We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

私たちは日常の中で様々な場面に直面する

中には緊急を要する状況や悲劇的な状況もあるだろう
そしてその状況に対して何らかの対応を迫られるだろう

わたしは
いままで色んな状況を想定(シュミレーション)して
色んな質問や対応方法を、色んな人に質問してきてみた・・・

だれもが挑戦を受けるのが大好きで
その挑戦に勝利するのが大好きだからだ

人々は自分がひとつのゲームやドラマの場面の主人公になったつもりで
さまざまな、その人なりの回答をしてくれた

でもそれらの質問に
わたし自身が回答するならば、
その回答は常に
「わからない、その時に実際に直面して見なければ判らない」である

あらゆる状況は
ほんの僅かな違い
致命的に大きな判断の変更を余儀なくされるからだ

シュミレーション訓練とは実際の場面において
躊躇しないため、あたふたとしないためには確かに有効だ
例えば戦闘訓練、何かの操縦、操作など、
パターンにはまった訓練はある種のスコアー(点数)を上げるのには有効だ
・・・しかしこれは複雑怪奇な、新鮮な状況に対しては
         ある種の鈍感さを蓄積させる

過去にあらかじめ決めておいた覚悟、決心、反応パターンは
たしかに役には立つが、そこにいるのはロボット化された私たちだ
 ・・・これが〝訓練〟〝学習(パターン認識)〟というものの成果だ

わたしたちは
蓄積された過去のパターン認識の中で生きている
これは〝生きている〟というより、単に〝動いている〟に過ぎない
これが「退屈な繰り返しの日常」の正体だ、原因だ

わたしたちはいつも
何かを求めて動いているが、新鮮に生きている感覚はしていない

いままでの人間の歴史とは
バイオロボットが、
また次のバイオロボットを
生産し続けてきた歴史に他ならない
・・・そのプロセスを私たちは教育なのだと思ってきた

ただ闇雲に過去を蓄積し続けてきた
「過去を蓄積し続けること」そのものを生命の究極目的だと思い込んできた

いつも未来は過去の蓄積のために費やされてきた
それが欲望というものの正体だ

それゆえに私たちの目の前は常に腐って死んでいるとも言える
わたしたちは「分からない」「知らない」と素直に言えない
それは常に「分かる」「知っている」と胸を張っていなければならない
そうでないと不安だからだ
だから未知を未知と認められない、
「過去に観た何か」と比較分類してしまう

新鮮な直面を拒絶し続けているのは常に私たち自身だ
私たちはいつも「知ったかぶり」して生きている
私たちはいつも「訓練されたオトナだ」として生きている
私たちはいつも未来に対して緊張し、身構えて生きている
本当は一瞬一瞬が「どうしたら良いのか正解など知らないで」いるくせに・・・

だから私たちの人生は腐ったままの連続なのだ
わたしたちは過去に製造され、プログラムされたロボットなのだ

皆さんにとってハグとはなんでしょうか?

わたしにとって・・・
(あくまでも「わたしにとって」ですが)
それは握手と同じ西洋から渡ってきた政治的習慣です

握手とは必ず右手ですると言うことが今でも基本ですが
右手とは武器を持つ手、攻撃的な手です

これをお互い同時に封印すると言うことが
  握手と言うことの基本的な意味ですが

     ハグはその延長線上にあります

お互いの背中に両手を回すと言うことは
お互いが背中をノーガードにすると言うことです

これは平和外交的のジェスチャーです
ボクシングの試合での「クリンチ」です
これはあくまでも「見せかけ」「一時的休戦」「外交政治」です

仲の良い夫婦ならば、いちいち人前でこれ見よがしにキスしたり
ハグしたりするのは社会的に「目障りなエチケット違反」だと解っている
目配せし合うだけで互いが互いの持ち場でどうすべきか?
それが瞬時に解るのが真のパートナーシップでしょう

べたべたスキンシップしたければベットの中ですれば良い
親密さというのは他人や相手に〝見せる〟ショーではない
セックスも当然、昔ならストリップ小屋、
今ならエロビデオの中だけであって
つまり他人に見せつけることが利益になる場合だけです

だからわたしは他人のハグを邪魔したりケチをつけるつもりはないが
自分自身は違和感を持ってハグを見るわけです

 夫婦が握手したりハグしたりするのは
 離婚が成立した時ぐらいじゃないでしょうか?

 全くのアカの他人でさえ
 ホンモノの、心からのハグが成立するのは
 「明日世界が終わることを皆が知っている時だけ」ではないでしょうか?

誰もが昨日も無い、明日もない時・・・・
そんな強烈な自覚を持って瞬間瞬間を生きているなら・・・

 その時が来たならばわたしも街に出て
  誰彼構うことなく
   道行く人全てに万感の思いを込めてハグし合うだろうと思います
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映画「ノウイング」 ラストシーンより

 「思い通りになりすぎて、
   思い通りにならない世界を体験しようと、
    思い通りにならない世界を作る時点で、
      ・・・思い通りになっている。」

つまりこれが私たちの現実
人生は「ノー」も織り込み済みで
巨大な「イエス」がループしている

  そんな出口のないイエスの連鎖の中で
     祝福とは何か?

  つまりそれが〝ハプニング〟ということだ

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