たまたま通った世田谷公園では
小春日和の日差しに連れられて、家族連れが何組も
公園の噴水を中心にした広場で遊んでいた
何とものどかで平和な光景を眺めながら、私は・・・
「天国だな・・・」っと独り言を呟いた
すると途端に、すぐ隣にOSHOが来ているようなイメージが湧いた
「どうだい?」
「これ以上、一体何が必要だと言うんだね?」
っと私のイメージの中のOSHOは目の前に広がる光景を
まるで舞台をイントロデュースするかの様な仕草で左手を大きく広げた
わたしは感嘆の溜息をつきながら彼に返答した
「まったく・・・、 まったくそうですね・・・」
今夜、その時の光景(雰囲気)を唐突にまた思い出した・・・
そうだ、 ・・・私はいままで
ちょっとばかり欲張りすぎていたのだ
目の前にあるもの・・・・ それだけで充分じゃないか?
それ以外、 一体何が必要だと言うんだ?
何かを欲しがってひっくり返って泣いている以上、
誰もが〝だだっこ〟以上の何かではない
その〝おねだり〟が通用しないからといって、・・・・・
・・・・ああ、場合によっては
それで自殺する人さえ居るようだ・・・
なぜなら、
「それ」が手に入ることが人生の彼岸
人生のすべてにさえなり得るからだ!
・・・・「そうでなければ、死、在るのみだ!」という決心さえする
でも、「自分の命以上に、本当に必要なもの」なんてあるのだろうか?
そう考えるなら、自殺とは、罪である前に、馬鹿げている
目の前に在るもの以上に、今この瞬間触れているもの以上に
必要なものなど人生にありはしないという
無欲さに目覚めたひとにだけ
過去や未来が幻想であると見抜けるのだ
あなたやわたしが、
自分自身を全面的に信頼しようと努力しても、
そんな事できっこない
あなたやわたしが、
人生を至福で満たそう、だなんて奮闘しても、
そんな事、出来るわけがない!
あなたを全面的に信頼している、
・・・もうひとりの「インナーセルフ」が、すでにいる
すでにあなたの人生の瞬間瞬間を満喫してきた、・・・・
常に満ち足りて、
無垢で、無欲で、無邪気に今までの人生を楽しんできた、・・・・
・・・・天真爛漫なもうひとりのあなた、
・・・もうひとりの「インナーセルフ」は、すでにいる
その、内奥のあなたは、
いつだって絶対的にあなたの味方で、
あなたを見捨てないのだ
だって
インナーセルフである “彼、彼女”に、
あなたを愛し、励まし、見守り、見捨てない・・・・
・・・それよりも何か重要な
急ぎのビジネスがあると思うかい?
そしてインナーセルフは、あなたとの出逢い(再会?)を
、あなたが内奥の自分自身を見つけ出してくれるのを
ずうっと待っているのだ
それは、
自分自身にとことん素直になろう、
そして向き合おうと決心したなら、
すぐにでも見つかるはずだ
私は常にお前の傍らに居る
お前から離れない ・・・・離れられないのだ
お前が私の創造物だからだ
私の娘であり、息子であり
私の目的であり、わたし自身だからだ
私という安らぎからの疎外感を感じたなら、
いつでも私を呼ぶがいい
・・・私はそこに居る