We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

【海外ドラマ】 スタートレック Star Trek The Next Generation
第130話 「True Q」 (00_28 -00_34_06 )

エンタープライズの研修生として乗船したアマンダは、
自分が万能の宇宙連続体Qである事を知る

人間として生きるか?Qとして生きるか?選択に迫られたアマンダは
Qからその能力の特訓を受ける


「すべてが思い通り」の虚しさ 投稿者 maneel-katal

興味深いのは、「究極の自由」は「究極の不自由」とよく似てくると言うことである
全宇宙のあらゆる存在を思い通りに出来る万能の能力は、虚しさと繋がってくる

なぜ虚しくなるのか?
彼女が好きになったエンタープライズの副長、ライカーとは、
その生きてきた自然なプロセスの中に「彼らしさ」を蓄積しているからこそ魅力的なのだ
それを不自然な強制力で無理矢理「自分に振り向かせ」ても、もうそれは操り人形であって
ライカー本人とは言えないのだ
2017-07-02 (1)

たとえSFドラマらしいQの万能のパワーを想定しなくても、
これは私たちの日常にも言えることだ

不自然な強制力でインチキをして、
存在する者の自然で自由な意思をねじ曲げて自分の意のままにしても虚しい

しかし、
ではなぜ私たち人間は、いまだ ( 科学力などの ) 魔法に憧れるのか?と言えば
「中途半端な自由」の自覚しかなく、その未熟な精神を振り回しているからだ

「虚しさ(為すべき事など何一つない)」
とは究極の成熟なのだ!

                     ・・・そうではないだろうか?

Qもドラマの中で言っているが
「パワーにはそれなりの責任がつきまとう」ものなのだ
それゆえに人間の中途半端な責任感が、
自らの自由を中途半端なものに押しとどめている

Qは、このスタートレックのドラマの第一話でも登場し
「同胞同士で殺し合いしている野蛮な地球人共、さっさと地球に帰れ」と糾弾している

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人類が今だ無限のエネルギーを手にすることが出来ず
ドラマ・スタートレックのような宇宙時代を迎える事が出来ずに滅び掛かっているのは
「闇の世界政府の陰謀」というよりも、さらにその上位に、
この一点の重大な理由が有るように思えて成らない

2017-07-02

エックハルトは自伝の中で
「もうこんな自分とは一緒にやってられない!」と叫んだ瞬間
奇妙な感覚に囚われたと言っている

〝こんな自分〟と、その自分に対して
〝やっていられない〟と叫ぶ自分・・・
「いったいどちらが本当の自分なのだろう?」

そしてその夜、
どこまでもどこまでも深淵に落下していく啓示を体験したと言っている
この体験談はまさしくOSHOがエンライトメントした瞬間とソックリだ

OSHOにせよエックハルトにせよ、
「絶望〝的〟な自分」と、その自分に
「絶望した自分」との、「2人の自分」が明瞭に分かれた瞬間に
「底なし沼のような完全な絶望」の中へと落下していったのだ

この「底なし沼」とは何か?
それをエゴが・・・、
「ロジカルな自分」「期待と失望とを往復している自分」が
            理解することなど、到底不可能だ

この「深淵」こそが本当の「アイアムである」という言い方も出来るが
この「深淵」の虚無において「自分」と「自分以外のもの」はありえない
   「何かを指さす私」「指さされる何か」など存在しようがないからだ

しかし、
「自分や他人に〝期待と失望とを往復している〟分裂した自分」なら
その正体は明瞭だ・・・
 〝彼〟は碇ゲンドウのような支配者であり司令官だ

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失望VS絶望 from Katal Maneel on Vimeo.


「世界(自我)を救う」という偉大な使命、大義をバックグラウンドに
常にあらゆるもの、あらゆることを掌握し、コントロールしようとしている

ところが、ゲンドウに刃向かう、息子のシンジもまたゲンドウの分身に過ぎず
どちらもが「分裂した自己」に過ぎない

どちらかが絶対に正しく、どちらかが絶対に間違っているのでもない
だから延々と決着が着かない それは無限につづく苦しみだ

ゲンドウは
「全て判っている男」として絶対的に命令する
シンジは
「何も知らされていないEVAのパイロットという〝部品〟」として
ずっと怯えて生きている・・・明瞭な意思も持たず、周囲に逆らうこともなく
一見素直だ

でもこの親子はどちらも同じ穴のムジナだ
ゴクリ、「それは確かなの?」

「命令するもの」と「命令されるもの」、「教えるものと学ぶもの」
時として歩み寄って和解しようとしたり、決別したりするが、結局変わらない

全ての関係性は表面的にはすったもんだのドラマがあるが
その関係性の本質は変化しない・・・
でもその〝本質〟とは、愛などではない、
互いに〝必要とし合っている〟だけだ・・・片方が死ねばもう片方も死ぬ
それは、強力な相互依存であるために「愛のように見える」だけに過ぎない

「私は実は愛とは何か?全く分かっていなかった」という気付きは
まさしくこのポイントにある

その虚構
「インチキドラマを延々と繰り返している分裂した私」への気付きこそが
目覚めなのだろう

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「衣食住」よりも上位(メタ)の生活の定義は
「福禄寿」である

最も重要なのが「寿」、つまり健康で
「衣食住」とは健全な物理的生活要素のこと

次に重要なのが「禄を得ること」で
定期的な安定した収入(社会システムとの繋がり)
「衣食住」は経済循環の円滑さの中で維持管理される

最も重要度が低いのが「幸福感」「満足感」
「重要度が低い」というのは
「もっとも贅沢品の最終結果だ」と言う意味でもある
この具体的なかたちは人間関係の充実

つまり健康や収入を無視して
人間関係(付き合い)、
その他の幸福感追求に走ると
人生は土台を失い破滅する仕組み

植物に例えるなら
「寿」が根っこ、「禄」が幹や枝、「福」は葉っぱや花、実なのかもしれない

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