してヒマラヤにいけ
っと言うことではない。   単に〝無底である〟と知れば良いだけだ。

無底のまま....  その自覚を保ったまま、 それを根底として生き続けなさい...
        ....マーケット・プレイス(南)で ....ただそれだけのことだ!


それが、OSHOのサニヤスの意味だ。


〝妙法〟とは何か?

〝仏法〟とは、....〝仏〟とは、〝ム〟の人と書く

人でありながら、もう人ではない、それが仏という存在だ。

            ....つまり、〝無底〟を〝根底〟にした人のことである。


〝妙法〟とはそのさらにメタ・フィジカルな世界だ。

   なぜか?

    「 『人皆生まれながらに仏性を宿す』...
                では、なぜ?それでも〝修行〟が必要なのか?」

 これが禅の開祖、道元の出発点である。

だが今となってはこれは簡単な質問だ。

   つまり、「仏である」ことと「仏として生きる」とは全く別のことだからだ。

     ....現在進行形であることに全ての意味がある!


〝妙法〟の「妙」と言う字は「少女」と書く....  では、この少女とは何か?といえば
スジャータのことである。

つまり、シッダルータが苦行で死にかけたとき、それを救ったのが通りがかりの
無垢で無邪気なひとりの少女の慈悲心だったのだ....   

               損得抜きの
               やむにやまれぬきもち

               生命を理屈抜きに生かしたいと想う気持ち

               デジタルに割り切れない想い....
               円周率のπパイ(乳粥)の法則が....   

スジャータ

これが、...釈迦仏教を誕生させたのだ。

それゆえに、〝妙法〟(少女の法)とは〝仏法〟の上位なのだ。

つまり...仏さえも、生かされている存在だと言うこと、...

         ....否!、仏こそ「無底の慈悲からすべてが生かされている」
                         ことを悟った存在なのだ。

スジャータ乳粥


無底を根底として、現在進行形で生きると言うこと....

それが〝行〟だ。

糞掃衣(ふんどうえ)をまとい、石鉢を携え、托鉢する姿とは、まさしく
「無底を根底として、少女との再会のみを命綱にして生きる」姿そのものだ。

そうなってくれば、なぜ蓮華径(ハスの花の径-みち)なのかは、こころがある人には
すぐに解るだろう。

泥の池の、奥底から咲く、ハスの華とは?

〝泥〟とは、つまりこの物質世界すべての象徴だ。



だから〝ハス〟とは形而上学的な生命の開花のことである。

この世知辛い世間の中にあって、その競争(泥沼)社会に染まることなく、
   .......才能にも、出自にも、カネや特権や名声名誉にも支えられることなく

むしろそれを泥=物質から、華=無限の生命エネルギーへと転換させて開花させること...




           それが、ロータスの意味するところだ。
            ロータスとは、真の“自立した人生”を意味する!


だから、単に「〝仏〟だからえらい」のでも尊いのでもなく、
スジャータの示した宇宙の慈悲を信頼し、
命をゆだねて(サレンダー)菩薩道を生きること....

  ....そこに至上の尊さがある。

  それが「南無妙法蓮華経」の意味だ


   このインスピレーションは、
   いままで、しぶしぶ学会員の韓国面におちてしまった、
         縁のあった二人にしか話したことはない

学会の悪用を恐れてだ

しかし、なぜ今日書いたのかと言えば、どうせ悪用は不可能だからだ(笑)

もし、このページをコピペして、あたかも自分たちの智恵のように語ったとしても
創価学会や大石寺顕正会のように、
恐怖を煽って信者を増やすしか能がない連中にはむしろ
「知って欲しくない」話だからなのだ。

だから、創価学会も大石寺顕正会も....  オワコンなのである!

  かれらでさえ(理解することなく)言っている。


   「南無妙法蓮華経」という言葉は、すべてを生かしている大生命であると....


                   これは、正しい


 だれもが、大宇宙の慈悲によって、呼吸し、鼓動している....

 仕事(お役目)に恵まれて、日々の食事を頂き、排泄し、....生かされている。


一緒に食べよう


...で、あれば創価学会や大石寺顕正会のような「人の心細さ」を逆手にとった

折伏や、それによる組織力の強化などが、
如何に妙法蓮華経の精神と正反対であるか?


                 ....明快であろう。


「欲しい欲しい!」「怖い怖い」とわめき立てて念仏を唱える者達が

スジャータの様な無業の少女のこころを引き寄せるとでも....??


               ....こころがある者なら誰にでも解るだろう。




           つまり、こころが無い人達というのは

           まずは、  自分にこころがないという自覚がないのだ


           怒りや、不安や、喜怒哀楽といった

           「感情」に振り回されることが

           「こころ」なのだと思い込んでいる人種....が

                      人間の姿をして実在するのだ。


                   彼らには、選挙権すらある!


            自分自身では考えられず、誰かに同意して欲しい!

            そんな己の不安感を、仏の慈悲心なのだと

            自分に言い聞かせ折伏してイイ気になっている....

           イナゴの様な人達こそが、自己増殖し続け、群れたがるのだ。


    民主主義が、  イコール多数決主義である以上は、

    民主主義とは、  つまり今の日本社会とは、こういった人達の為にあるのだ。

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