We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です



この物理的な制限だらけの肉体に閉じ込められているからこそ
目をつぶれば脳内では莫大な幾何学の嵐が吹き荒れている
 ・・・それは全世界を揺るがしかねない程の光のハリケーンだ

誰もがそれを内に秘めている ・・・であるが故に私たちは自分自身を最も恐れる

  でも
  躊躇えば躊躇う程、恐れを溜め込めば溜め込む程、その爆発も凄まじいだろう

その時のために私たちはいまここにいる

 「その時」とは、  実は、
  「いまここ」なのだけれど・・・・

  ・・・私たちは「その時は・・・」といって
    「いまここ」から逃避し、延期してきた

だから当然、私たちは死ぬ程退屈する、
みずから選択した「延期に次ぐ延期」、によって飽き飽きするだろう



退屈とは、だから良いことだ、救いだ

 それは私たちが「まだ生ききっていない」こと・・・
   私たちには「とてつもないポテンシャルが眠っている」ことを暗示している

それは完全に「ひとり」になることでアクチベートされる

「爆発」とは
 外側よりも内側が、実は広大である時、莫大である時に起きる

あらゆる空間よりも、体積のない「この一点」が広大である時
永遠の時間よりも「今この瞬間」が莫大である時
・・・・爆発が起きる

〝神〟の探求・・・
  神秘、神聖、真理の探求・・・
    ・・・それ以上の価値が、人生においてあるわけが無い!
                  私は長い間そう信じてきた
    ミーハーな表現をするなら
        「探求って最高にカッコイイ事」だと思っていた

ところが「探求する」という行為それ自体が
「いまここにはゴールがない」という事を前提としている・・・

 「日常には神秘がない」  「わたし自身は神聖ではない」
    、・・・だからこそ、・・・・「ない」からこそ〝探求する〟のだ

私は無意識の内に
神聖の「探求」・・・それ自体が「神聖な行為」なのだ、とずっと信じ込んでいた
しかしその思い込みは、無限のループに私自身を延々と引きずり込んで来たのではないか?
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・・・そう疑ってみると
   何故?私がこんな時代に、こんな社会を選んで生まれてきたのか?
                  おのずから説明が付いてくる

この世界の住民の大半が偽善的な民主主義の政治のもとに生活していて、
つまりその深層心理では未だに信念体系という宗教が支配している
この現代の地球文明とは、わたし個人の堂々巡りの心理構造そのままではないか?

  もし?
   この世界全体を巻き込んだわたしの「大いなる懐疑」が、
                  正鵠を射ているのならば????

                  この世界のパラダイムはもうすぐ終わるだろう、
             わたしの何世にも渡る信念体系の瓦解とシンクロしつつ・・・

Bicocacolors & Brian Eno Apollo from Katal Maneel on Vimeo.


最近、
使い古しのバスタオルで寝間着を自作したくて
ミシンやグルーガンで「お裁縫」に挑戦している

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こういった作業は女性達が何千年も担当してきた仕事だ
根気が要る、いわゆる「チマチマした女々しい」作業だ
そういう「女々しい作業」を嫌っていたはずの私の亡き父も
今の私と同じぐらいの50歳ぐらいから(釣り道具の修理のために)
ミシンに向かっていた姿を思い出し、
いま私は親子の因縁めいたものをひしひしと感じている・・・

古くさいおっさんアタマの私にとっては
「男らしさ」へのこだわりというのはなかなかぬぐいきれないが、
こうしてミシンに向かっていると
そういったこだわりから少し自由になれた気がしてくる
       ・・・父はどうだったのだろうか?

男性にとって女性への理解と敬意を養うことは
生涯を費やすべきライフワークなのかもしれない

こうして「チマチマとして女々しい」と、
ずっと嫌悪していた裁縫作業をやっていると
女性の辛抱強さ、繊細さ、包容力は
女性の執念深さ、陰湿さ、排他性と表裏一体だと感じてくる

若い男性だって「ボクは女性を尊敬してます」というかも知れない
しかしそんな男性でも、女性のポジティブな側面とネガティブな側面とが
実は表裏一体だとはなかなか信じがたいだろう

男性は性的な磁力によって魅せられながら「ボクは女性を尊敬してます」という
言うだけではなくたぶん本人も本気でそう思っているのだろうが、
でも、そんな男性でも、
 女性のおたふくな一面と般若の一面が、よもや表裏一体だとは思えずに
  女性の
  愛と美の化身の様な面を愛しつつ
  嫉妬の悪魔の様な面を嫌悪する

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でもこの両面が
長い間女性が引き受けてきた「女性の役割」から派生している
女性の「般若の面」をひっくるめて受け入れて
愛おしい、素晴らしいと男性は抱きしめてあげているだろうか???

いま、
女性が「女らしさ」というものを人類史上の長い歴史の中で
〝男性に強制された〟苦役として脱ぎ捨てようとしている様に思う。
(特にイスラム圏なんか・・・)

だから
男性達が「女性の質」への理解と敬意に目覚めつつあっても
もはやその席に女性はいなくなってしまっているかも知れない

男性達がかつて知っていた「恋人、妻、母、娘・・・」はもういない
 男性達が花束を持ってはせ参じても女性の園にはもう誰もいないのだ・・・

 女性がいなくなってしまった現代、
  もう男性の女性への理解と敬意は時代遅れかも知れないが
  それでも、・・・いや、むしろこれからこそ
   女性的質、女性的辛抱強さ、女性的繊細さ、包容力が
       必要とされる時代なのじゃないか?と思う
40.Wholeness   全体性 
自分が全一であるかどうか、内側を見てみましょう。
はさみはマインドに似ています。
はさみは切ります、分けます。針は愛に似ています。
ものごとをひとつにまとめます。引き裂かれたものを癒してくれます。
あなたのハートを愛に向けて開きましょう。
そうすれば、愛があなたをトータルにしてくれます。


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